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絵を描く生活 - 2007年02月05日

人は毎日 空気を吸ったり 食事をしたり
寝むったりして 生きている
そんなことと 絵を描くことが
いっしょに感じることができたら
幸せだと思う
絵をかくことは とても楽しい
だけど
死んでしまいたいくらい 孤独で 苦しいことの方が多い
でも  私は
絵を描く生活をしている
あー はやくこの苦しさから解放されたい と
制作のたびにおもうけれど    気がつくと
デッサンをしたり 色をつけたり 
次に何を描こうかと ウキウキして絵を描く生活を 楽しんでいるのです
  結局
そうやって ずーっと 生きていくんだと思うな

遺言状のススメ - 2008年03月15日

皆さん遺言状って書いたことあります?
私はね、毎月書いてるんですよ。自筆遺言を。
そう言うと大半の友人たちは お前おかしい って言うね。
いったい何書いてるの?自殺でもするの?って。
するわけないでしょ!
でもさ、みんな自分が明日突然死んだらどうするんだろうって思うんだ。
困るでしょ。実際。
私はもちろん長生きはしたいです。でも、毎日をとりあえず明日死んでも満足に生きたいって思うんだ。
だから、遺言状を書いてるの、幸せだから。
親、親戚、友人、知人への感謝を中心に、大した財産もありませんがその処分についてまで。
だってさ、猫のひたいほどの土地しかなくったって自分の希望する人にあげたいでしょ。
絵もかなりありますから、ただ捨てられるのも寂しいし。
まあ、私にも親がいますから明日私が死んだら親に財産がいくのは当然ですが、私亡き後、私の親が死んだら我が家の財産はどうなるの?私には兄弟も奥さんも子供もいないからね。
だからその後のことまで親にもこうして欲しいってお願いが書いてあります(笑)
まあ、親より早く死ぬなんて親不幸はしたくはありませんが、とりあえずだから。
しかし笑っちゃいますよね。でも、こんな人間がいても良いでしょ。私の人生だから。
日記や趣味の範囲ですよぉ。
でも、幸せな時に自分の人生を見直すってのは面白いもんですよ。
ためしに書いてごらんなさい。本当の自分の今がかなり良く解るもんです。
こうしたい、ああしたい、誰が大事とかね。
自分を見直すきっかけにもなるんですよ。
23日は誕生日だから新しい遺言を書きますよ。葬儀の香典返しはお茶なんてつまんないから好物の『彩果の宝石』にして欲しいとかね・・・。

『月への道』 15号

中退人生 その一 - 2008年03月18日

私の人生には『中退』という文字が二度刻まれている。
言葉としては途中で退いたこと・・・・決して嬉しい言葉ではない。
初めの中退は高校時代。『静岡県立清水南高校芸術科中退』の話。

約16年前、その頃静岡県で芸術科のある高校は一校しかなかった。
清水南は芸大、美大に一番近い高校としても知られ確かに美術のレベルはピカイチだった。

正直、私は中学の成績も悪くはなかったし、生徒会やら作文、英語弁論(市内最優秀賞)、美術関係になどあらゆる面での活躍やら受賞歴はほかの誰より群を抜いていた。
県内の美術展の優秀賞はじめ、全国展の受賞もあったので地元ではプチ有名人だった(いわゆる勘違いってやつですが)。
文化祭などはポスターから実行委員長、演劇、発表までこなし友人や保護者から『坂本武典リサイタル』だね・・・なんて言われたほど。
まあ、自分でもあらゆる面で頑張っていたし、楽しんでいた。
高校進学を考える段階になり、中学一年から進学校の県立N高校に行くことだけを考えていたし、
親もN高校以外は高校じゃないって考えてた(汗)ので私ももちろんその気でいたのだ。
でも勉強はしたことがなかった。勉強なんてしなくても一ケタの順位(220名中)かせいぜい10番台にはいたしまあ、大丈夫なんて勝手な安心感があった。
そんな中、少しずつ成績が落ちてきた。えっ?なんで?って感じ。
私が怠けていたのと、みんながせっせと勉強を頑張りだしたのが反比例してきた。
担任から『N校はこのままだと厳しいから、ひとつ下の伊豆C高校にしたら』・・・予想外の言葉。
かなりショックだった。
現在のようにインターネットで情報が容易く手に入れられない時代。
ちょうど友人から県内の高校の偏差値や説明がのっていた冊子を借りていた。
学区が決まっていたその当時、一校だけ芸術を専門に学べる全県学区の清水南に惹かれたのだった。
その日のうちに家族に相談、もちろん反対。
次の日も担任に相談したが思うような返事ではなかった。
まあ、仕方のないこと・・。でも、一度決めたらあとには引かない性分、私の熱弁に結局、家族と担任も納得してくれたのだった。
受験はデッサンもありましたが合格。しかし、とにかく通うには遠かった。

入学後、周りのデッサンの巧さに愕然とする。こんなにも絵の巧い人がいるんだ・・・。
井の中の蛙の自分を思い知らされる日々。
楽しんで制作というのではなく、受験を目的に絵を学んでるような毎日が過ぎる。

私のやりたいことってこんなことなのかな?絵って何のために描くのだろう?

悶々とした時間が過ぎ、ある朝電車の中から美しい富士山が肩を押してくれた。
『そうだ、今日で学校を辞めよう』・・・今日さっそく校長に言いに行こうと。
登校し、すぐ校長室のドアをたたく『校長先生、私今日で学校を辞めたいと思います』。
その校長は驚きながらも、ソファーに私を座らせ一時間私の考えを聞いてくれた。
阿形吉明校長という素晴らしい先生です。
『君の話はよく解りました、家族や担任に相談して決めよう』穏やかに聞いて下さった。
普通、高校の校長があそこまで身勝手な一生徒の意見に時間をとってくれるとは、今も感謝しています。
担任も驚きながらも親身にして下さった、森先生。
帰って親に報告、唖然としてる。もちろん大反対。高校中退なんて犯罪者とでも思ってるのか。
祖父に相談し、その後の生き方を考えて決めようと。
数日間考え、もう一度近くの普通高校に再入学することになった。

その後、高校を中退、『高校中退者』のレッテルは世の中は厳しかったね。
中学時代、目立っていた分の反動は大きい。
友人の親たちも、『たけちゃん頑張ってね』と言いながら影では悪口を言っていたようだし(笑)。
まあ、仕方ありません。
そんな中、とにかく家族、友人、知人に助けられた。中学時代の恩師岩崎先生は、実力テストを在校生と同じように受けさせてくれたし、内申書も再度書いてすべての書類を用意してくださった。
退学しながらも、清水南の阿形校長も森担任もこの遠い熱海まで心配し、2度も訪ねてきてくれた。普通、こんな気持ちの先生っているのかな?気持ちがあっても熱海の自宅までこんな私を心配して来てくれるんだよ。感謝です。
校長は、再受験する高校の校長に坂本君の意思を説明するからって、手紙まで下さる。
母の友人の石川さんは寮の管理をしていた。その寮で毎日のように昼食を作ってくれたり、大きな温泉と素晴らしい庭で心を癒してくれた。やはり母の同級生の菊地さんと御主人も梅園の自宅で僕の心を癒してくれた。友人の上田は毎日のように私の自宅に来てくれた。悩みや気持ちが晴れるように楽しい話や音楽を聴かせてくれた。とにかくみんなに支えられた。

春、N高校と、母校日大三島を受験。まあ、ご縁あって日大三島に入学しましたがとにかく書ききれないような怒涛の一年でした。
でも、中退って悪い印象しかありませんがこのお陰で今の自分があるんです。
嫌なものを続けていくのも修行かも知れない。でも、やめる勇気も新しい自分を見直すチャンス。
そして、その自分の一番つらい時期に支えてくれた家族、友人、知人、先生方。
本当に有難いです。
私はとにかく周りの人に恵まれてますし、今も時々思い出しながらみんなの幸せをも祈っています。

『明けゆく』 8号 個展より


『バラ咲くころ』 6号 個展より 

学校へ行こう - 2008年03月19日

私は仕事やボランティアで市内の小学校などに講師として出かけることが多い。
行ってまず感じるのは学校の空気感・・・。正直、良い学校、荒れてる学校など校舎に入った瞬間に判るんだ。
あ、この学校の生徒は挨拶ができるな・・ここは校長が神経質なのかな・・
この学校の運動場は怪我が多そうだとか・・・。
実際に感じて、授業をやってみるとさらに良く解る。
不思議なんですがね。
生徒についてもそうだ。絵を描いてる内容や上手さとかは別に、その子の家族関係や、家の整理整頓状況まで。『君の家は汚いね』、『あなたのお父さんは公務員でしょ?』ほとんどが的中するので児童も私に興味をもってくれる。
まあ、それは良いとして小学校の生徒たちに教えるのはとにかく楽しい。
先日も熱海の伊豆山小に出かけて授業をした。多くの児童が目を輝かせて絵を描いている。素晴らしいね。絵をうまく描くことなんかは小学生はどうでもいいと思う。とにかく楽しく、そして完成の喜びを知って欲しい。私はそう思いながら学校へ通う。
絵を知って好きになって欲しい、ただそれだけ。

今回は自分の手がテーマ。
最優秀頑張った賞に輝いた通称『イケメン』君と。

32歳になって - 2008年03月23日

個展最終日の今日、かなりのお客様がご来場されました。
昨日も多くのお客様に座る暇も無かったので腰が・・・・。でも有難いことですね。本日は児童心理学者で画家の金子先生ご夫妻をはじめ、熱海市議の山田治雄さん、三島市議の馬場妙子さん、熱海青年会議所元理事長の出口さん親子など多くの友人知人、観光客もいらっしゃいました。
本当に多かったね。自宅に100人以上来るんだからすごいよね。感謝。

また、今日は私の32歳の誕生日(今日3月23日は黒澤明監督、魯山人などの芸術家も同じ誕生日です)ということもあり、朝から知人の近藤さん、同級生の洋子、友人でいつも励ましてくれる恩人の健君、親友の下田、カズミ、カズミの奥さんのともちゃん、わが社の有能なスタッフの舞様などからお祝いのメールが・・・嬉しいよ。ほんとありがとう!!
近藤さんからは和光の時計(すてきな時計感謝します!)、親友のカズミ夫妻からは花の電報(さすが粋なことしてくれるよ!)、下田からは花とかわいいロウソクのBOX(あんた、これはなかなかだよ!)、健君夫妻からはセンスあふれるお花(奥さんのお姉さまが生けたとか空気があります。さすが広瀬夫妻!)、やはりわが社の有能なスタッフの和也様からはバースデーケーキが(和也君、ほんといつもありがと!こんなにしてくれるなんて感謝で涙だよ・・!)、知人の倉見さんもケーキなどなど。
多くの皆様がこんな私を祝ってくれました。


とにかく幸せな一日でした。
しかし、32歳にもなって誕生日を祝ってもらえるのは嬉しいね。
個展も盛況のうちに終わりました。夕食は個展でお世話になった方をご招待し近くのレストランに。
長いようで短い一週間でしたし、32歳になった今日、また気持ちを引き締めて頑張る決意をしました。
健君からのメールの一文『誕生日は自分が周りの人に感謝をする日だと思います。その出会ってきた一人でも欠けていたら今の自分はいません今の自分があることに感謝し、未来に繋げられたら素晴らしいですね』・・・・・そうだね健君!いつもありがと!
素晴らしい一日でした。

春の夜長に - 2008年03月28日

最近、毎日寝るのは5時過ぎることが多い。
絵を描くこともだが、友人やスタッフとの打ち合わせだ。
みんなの仕事の都合でどうしても11時過ぎに会うことが多いかな。
今日は同級生で昨年、熱海市内に話題のてんぷら専門店『てんぷら 鶴吉』をオープンした釜鶴のK君が仕事の打ち合わせにアトリエに。
釜鶴さんは熱海でも老舗のひもの店で、もちろん味も知名度も一番。私もお使い物にいつも使わせていただいている。
ひもの店のほかにも和食処やてんぷら屋など経営。
お父様の二見さんとは家康来熱400年委員会などでお世話にもなってます。
最近の釜鶴のパンフレットは私がデザインやイラストを描かせていただいていて、
今日は鶴吉用のイラストの打ち合わせ。

打ち合わせしながらお互いの夢や熱海に対する思いなど、時間を気にしないで
楽しい話ができました。
彼も陶芸を勉強しているので、いつか一緒に展覧会ができたらいいね。
春はみんな気持ちが爽やかだし、将来や希望に悩める良い季節だね。

武典(たけのり)から武典(ブデン)に - 2008年04月22日

あだ名って今までにいろいろありましたね。
小さい頃からの友人知人は たけちゃん かな。
たけ、おたけ、たーちゃんなどが中学まででした。
数か月限定のあだ名は、中退した清水南高校のときのもの あたみ君 でした(笑)。
あたみ君って今だに年賀状に書かれていると懐かしいね。
日大三島時代は 坂本さん でした。
先生の何人かも 坂本さん って呼んでたし、かなり貫禄がありましたからね。
最近はブデンさん、ブデンちゃん、ぶでん、たまにブタ・・・。

本名は?って聞かれることも多々あります。
何で私が武典(たけのり)なのに(ぶでん)と呼ばれるのかお話しましょう。
私の本名はもちろん武典(たけのり)です。
私が産まれたときに父と母が名前を考えました。
その中で昔、父親の家に大きく立派な強い『馬』がいたそうです。
その馬の名前が『武伝(ぶでん)』といいました。
その馬のように大きく立派になるようにとの思いで、私の名前を『武伝(ぶでん)』と決めたようです。
それを聞いた時には私の名は馬かい・・?ってちょっとショック。
しかし、まあマスオさんだった父も考えたのでしょう。
坂本家のことも考え、私の祖父の名が徳則(とくのり)といいますので、祖父にも気に入って欲しい。
『武伝』の一字と『徳則』の一字をとって『武則(たけのり)』が一番良いと。
でも、父母も ぶでん という名前にこだわりもあり考えた末に『武典』ぶでん と 書いて たけのり と読むようにしたようです。
まあ、そんなにも考えてつけてくれた名前は嬉しいよね。
私も教室の名前をつける時に悩みました。
その時に自身の名前の由来を思い出し、そうだ ブデン を使おうと。
今はすっかり ブデン になりましたね。
でも、一番呼ばれてほっとするのは たけのり って呼び捨てが嬉しいかな。

メガネ人生 - 2008年04月24日


私は高校1年からメガネをかけている。
中学からメガネは必要になったけれど、常にかけるようになって15年たったんだ。
上の写真のメガネは今現在使用しているものの一部。
まあ、どうしても気に入ったものを常にかけてしまうけれど、気分で少しずつ変えてる。
『メガネは~顔の一部です~だから・・・』ってコマーシャルがあったよね。
確かに顔の一部だと思う。
私のように毎日黒い洋服しか着ない人間は、メガネで空気や雰囲気はすっと変わるんだ。
いいメガネはひとつ10万位するけど、安いものは安いよね。
最近は安いし、30分で出来上がるから、多い時は10本まとめて作ります。
そんなにメガネばっかり買って!って言われることもあるけどね、
ほんと、パンツをかえるようなもんですよ。
おかしい?そう思えば普通でしょ。

二人の時間 - 2008年04月25日

今晩もカズミ夫婦といつもの焼肉屋へ。
この二人との時間は本当に心地良い空気が流れます。
食事も楽しいし、話も面白いしね。
今日もカズミとトモちゃんからすっごい興味深い話が!!!!!!
私もね、それは昔から大切なことだと思ってたからね。
すっかり聞き入ってしまいましたよ。
トモちゃん、13日過ぎたらさっそく〇〇してみます!!
内容は極秘・・・・・!
そんなためか、ご飯を残してしまい帰りに焼き肉屋のオヤジさんが、
『あんた、今日は珍しく残したじゃん』って。カクテキはおみやにしてくれたりして(笑)。

私の教室には私と同じ歳のいとこと同級生の娘さんが通ってくれています。
私にも子供がいていい歳だもんね。
子供はまだでも、カズミのように素敵な奥さんがいてもいいお年頃ですか。ハハ。
一人より二人の時間は素敵だろうね。
いとこも素敵な旦那さんを見つけて結婚しました。
幸せな毎日のようだし、私もそんな姿をみて嬉しくて涙が出たよ。

貴子良かったね。おめでとう。
二人の時間か・・・・。僕の時間って絵は描きましたがね。

休日 - 2008年04月30日

起雲閣は今日が休館日。朝はゆっくり過ごす。
10時過ぎにU税理士事務所のKちゃんがアトリエに。
Kちゃんは中学の同級生。生徒会長もやり、頭もいいし、運動神経も抜群。
今は税理関係をお願いしてるので、月に2度は来てくれるのです。
今日はちょっといろんな話ができて楽しかったよ。Kちゃんいつもありがとう。

さて、私は休日とは言え世の中は動いてます。
午後は近所のSU銀行へ。あー混んでる(-_-;)・・・。
あまり銀行へは行かないので、ちょっとキョロキョロ・・。どこが開きそうかな?

『あ、先生ご無沙汰してます!!』

A支店長でした。このA支店長は今までの支店長になく素敵な人物。
見た目もカッコいいし、話も空気感も素敵だよ。
去年は日展に私の作品を見るため東京の国立新美術館までわざわざ行ってくださるし。
いつも親切にしてくれるんですよね。
Aさん、またアトリエに遊びに来てくださいね、そう言って銀行を後に。

今日は空もきれいでした。

夜はパートナーのDと来週の打ち合わせ。
お互い不安はあるけどさ、僕ら二人が力を合わせればできないことはないよ、D!
親の七光りでなく、もちろん親の仕事を引き継ぐこともなく、親から一円の借金もしないで
お互い自分一人で事業を立ち上げ今の生活にたどり着いた僕ら。
自分の力でなく、仕事もお金も親の力で何とかしてる同世代に負けないと誓ったよね。
そんな脛かじりなんか見返そうと!まあ、半分は無い物のねたみかな。
僕なんかも生意気だ、絵描きは絵だけ描いていろなんて散々言われてきた。
でもね、絵だけ描いて二十歳そこそこの若者がどうやって生活するの?
人は何とでも言う。
でも、時には歯をくいしばり家で涙することもあった。
今はそんなのなんとも思わない。どうぞご自由にってな感じ。
だって本当に応援してくれる人や見ていてくれる人はいるんだもん。
その方たちや家族、友人に常に感謝して自分に正直に生きたいよね。
それこそが大切なんだ。
D焦らすゆっくり見極めてやろうよ、大丈夫・・・安心して。

明日もいいことありそうな。
いや、あるように生きれば良いことは毎日あるさぁ。

心と地球が揺れた! - 2008年05月08日

昨日の夜の熱海青年会議所は設立例会。
最近は会員も減少しており、全盛期の半数・・・さみしいね。
設立例会とあって久々に多くのOBや歴代理事長の出席もあり久々に緊張感があって良い例会でしたね。

来月には三人の新入会員を迎えることができそうで嬉しいね。
どうも、JCってイメージは市民には良くない。
呑んで騒いで金を使う、金持ちのボンボンってね。
まあ、僕もそう思ってたし僕が入会するって親に話したときもそう言われた。
『JCなんかに入会するのか!』ってね。
でも、正直今はそんなにみんな景気は良くないし時代にそった空気。
何よりメンバーみんな素晴らしい素敵な人ばかりだよ。
毒舌の僕が言うんだから本当です。
OBも現役メンバーも何て言うのかな、気持ちがあっていい人間ばかりだよ。
僕は正直こんな会に入れてよかったと実感してる。・・・あんまり褒めるのも良くないかな。

さてさて、今日は午前中から来週のグループ展の制作の仕上げにかかる。
作品は『月 GETU』 S40号を出品します。あとはデッサン。
まだ、12日の夜まで制作は続きます。
夜はまた定例の食事会。今日は下田は母の日の準備で欠席。花屋は稼ぎ時だもんね。
珍しく鎌田君が来ました。カズミ、ともちゃん、鎌田、僕と4人でいつもの焼肉屋へ。

今日は塩レバーの日、もちろん塩レバー、タン塩、厚切り、上カルビと・・・。
でもね、最近の僕らはロースが良いね。歳かね・・・。
なんか、食べることが目的のように思われるけどね、情報交換が目的。
いろんな話ができて今日も良かったし楽しいひととき。
食後は場所をカフェに移してまたいろんな話。

人の情報は素晴らしい、心が躍るね!楽しいんだもん。
その後、僕はみんなと別れてDとの打ち合わせ。結局3時間・・・・。

そういえば!Dとスタッフのカズヤ君といる時に『今日は地震がくるよ!』と僕が予言。
そんないつもの耳鳴りと予感がしたの。これもやはり的中でしたね!
その日のうちに2度の地震!!
予知システムより僕の方が凄いじゃん!!!

休日を感じない僕 - 2008年05月24日


金曜日の夜って、サラリーマンの人にとっては最高の時間なんでしょうね。
土曜日、日曜日って休みを満喫するんだろうしね。

でも僕には休日はありません、っていうのか毎日が休日のような生活なのか?
確かに休日を満喫とか、おおっ!今日から休みだーって幸福感はないね、別に。
毎日忙しく仕事をして、束縛された時間、上司に怒鳴られ、営業先にペコペコ頭下げて
家に帰っても妻や子供に邪魔ものに・・・・悲惨だよね。
でも休日は休日として自分の時間を楽しむ・・・。

僕はね、毎日を自分の時間で動きます。
正直、大学を中退したときからこの生活をしてるんですが
よく生活してこれたなって思うよ、実際。できるようでできないよぉ。
働きに行く場所もないし、家にいるだけなんだからね。
もちろん、親には一円も助けてもらったことはありません。
まあ、いいや。興味はないでしょうが僕の平日の一日を紹介しましょうね。
11時に起床かな。まずお風呂に入ります。ゆっくり一時間。入らないと目が覚めない。
それから書類の整理とアトリエの掃除。
そのうちにまあ、一階の月の渚にどなたかお客さんが来てたりするので話して
ブランチです。
今まではだいたい毎日ランチは食事に出かけていました。
そうね、魚料理のさいとう、中華の幸華、壱番、スコット、クレール、
宝亭、シュマンなどを変わり番子に。
でも今は毎日、月の渚で食べますね。
それから15時頃からアトリエで本を読んだり、スケッチしたりする。
海を見に散歩もするかな。車が運転できないのでほとんど歩くよ。
夕方は植木に水を撒いてね、みんなと話したり。
夕食は友人と外で食べることが多いね。
帰ってアトリエで絵を描く。夜中の2時くらいまで。テレビはほとんど見ませんね。
好きな番組はたまに見るけど。
その後はお風呂に入って音楽を聴いたり、ネットかな。
で、4時に眠ります。
まあ、だいたいこんな感じの毎日です。
皆からすると毎日が定年退職後のオヤジの日課だろって・・・(^_^;)
まあ、仕方がありません。
その代り、サラリーマンのように安定した給料はありませんしね。
まあ、どちらが幸せなのかは一生を終える瞬間に判るんでしょう。
でも、休日の幸福感を味わってはみたいですよ。

学校教育の難しさ - 2008年05月27日

昨日はすっかり疲れ果てぐっすり眠れました。
朝は昨日と同じく7時に起床、8時10分にF先生が迎えに来てくださる。

いつもの看板ながらこういったお気持ちが嬉しいですよね。
さーてと、今日は日本画制作の最終日。なんとか仕上がるようにしたいよね。
始まる前に金を準備。子供達も先週やったのでさっさと塗り始める。
こういったところが子供は凄いよね。そして墨の濃淡の練習もして、墨で絵を描いていく。

しかし、学校の先生は凄いですね。通ってみるとよく解る。
とにかく子供は皆違う。しっかりした子もそうでない子もいる。
そうでないどころか、全てを乱す子もいる。
仕事とは言え、今のうるさい保護者の事も考えながらクラスをまとめる。
まあ、学校や家庭をしっかり把握して意見を言う親は良いですが、
自分の子供を守ることを重視し、学校や先生にすべての責任を押し付け
協調性の無い保護者は多くなってるように感じます。
それは本当の愛ではないと思いますね。
学校の先生も人間。子供が好いてくれれば大切にしてあげようと思うのは仕方ないよね。

手のかかる子にすべての時間を費やしては学級崩壊につながる。
かといって能力のある子どもに標準をあわせて進めていてはいけない。
なんとも難しいものです。
朝から夜まで仕事は多い。公務員は税金泥棒だなんて教師には言えないよ。
かなりハードな仕事だと思います。
定年まで毎日この生活は本当に 教育者 でなければできませんよ。
尊敬します。
と、同時に教育者(教員)の日々の勉強ももっと課題になると思う。
数学を専門に学んできた若い先生が、一番脳みそが大切な時期の小学生に
間違った芸術を指導し、学ばせることは危険だとも思うんです。
芸術は1+1=2ってわけにはいかないからね。
学校に行くとこれにすぐ気がつくんだ。あーあ、この教師は国語専門だねって。
心で描かせないで理屈で描かせる傾向にあったり。
まあ、そのために僕はボランティアで学校へ行くんだよ。先生には悪いけど、枠をぶっ壊してしまうの。
子供に絵を好きになって欲しいからね。それだけです。
桃小のみんなも完成しましたー!




みんないい笑顔ですね。それに比べて僕の無表情。なんか疲れがでてね。
でも、充実した3日間でした。
今日も楽しみの給食。豚の生姜焼きとけんちん汁でした。

帰りに教頭先生がもう今回の講義をまとめたプリントを作ってくださる!
凄いよね!

夢と現実 - 2008年05月29日

南カリフォルニア大学の映画学科をでて、ILMに就職します!
ってのが6年の頃の夢だった。
とにかく映画が大好きで、好きな映画は100回でも見ていた。
スピルバーグやジョージルーカスが小学3年の頃から大好きで、ルーカスの会社ILMで働くために
YMCAの英会話教室にも通った。
映画はもちろん字幕で見る。セリフは解らないまでも英語で暗記した。
そのお陰か、中学の市内英語弁論大会は総合優勝もしたしね。
高校大学時代も朗読するとあなたは帰国子女ですか?って・・(笑)。
映画監督になりたい、それかテレビ局で働きたいとも思っていた。
映画の世界や映像の世界に魅力を感じていた。

その間には漫画家にもなりたかったなぁ。
藤子不二雄が大好きで、パオパオチャンネルのドラえもん・ドラ博士大賞にも出演したかった。
母に止められたが、出演してたら絶対優勝は僕のものだったに違いない。
中学は鳥山明のドラゴンボールを毎日模写。
先生やら友人、近所の子供からも毎日のように書いて欲しいと注文が来た。
キョンシーのお札もどれだけ書いたのか(笑)。
思いっきり探偵団覇悪怒組にもなりきってしまい、セットは全て買い、友人たちを巻き込んで
山梨の別荘でキャンプまでやった。
グーニーズの映画は最高にはまり、やはり友人に役をつけて毎日探検。
僕は大好きだったキー・ホイ=クァン(データ役)になりきった。
あるはずのない海賊の宝を探しに山の中にも行った。
いつも先頭になって友人たちを巻き込んで毎日楽しんだね。

あーあ、現実はどうだろうか。
でも意外とそのままなのかも。宝物さがしはまだ続いている。
夢は今でもあるよ。なきゃ生きてられないしね!


DEBUでなかった頃 - 2008年06月02日

坂本は昔からデブだった・・・・・そんな噂はどこから出たのだろう。
僕だって痩せていた時代はあるんですよ。
と言いますか、今の姿も仮の姿。
もうじき痩せる時代が来ることは解っているのです。

確かに昔は痩せていた。太るなんて思ってもいなかった。
幼稚園の頃から空手を習い、小学校時代は水泳、陸上とスポーツ三昧。
走っても学校で一番早いのは当たり前でした。
絵の坂本 というよりは スポーツの坂本 でしたから・・・。
写真を探したのですがあんまりないんだよね、その頃。

これは6年の運動会。
かわいらしい少年時代ですな。
中学入学の身体測定の表がありました。
身長162センチ 体重41キロ  今の3分の1の体重・・・・(-_-;)
太った原因は何か。
まずは運動をやめたこと。運動神経抜群の僕でしたが、球技は嫌いだったの。
あと、今もそうですが、みんなで一緒のスポーツってのが嫌。
ほら、空手も短距離も水泳も一人でのスポーツでしょ?
自分が悪ければ自分の責任ってのがそのころから良かったの。
その頃の熱海中学には陸上部が無かった。
そんなこんなで絵をやるようになり、運動とは離れてしまいました。
そこからブクブクと大きくなっていたのですね、残念なことに。
追い討ちをかけるように、夏休み前に微熱が続いたんです。
そうね、2週間ぐらい。
その後でしたね、さらに食欲と体重が増える増える。
卒業の頃には90キロを超していましたから。
3年で50キロ!!!
ひどいもんですよ。しばらく会わない親戚なんか会っても分からない。
僕だって気付かないんだから。
でも、心の勉強にはなりましたね。
いつも運動が得意な人は、苦手な人の苦労や嫌な気持ちが解らない。
僕は解りますから。風をきっていつも先頭を走る気持ち、皆においてかれ最後にゴールする辛さ。
そういった意味では神様に感謝してます。
光GENJIのまねをして毎日ローラースケートもしてました。
彼らがミルクボーイの服着てたらそれを買いに都内まで行ってみたり。
かわいらしい少年でしたよ。
でも、小学校では番長でしたよ(笑)。
みんな恐れてましたから僕のことを。ケンカ毎日でしたからねぇ。
他の組ともめた時も(あ、組って学校のクラスですから・・)1対15人でサンビーチで
ケンカやりましたよ。バッタバッタ投げ飛ばし、一人の僕が勝ちましたけど。
同級生にはみなから『武典さん』って呼ばせたり、登下校は毎日竹刀を片手に・・・。
美幸先生にも毎日怒られてたしね。
でも低学年の頃はいじめられっ子でした。毎日泣いていました。

こんな過去以外でしょう?
そんなこともあって中学からはみんなから人が変わった!って言われるほどに
真面目君になりました。なったって言うのか終わったのよ。
僕は区切りをつけるのが得意な方で、今日から明日からって決めたらやりますからね。

でもね、僕は太ってから本当に幸せになった気がするんです。
だから痩せないで頑張ってこの体型を維持してきました(笑)。
でもいよいよ卒業します!
この夏が勝負ですな。

このころよくベトナム人に間違えられたなぁ・・・ハハ。
今は無き長い首がぁ。

仕事をするんだ! - 2008年06月11日

昨晩から熱海の釜鶴さんから依頼された仕事の仕上げのために徹夜。
かなり前に完成してましたが、さらに納得するまで修正。
絵って終わりがないんでね・・・・。

午前中、高校時代からの親友の大吾が奥さん、子供と仕事の依頼をしながら遊びに来てくれた。

大吾の家は静岡市にて大きな酒屋(株)ハギニシキ、掛川では曽我鶴・萩の蔵酒造を経営。
そうね、高校大学時代は京都や大阪に車で旅行したり、ホントによく遊びましたね。
家庭をもつとなかなか会う機会さえ無くなる。まして子供が小さいとね・・・・。
さみしいけど、これが普通の人間の常識でしょうか。
大吾も家業や家庭を守るために一生懸命働いている。
当たり前のようで僕には無いことだから、なんだか考えさせられるね。

今回は彼の会社で使うお客様へ送るオリジナルのハガキのイラストと葉書を依頼されました。
可愛く、大吾の会社のイメージアップになるような素晴らしいものを描きますよ。
絵画の仕事だけでなく、こういった仕事は違う脳みそを使うので楽しいです。

私も自分のため、家族のため、会社のためにも頑張って描きます。
最近、雑務が多かったので今日から心機一転仕事します。
描く生活を中心に考えなくてはね、僕らしくないから。
7月下旬に個展の予定で今日から30枚描きます!


写真は大吾の会社のお酒『天虹(てんこう)』

足跡は消せない - 2008年06月12日


これ、何だと思います?
現代アートではありません。
窓を開けたら地面にこんな跡がついていました。
車、人間、そして犬の足跡です。

こんなものにもなんだか考えさせられましたね・・・。
人間って生きていることも、歩くのも全てに足跡が残ってるんだよね。
何気なくやってしまったこと、良いことも悪いことも。
過去のことだなんて言えるのは自分の慰めでしかない。

僕も何となく過ごしてしまう時間がある。
何にも考えないで朝を迎える、食事をし、空気を吸って生きている。
でも、全てに足跡って残ってるんですよね・・・・。

命の時間は決まってる。こんなことではいけないよね。
欲しい、食べたいなど欲求は増えるばかり。
最近はそれほど成長したような感じもしない。
19歳で日展に最年少で入選した頃の意気込みは自身に感じられない。
当たり前を当たり前と感じない人生を歩みたい。

環境に汚染されたいように、自分を毎日振り返ろう。
今日は、熱川教室で教室の生徒さんに『坂本先生、将来〇〇のような〇〇になってください』
って励まされた。最近の自分に反省した。
僕は絵を描くしかないんだんもんね・・・・。

ゲルニカを見て考えさせられる - 2008年06月13日

4年海組の授業。クラスによってこんなにも空気や学習能力が違うのかと驚きがあった。
今日は先日の半分の内容しか伝えられなかったような気がした。教育とは難しいものですね。
図工室の後ろにピカソのゲルニカが貼ってあった。

どんな絵なのか以外に知らない子供たち・・・。戦争と平和について考えてもらった。絵描きは絵を描いてその時代や自身の考えを伝えることもできるのですね。

先日の秋葉原の事件など、身の安全はどうやっても守りきれない世の中なのか?
事故があってから、悪いことをしてからでは遅いよね。
政治家の責任にはしないけど、国会見ててもあんたたちの押し問答は下らんよって言いたい。
本当に世の中を知ってるのか!
経済は安定なんて本当に思ってるんだろうか?
この夏も500万のボーナスを貰い、選挙は政党から金が出るあんたたちが不況が解るのか?
いつでもタダでグリーン車を乗り回し、安い家賃で高級官舎住まい。
いつでも来賓扱いの勘違いの人間たちが本当の国民の気持ちなんか分かりっこないよね?

今一度、友人たちの国会議員にも話したい。
もちろん、市長や県議や市議たちにも。
もっと歩いて歩いて知って欲しいね。
私たちもすべてを考えて行動しないといけませんよね。
そして議員たちに意見をぶつけないといけません。
もちろんみんな頑張ってはいますけど・・・。ごめんね勝手な意見で。

平和な世の中は当たり前であってほしい・・・。
ゲルニカを見ながらそう思いました。

静岡は今日も曇ってた - 2008年06月24日

昼過ぎの新幹線で静岡に。

今日から始まる県日本画連盟の展覧会を鑑賞に。私の教室からも2人が会員として出品。
会員も一般出品者も素晴らしい作品が多かったですね。
でも、年々こういった組織は会員が減少してるようです。
原因は行ってみて良く解りました。ここでは書きませんが。
そんなこともあって、とある理事さんからお話をいただき伺ったというわけです。
まあ、10年後にはよくなってると思います。どんな組織も同じ問題ですよね・・・。

会場を後にして、友人の大吾に会う。
先日の仕事の再確認と、資料を受け取る。
朝もお昼も食べなかったので駅ビルの洋食屋に。
なんとかランチってのをいただく。

注文して3分くらいで出てきた。ビックリ。
見た目は美味しそうでお子様ランチのようで可愛い。
味は・・・・。ってなわけで店名は控えます。

友人との時間は心地よい。
一時間足らずだったけど、良い時間だったよ。
大吾と別れて街に出る。
空を見上げると僕の嫌いな感じの曇り空。
本当は蒲菊で大好物のちくわを買って、
やはり大好きな美代志寿司で食事をしたいと考えていましたが気分がのらずに帰宅。
夜中までアトリエで仕事しましたよ。

突然の別れに・・・ - 2008年07月19日

祭りの最中に三島のHさんのご主人が他界された。
先日、Hさんと榛葉さんの食事会でお会いした時ももちろん、細野の報告会の時も
御主人の話が出て、もちろんお元気だった。

10日ほど前に倒れられたと伺った翌日も、ほとんど良くなって普通病棟に移り、
筆談で冗談も言っておられたと聞いていたので、本当にショックでした。
昨年は我が家での花火大会をとても喜んでくださり、琵琶湖へも一緒に旅行させていただきました。
いつも笑顔で気配りをしてくださったご主人様。
富士で食品会社の専務として活躍され、高校も大学も日大と私の先輩でした。
葬儀の際も多くのご友人が参列され、悲しんでおられました。
私も通夜、葬儀と参列させていただきました。
Hさんもお寂しいと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。


空と雲と - 2008年08月19日


僕は屋上で空を眺めるのが好きだ。
これは昔からそうだった。
遠い空の向こうを想像し、雲の動きを楽しむ。
空を眺めていると、人間であって空気になるような瞬間がある。
この地球の一部と感じることがあるんだよね。

小学校時代、木々の木漏れ日の美しさと、その葉の間からの青い空に感動していた。
学校の帰り道、来宮の楠の森は恋人のような感じさえした。
そこからの空はなぜか宇宙さえ感じてた。
抜けるような空は優しさも厳しさもあるよね。
・・・・自分だけの時間。

今日の空も美しい。
龍が現れた!!

一瞬のこの僕だけかもしれない発見がたまらなく心地よい。

日が昇り、日が沈む。
昼の湿った空も、雨にぬれた苦しみ色の雲も、夕に染まった心に沁みる茜色の雲も。
暗闇に輝く月と星を映えさせる紫紺色の空も美しい。
今日の空も明日の空も空は空。
まあ、美しいものは美しいんだ。
言葉じゃあないよ。
理屈じゃあないんだよ。
ただただ、僕の細胞が感じ感動してるんだ。

考えてしまう脳みそ - 2008年10月10日


よくですね、親にも友人にも最近では仕事のパートナーのDにも

『毎日何を複雑に考えているの?』

って言われます。
確かに自分でもよく毎秒いろんなこと考えんなって思うわけですよ。
何をどう考えてるってことは無いんだ。癖なんですね。
あーしたら良くなるかな、これはこうしたらとか・・・。
先の先の先を考えてしまうんだ。この脳みそどうしようもないんだよ。
理想ばっかり高いと言いますか・・・。

昔は我が家は代議士も出してる家ですが、ごく普通の家庭に育ちました。
親の七光りも財産も全くありません。
親が有名人で、事業家で『ああ、〇〇さんちの坊ちゃんですかー!』なんて言われたことはない。
同級生でも近所でもいましたよ、自分から〇〇の息子ですってアピールするの。
まあ、無い物の妬みでしょうかね(笑)。
でも、その分悔しさというのか頑張ろうって気持ちは人一倍ありましたよ。

会合へでても、式典に行っても壇上の人とそうでない人がいる。
誰だってひな壇に上がりたいよね。
幼い頃からよく母に『あのおじちゃんは何であそこに上がれるのぉ?』って聞きました。
『たけのりも一生懸命勉強して、一生懸命働けば大人になってそうなるよ』って言われたもんです。

でも僕の理想はね、
毎日朝早く起きて、愛妻弁当持ってさ汗びっしょりになって働く。
もくもくと働いて仲間と世間話して笑いながら昼飯をもりもり食べる。
それから夕方まで妻のため、子供のために疲れ果てて働く。
家にまっすぐ帰ってさ、『お父さんお帰りー』って妻や子どもに迎えられて
『汗臭いねー、お風呂にはいろー』とか子どもに言われながら湯船につかる。
風呂からあがると奥さんがご飯作ってあって、テレビを見ながら家族でモリモリ食べる。
ビールを一缶呑んで、テレビを見ながらうとうと・・・。
そして疲れて何も考えないでぐっすり眠る・・・そして繰り返しの朝が来る・・・・。
これ、理想ですよ。ホントに。

勉強も仕事も人一倍頑張ったということはありませんでしたが、
なんとかして自身の生き方を作りたいとは常に考えてましたし、
ひとと同じことはしたくありません。
今も毎秒そんなことを考えてるんですかね。


物価高騰はこんなとこにも!! - 2008年11月01日

仕事を終えて夜の11時近く、親友のカズミから電話。
『たけちゃん、ちょっと話あるからお茶しない?』・・・と。

車で港近くの某ファミレスへ。
カズミからは楽しい話が聞けました。しかし、いつもいろいろなアイデアを考えて面白い。

で!注文したキャラメルハニーパンケーキがテーブルに。

『え!こんな小さかったっけ!!』と僕。

粉は高くなったからだよ!とカズミ。

僕なんかは50円高くても、そのままの大きさの方がよかったなぁ。
絵具も紙も高くなる、でも絵の値段はそうは高くはできないのが現状なのにね。

人間って悲しい・・・? - 2008年11月02日

確かに毎日充してる気がする。
絵を描く生活、家業、素晴らしい友人たち、そして頼もしいパートナー・・・。

でもね、でも・・・どうしても悲しくなってしまうんだ。

この世界に生まれたしあわせと宇宙の摂理の束縛・・。
そんな中で、毎日葛藤し続ける。
人間は難しい、一人で生まれてきたがひとりでは生きていけない。
組織を作り、生きていかなければならない。
人間という括りであってもそこから男、女となる。
それがくっつき結婚しないと家族という組織はできない。
種族繁栄のための節理とは言え、これが当たり前になったその真理を知りたいね。

生まれ、育てられ、考え、行動し、育て、介護され死んでいく。
人間って本当に難しいですね。
そして、素晴らしけど悲しいね。

いつかは死んでいく。
狩りをし、獲物を獲ないと食べれない時代を数万年前に終え、
農耕と牧畜で食べ物を常に得れる時代をむかえた。
それによって人間は生きながらえる力を得た。
医学の進歩で人は100歳を超えるまで生きれるようになった。

平安時代はふくよかな女性が好まれ、現代は痩せたスタイルのよい女性が美しいとされる。
たった数百年で見方や教育は変わる。
人間って何なの?

とにかく考えると悲しいんだ。
午後のひと時、友とカフェにいながら涙が出た・・・・。

33回目の節目 - 2009年03月23日


今日は私の33回目の誕生日でした。
朝起きて、まずはお風呂にゆっくりつかる。
身を整えて、神棚と仏壇に感謝の拝礼。

中学時代、担任が確か33歳くらいでずいぶんオジサンだなぁって感じた。
そんな歳を過ぎてしまったのですね・・・。

昨日の夜はささやかに誕生パーティーを開催。
そうですね、二十歳の時から誕生会は人から祝っていただくのでなく、
僕がこれまでお世話になった方に感謝する日なんだと、
私が企画しおもてなしをさせていただいてきました。
いつも絵のことで応援いただいている皆様と友人とをお招きし、私の好きなクレールで食事。
楽しい会話とたくさんの料理に嬉しいひとときでした。

写真の花は親友の下田が誕生祝いにアレンジしてプレゼントしてくれた。
素晴らしい感性と気持ちが嬉しかったな。

朝から友人の木井君やら健君、スタッフの貴ちゃん、典子、マネージャーの近藤さんをはじめ
多くの友人達からお祝いメールをいただきました。ありがとう。
お客様からもケーキやら刺身の船盛りやらお菓子などたくさん頂き恐縮。
その後は仕事。
熱海、三島、沼津へと行く。沼津は長い間入院されていた松山先生が退院されたと
細野事務所のスタッフから聞いたので、お見舞いに。

仕事を終えて、一人で森ちゃん寿司にてのんびりする。
僕の熱海で一番好きな店で自分だけの誕生会かな。
帰りは友人の家に寄って、森ちゃん特製の寿司折を差し入れして
33回目の節目を終えました。

さてと、今年はバリバリ絵を描くぞ。

日本に対する思い - 2009年03月24日

WBC・・・朝から日本中がハラハラしたよね。
私はこの人生、スポーツ観戦ってのはテレビでもほとんどない。
まあ、テレビ事態をほとんど見なくなったので。
そうね、興味が全くないの。

まあ、見るのは相撲くらいかな。それもたまに。
私の父や伯父は野球の推薦で明治大とかに入ったくらいだから、
本来は野球とかしてるように思うだろうけどね。
野球はルールも知らない。

ただ、今日はかなり子供のように応援しまっくった。
一時からはマネージャーの近藤さんと、カメラマンの澤野さんがアトリエに。
しかし、三人で夢中になって勝ったときは大騒ぎ(笑)。
イチローってなんかカッコよすぎる。
生きてるうちに会ってみたいと思いました。

熱海では最近、絵のお客様のお孫さんが甲子園に出場することで
かなり盛り上がっている。
文化的なものは、市民をあげて応援してくれることはほとんどないけど、
野球やゴルフは凄いですね。でも、確かに応援したい気持ちは理解できる。

少なからず、日本という国への思いを感じた一日でありました。

麺に始まり麺に終わる - 2009年03月26日

しかし、僕のブログは食べ物のことばかりですね。
ホントに絵描きなの?って聞かれますが絵描きです。
どうしても写真を撮ることが食べ物だからでしょうか・・・・。

さて、今日は熱川教室の予定でしたが、生徒さんの都合で本日は中止となりました。
予定があき、スケッチでもしようとアトリエにいくと電話のベルが。

『おう!先生!あんた調子はどうだい?』と長泉のTさん。
4月に搬入予定の120号の大作を見てほしいとのこと。
じゃあ、今からすぐにしたくするよと。
で、電車で三島駅へ。予定時間にロータリーにTさんのシルバーのベンツが到着。

『さて、今日はどうする?イタリアンか?たまには蕎麦にするか』Tさん。
そうね、今日は朝ごはんもまだだし、蕎麦にしようとのことで人気の蕎麦屋に。
着くと満員。
前にも書きましたが、ほんとに田舎の蕎麦屋って感じのお店ですが繁盛してます。
天もりのごはんセットを注文する。


値段の割に海老も良いものを使ってるし、ごはんセットの肉じゃがも旨い。
心がほかほかするんです。
絵の前の食事は、いろんな話ができて楽しい。
特に個人レッスンは交流が大切なんですよね。
僕の教室は必ずティータイムがあります。
土曜日の教室は何と母の手作りの夕飯まで!
それをみんなで楽しみながら話をする。大学受験のライバルじゃあないんだから
こういった時間は必要だと思う。
心の空気が通わなきゃ、信頼して話なんか聞けないもんね。

で、それから3時間レッスンを。
終えて、熱海に帰る。
その後は月一回の青年会議所の理事会。
今日は僕の提出した事業の協議審議があった。
3時間、内容の濃い理事会だったと思います。

終えて懇親会。
場所は中華料理店。
〆は広東麺。麺にはじまって麺に終わった一日だった。

気持ちの良い一日 - 2009年03月29日

午後、仕事の打ち合わせがあって駅近辺に出かける。
お客が減った減ったとは言うものの、駅前の平和通は人でごった返していた。
さすがは観光地と嬉しくなった。
打ち合わせはスムーズに気持ちよく終わりました。

電車で沼津へ。
夕方にやはり仕事の打ち合わせがあったが、少し早めに出た。
友人の健君と会うためだ。
健君との出会いはパートナーのDの紹介だった。
Dと健君夫妻はブルーウォーターで一緒に働いてた仲間。
とにかく気持ちの良い青年なんだ。

『武さん、こんにちは!!』いつものように爽やかな健君。
今日はとても良い天気だったので、狩野川が見える場所でお茶しようとなった。
東急のカフェラウンジへ。

この景色がすばらしい。
気分が落ち込んだ時、この東急のラウンジと日本料理源氏でどれだけ癒されたか。
メニューを見ると美味しそうな苺のミルフィーユが!

美味しいものがあると話も空気も良くなります。

サラリーマンや同世代の人間たちとの話は、
上司の愚痴やら仕事の不満やら・・・そんな人間にはなりたくないと。
健君は3年後に自分の店をオープンするために頑張ってる。
将来に向かって頑張ろうとする、そして才能ある気持ちある人間が集まる店ができたらと
話してくれました。
健君のような空気を持った人ならできると思います。
約3時間、いろんな話をしました。
話の最中、私の顔を見て東急の源氏の接客責任者の山田さんが挨拶に来てくれた。

『坂本様、来月の賞味会も是非お待ちしております』

あ、そうでしたね。もうそんな時期ですか。
しかしこういった気持ちはほんとに嬉しい。

健君と知人の展覧会を拝見し、打ち合わせのため別れる。
打ち合わせも気持ち良く済んだ。
こんな日は全てが気持ちよく進む。もう寝る時間まで気持ち良いのはわかっていた。

熱海に帰り、そのまま元セゾン系社長夫人の梅園の御自宅へ。
今日はカレーパーティーに御招待を受けていた。
『坂本君、あなたのためにたくさんできてるよ!』とT婦人。

手作りのリンゴとキャベツのコールスローは心温まる味。
最高の白ワインとカレーもほんとに美味しかったです。

T夫人は御主人が電通の部長時代の話やら、日本の政治の裏の裏まで
興味深い話をいただいた。
愛蔵の絵画の名品も見せていただいたり、アッという間の楽しい3時間でした。

帰ってアトリエで仕事。
これもスイスイと気持ち良く終わった。
途中、Dとの電話打ち合わせも珍しく気持ちよくすんなり。
気分が良いので今日も森ちゃんへ。
あるご夫人から私の母の料理で心癒され、亡くなった母を思い出し
涙が出るような接客と料理だったと過分なおほめをいただきました。
自分のことはどうであれ、母のことをそんなに言ってくださるのは嬉しかった。

しかしこんな一日もあるんだ。
よく眠れそうです。


政治家という仕事 - 2009年03月30日

夜、久しぶりに友人で衆議院議員の細野豪志氏とケイタイで会話。
ちょっと、お願い事があったり声も聞きたかったので。

『元気?順調?』と細野。

『うん、まあまあだよ。え、もしかしてあんた酔ってるの?』と僕。

『そう、ちょっとね。』と細野。

最近はまた忙しいみたいでよくテレビに出てるよね。
小沢さんのドタバタやら、献金のなんたらで騒がしいようだ。
僕はあまりテレビを見ないから、良くは知らない。
でも、僕は西松建設の関係者にお世話になって仕事もいただいてるし
小沢さんも関係が無い訳でないから、あまり聞きたくはない。

民主党や自民党がどうとも関係ない。
細野豪志は親友だ。
もちろん、政治家としても友人としても素晴らしい人間だと思う。

人はさ、自分より眼下の人間は気にならないけど、自分と同じか上になるほど
知ったかぶってけなすよね。
僕も今までに知らない人から、こんなにもいろいろ言われなきゃいけないのかと
涙をのんだことはたくさんあります。

生意気だとか、絵描きは絵だけ描いてろとか・・。
つい最近も、知人の親から辛いことを言われ悩みました。

もちろん、僕も男だし一家の長です。
母や家庭を守るために時には強く言うこともあります。
私だって自身の家や財産を守らなければという気持ちは強い。

以前は市長にも年に数回、時間をとってもらい僕の意見を話してきました。
役所の方たちにも、委託された委員会でも街がよくなって欲しいと自分なりに
参加し、時には強く意見を話したこともある。

人によくだけ思われたいのは確か、でも良い人だけでは生きてはいけない。
強くも、厳しくも、時には頑固でもなくてはいけないと思っています。
基本は人に迷惑をかけない、人を大切にしたいと親にも教わってきました。
そうしてる自身はあります。
我を通すということと、正義は違いますよね。
ルールとマナーを守ってるのと、何も言わずに良い人で終わるのは訳が違う。
何をやっても、他人は悪くしか言わないような世の中になって欲しくない。

政治家は特に大変だよね。
こんな無名な小さい絵描きでさえ、いろいろ言われて胃が痛くなる。
細野も大変だろうと思う。
頑張ってる、応援したい、彼らしくどんなことがあっても信念を貫いてね。

出会いの素晴らしさ - 2009年04月06日

昨日も今日も10時の開場前にお客様が待っていて下さった。
読売の記事を見たという方や、友人知人。
いつも本当に有難いと思います。

小沢医院の大奥様、中島水産の麗子会長、元アラビア石油の宮崎様などなど。
いつも応援下さっている皆様には本当に感謝します。

昼過ぎには伊豆長岡にお住まいというご家族が来場くださる。
僕と食についての話で盛り上がる。
あそこのこれが美味しいとか、こんな味だとか店構えとか・・・。
共通の趣味を持った方との話は心地よく、こういった偶然の出会いに感動する。

『食べる』という話はときには卑しく思われますが、非常に素晴らしい文化ですものね。
絵でも音楽でも飲食でも、最高と感じるのは同じだと思う。
喜びを感じる瞬間はおなじ自分自身だし、僕の脳みそなんだから。


夕方は忙しい中を衆議院議員の渡辺周さんが、橋本市議と来てくださる。
周さんも橋本さんも僕の展覧会は欠かさず来場してくれます。
有難いです。

熱海の市議でもいつも案内や新聞報道あっても、展覧会に来てくれる方は少ない。
川口前市長は欠かさず来てくれたように思う。
斉藤熱海市長は今のところ一度もみえたことはないね。
まあ、文化にはほとんど興味がないようですから。
興味のあるなしもあるとは思いますが、政治家には身近な芸術文化に触れてほしい。

僕もこの仕事をしていると本当に多くの出会いがある。
人って同じ時代を生きるってだけで偶然だ。
故人に会いたくてもどんなに科学が進歩してもできないし。
今、横山大観に教えをいただきたくてもできない。
人の出会いはだからいつも偶然であって必然なのかな。

今日も新しい出会いと、再会に感謝します。

8月を迎えて - 2009年08月01日

ナントまあ、今日で8月になりましたね。
ブログを更新できないで早4ヶ月も経ちます。

中国に行きますって書いたまま、遠くの友人はそのまま居着いてしまったか
とメールをくれる始末。
間違いなく、この大好きな熱海で絵描き生活を満喫しております。

とにかくいろんなことがありましたよ。
楽しいことも、悲しいことも、素晴らしい出会いも!
まあ、また中国日記から書きますので、ご覧ください。

この写真見て『あ、坂本いよいよ政治家を目指したか!』と思われた方は
またこのブログで御説明しますので、お楽しみに!

取り急ぎ、明日から熱海市起雲閣にて二か月半にわたる個展を開催いたします。
過去の作品が多いですが、是非ともご覧いただきたくご案内いたします。

アフリカとおしるこ - 2009年08月02日

昨日から八月。
僕は正直夏はあまり好きではない。

そうね、世の中は賑やかに動くような感じはしますが
空気が鈍るんですよ。
心に新鮮な空気が入らない気がするのです。
まあ、僕の感覚なんですがね。

そんなカビそうな心を少し癒そうと昨日は親友の下田と美術鑑賞に。
MOA美術館で開催されてる企画展『アフリカの美』に行きました。
下田はこんな近くにいて、あまりMOAには来たことがないとのことで
『凄い建物だね~!』・・・・と連発。
僕は毎回企画が変わる度に来てますよ。

確かにここは本当に素晴らしい美術館ですね。
手入れも接客さえも。

で、今回の企画展は学芸員が変わったのか、今までの構成とはかなり違いました。
常設展の場所を入れ替えての展示。
見やすいし、展示の仕方も素晴らしかったです。
アフリカの美術をいろいろな角度から見れて、またその模倣をした名画や名作との比較。
子供にも大人にも分かり易くて良かった。
芸術は模倣からと、大学の芸術学の講義で始めに習ったことが思い出された。

『アフリカかなり良いね!』と下田。
感動されやすいこの性格もまた彼の良いところです。
アフリカのお面の携帯ストラップを早速買ってました(笑)。

あとは、僕の勧めで庭の茶寮 花の茶屋にてクリームしるこを。
庭を眺めながら二人で芸術と現実を語り合いました。
今日の結論は頑張るしかない!と、MOAの小豆はかなり旨い!との決着でした。

忙しい日 - 2009年08月03日

朝から来客でバタバタ。
電話も数件の対応に机上はめちゃめちゃ。
はー・・・・。
午後からスタッフのKと三島に行く。

三島では朝日テレビカルチャーの榛葉さんと打ち合わせ。
電話でしかお話してませんでしたが、とても若くて紳士的な方。

場所は良いのですが、人の空気が感じられない建物ですね。
これからが勝負ってところなのでしょうか。
私もお手伝いできるよう、毎日考えてます。

さて、それが終って大急ぎでKの車を走らす。
まずは友人の前衆議院議員・細野豪志三島事務所へ。
ここを訪ねるのは数年ぶりか。
入口には初当選の時に僕が書いた『細野豪志事務所』という紙の看板がまだあった。
なんか嬉しい。
久しぶりの事務所は選挙前とあってもの凄い荷物で溢れていた。

『さかもっさーん、いらっしゃい。』と岩瀬さんが笑顔で迎えてくれる。
親友のMから預かった細野への献金を手渡す。
話もそこそこにまた車で平山さんとの打ち合わせ場所に急ぐ。
先日のTシャツのデザインなどの話をして、
細野の選挙事務所のインテリアの話をするために選挙事務所を訪ねる。
三人の秘書と打ち合わせ。

そのまま隣にある、みしまプラザホテルの企画展に顔を出す。
『坂本先生、良くいらっしゃいました』と、美術の岡崎さんと室伏社長が来てくださる。
本当はゆっくり観賞をしたいところ、また次の予定のために足早に失礼する。

三島のとあるレストランに。
Hさんといろいろな打ち合わせ。

こんな日はたまにある。
僕の仕事は変わりはいない。手紙一つであっても僕が書かなくては意味がない。
料理はその人の味は何となくできるだろうけど、絵はそうはいかない。
だからやりがいはあるのです。

世の中は商売、カネ!金!という金の亡者みたいな友人も多い。
確かに金を持ってる、金を稼ぐ人間が偉いのかもしれない。

ホントにそうなのかい?

僕はやはり商人ではなくて、ただの絵描き。
お金が無くては食べてはいけないけど、お金を稼ぐために絵を描くのは嫌だね。
そんなことを語りながら、Kと大好きな小料理屋 竜田で乾杯した。

平凡の幸せ - 2009年08月11日

5時7分でしたか。
とにかくものすごい揺れに飛び起きた。
普段の地震とは揺れが違う。

『いよいよきたのか!』

母も私も一階の中心にあるキッチンに。
僕は眠さもあって、壁を一生懸命押さえてしまう。
上の階でカチャンっと割れる音がする。

母は飼い犬と鳥をいつでも連れていける準備。
僕も何となく水を溜めて、身近な貴重品を袋に詰めておいた。

我が家も鉄筋とは言え、30年経った古い建物。
私と母の二人には大きすぎる6階建て。
部屋数は大小18もある。
かえってこんな時は心配事が多い。

『ただいま大きな地震がありました。津波にご注意ください』

広報熱海の放送が、逆に神経を過敏にさせる。
われわれ静岡県民はいつも地震とは切っても切れない中で生活をしている。
もちろん、水や食料、薬の備蓄は怠らない。
しかし、いざという時は本当に気が動転せずに動けるのか?

当たり前で過ごす毎日が有難いと感じる。
地震なんかきたら絵を描くなんて必要なくなるのかな?
いろいろと考えさせられた。

一番にメールをくれたのは京都から静岡に引っ越してきた木井君。
『先生、大丈夫ですか?こちらは棚のものが全て落ちたのと
停電と断水はありますが皆無事です』と。
次に親友の洋子。北海道から釣賀などなど。
多くの友人知人からメールや電話をいただきました。

こんなときほど、友の有難さも感じますし、
とにかく平凡な生活は幸せなんだなって思いますね。

午後から予定してたスタッフKとの東伊豆へのスケッチは延期。
明日は無事に行けるのだろうか?

お墓参りの大切さ - 2009年08月15日

毎年、お盆の15日は山梨へお墓参りに出かける。
熱海の近所に住む親せきとの恒例行事。

朝は9時に出発。
せっかくだからスケッチもするつもりで準備する。

今回はじめて新しくできた伊豆縦断道路を利用する。
いつも混んでる三島市内を通らず、三島の谷田という箇所から長泉に抜ける。
非常に便利だ!
選挙になると、道路がどうのこうのって出るけど、
こんな便利になるならお金をかけても仕方ないね。
民主党の幹部さん、政権取っても道路はつくってね(笑)。


さて、我が家の先祖の出身は山梨県。
祖先は源氏の武士が流れてこの山梨県大月市に移り住んだと聞いてます。
今でもここには我が家の別荘とお墓があります。
小学校時代は夏休みの半分は山梨の別荘で過ごしていました。
庭って言っても2000坪もあるので、屋敷の横には沢が流れてましたし、
その沢の水を家の中にとおして水道替わり。
桂川の天然のアユと沢カニ、目の前でとった新鮮な野菜がご飯でした。
アユは広間の囲炉裏で焼いて食べた。
今思えばなんて贅沢な毎日だったのか。

その当時はそれが嫌で・・・。
祖母に頼んで買い物に行き、ツナの缶詰にマヨネーズをかけて食べるのが
何とも幸せだったのを思い出した。
その屋敷ももう150年経って、この15年はほったらかし。
今日は親戚の家に滞在することにした。

着くとたくさんの手料理でもてなしてくれた。
皆、山梨に来るのはお盆くらい。
八王子を中心に、葉山、茅ヶ崎、川崎などに住んでいる。
今回10年ぶりに子供達に会う!

子供たちって言ったら悪いか、もう聞いたら高校3年生と薬科大の2年生!
10年でこんなに変わるんだね。二人とも180センチの長身ビックリ。
あんなに小さかった子がすっかり今風のイケメン兄ちゃんになっててホントに驚いた!
昼間っから線香花火だって(笑)。
話すと昔と変わらない良い子たち。昔僕が書いてあげた似顔絵の話なども覚えてた。
近いうちに、都内で呑みにでも行こうよ。

で、お墓の草むしりに行く。
いつもは大月市のシルバー人材に頼むのですが、
今回は運動も兼ねて僕が。
いやー、お墓には無かったですが、墓までの通路がジャングルに(-_-;)。
4月に来て以来だったから仕方ないとは言え、2時間かかりました。

お墓もしっかり磨く。
日ごろのご無沙汰と、感謝をもこめてピカピカにしました。
お墓は自分の分身だとされてますね。
綺麗にすれば自分の心もすっきりする気がします。
小さな頃からお墓参りを大切にする家庭は素晴らしいと思います。

先祖に感謝し、自分がいずれ入るであろうお墓を磨く。
お墓参りは自分磨きの一つだと思います。


運気上昇の雲 - 2009年08月16日

昨日の久々の草むしりであちこちが筋肉痛で昼までのんびりしていた。
珍しく、寝室からでないでいたので母が心配して見に来たほど。

『ああ良かった、生きてた。具合悪くて死んでるかと思った』だって。

確かにこんな体系ではいつお迎えが来るとも知れない。
主治医の河西先生もいつも心配してくださるし(笑)。

お昼を食べに一階の月の渚に。
行くともう満員で、僕の席が一つ空いていただけ。
今日のメニューは地アジのムニエル・トマトソースがけ。

占術学の高真先生のとなりに座る。
新聞を眺めていた先生、

『お盆は海や川で亡くなる方が多くて気どくだわ。
先祖や霊に連れていかれることはあるんでしょう』

そうですね。
僕も母に朝、心配された身。
まあ、まだまだやり残したことはいっぱいあるので!

冗談はさておき、この一か月、クーラーを使わない日は一日も無かった。
とにかく僕は暑がりの寒がり屋。
悪く言えばわがままの我慢のできない体系ってこと・・・(笑)。

だけど、今日は過ごし易かったですね。
空気は湿気もなく、秋の感じさえした。
アトリエは一度もクーラーは可動しなかった。

三階のベランダにある水瓶の掃除をする。
何となくこれが濁ると運気が下がる気がするのです。
一時間かかって4つの水瓶をきれいにした。
メダカも喜んでくれた。
昨日のお墓と同じく、心がピカピカになった。

空を眺めると宝珠(ほうじゅ)のような雲がみえた。
やはり間違いなく運気は上がってるようだ。


仕事の価値 - 2009年08月17日

最近、友人たちと会うと必ず仕事の話になります。

給料がどうだの、会社内での人間関係とか・・。
僕はそんな愚痴を聞くと
『嫌なら会社なんかやめて自分で商売しな』って言います。

決まって彼らはそんなことはできないと言うのです。

僕は大学を中退して以来、就職をしたことがありません。
大学時代にアルバイトをする代わりに絵画教室を立ち上げた。
19歳で初個展をし、何となく絵の注文もいただけて33歳の今まで
アルバイトすらしないで画家として食べてきました。
自分の力とは思いません。
応援してくださる皆様や家族あってのこと。

でも、常にアンテナは張ってきたつもりです。
人生は一度きり、やりたいことはやってみる、それが僕のポリシーです。
失敗だって何度もあります。
その人のために、そのご家族の力になりたいと人生をかけて仕事し
結果として裏切られたこともあります。
でも、それも自分がやってきた人生です。仕方のないこと。
その分、人一倍華やかで楽しい人生とも感じます。

ただのサラリーマンではできないお付き合いもさせていただける。
元内閣総理大臣から一流文化人、一部上場企業の役員、芸能人からその道の親分まで。
そういった方たちだって、若い絵描きとしてでなく、
一人の画家として丁寧に接してくださいます。

そんな皆さんに絵をお納めしても、心から喜んで『ありがとうございます』って
反対にお礼を言ってくださる。

お金が欲しくて、お金儲けをしたくて画家になる人は一人もいない。
安定した生活を求めて画家になる人もいない。
有名になりたくて、女性にもてたくて画家になった人も聞いたことがない。

じゃあ、何故に画家になったのか?

そこなんです。絵が好きだから、絵を描いて自分を知りたいからなんです。
仕事ってそんなもんじゃあないですかね。

もちろん、今だって電通に入社できるならしてみたいとも思う。
テレビ局でバリバリ働きたいとだって思いますよ。

でも、そんなことより絵を描きたいのです。
そこに生活が無くなる瞬間まで、描いていきたいのです。

もちろん、理想と現実は違うけど、

それが僕の思う僕の人生をかけた絵の仕事なんです。


選挙のゆくえはいかに - 2009年08月21日

いよいよ日本が変わるような選挙になりましたね。

僕もよく後援者の方に画家はリベラリストであり続けなさいと言われます。
一定の政党を応援するのは仕事上良くないと。

確かに思いますよ。
でも、昔から芸術家と政治は切っても切れない関係にありました。
前にも書きましたが、私の大伯父は畠山鶴吉と言って自民党の代議士でした。
私の曾祖父も自民党系の初代の大月市議会議員です。
ですから我が家も根っからの自民党支持家です。
大伯父が代議士時代は自民党熱海支部が我が家の一階にあったほど。

でも、現在は細野豪志党?です。
友人の細野豪志を応援してるのです。特に民主が好きって訳ではない。
でも、細野が民主党なら民主を応援せざるを得ないよね。
細野豪志内閣総理大臣が希望だから(笑)。

今日も午後は渡辺周さんの弟の迅さんがご挨拶にアトリエに。
その一時間後には細野豪志の元第一秘書の田原さんがアトリエに。

まあ、とにかく一度政権を変わってみてどうなるかですよ。
だめならまた自民党を選択すればよい。

まあ、どのマニフェストも文化には全く触れてないのが考えもんだけど。
それはまた細野や周さん、京都の健太さんなどにお願いするとして。
再来週には日本が変わるのでしょうか?

美しい虹 - 2009年08月23日

9時36分の電車で沼津。

3時過ぎまで月に2回の沼津教室です。
今日は体験講習の参加者が2名。
僕の知人で日本七宝作家協会の西村さんの知人とか。
お二人ともとても上手でしたね。

昼休みは本屋で本を探す。
最近は美食の雑誌が多いですね。
今月はどの雑誌も『蕎麦』特集が多かった。
僕もこの秋から蕎麦打ちを習う予定ですから参考に数冊買いました。

午後の教室も終えて熱海へ帰る。
駅は大勢の人であふれていた。
そう、今日は花火大会。
今日は我が家の屋上にも花火見物のお客様が来る予定になっていた。
三島の本町うなよしや澄の坊を経営する伊藤社長とその友人方が20人ほど。

『あんたもほんっとお客さん多いよね。大変だね』と下田から電話。
下田は今日は町内のバーベキューとか。
僕はですね、正直バーベキューとかアウトドアは苦手。
昔、山梨の別荘では毎日夕食はバーベキューでした。
祖父が豪快な人で、庭に30畳ほどの大きな絨毯をひいて、近所の人とか親類とか
何十人も招待してやりましたよ、毎晩。
なんかそのトラウマでしょうかね。もうやりつくした感が。
アユ釣りしたり、山や野を探検したり。

でも、お客さんがたくさん来るのは大好きです。
準備とかも楽しい。人が喜んでくれるのは最高ですから。
そんなこんなで6階の屋上まで何往復かしながら花火の準備。

汗だくになりながらも、空気は心地よい。
その最中、ふと空を見上げると美しい虹が!!

虹は久しぶりに見ました。
『赤、ダイダイ、黄、緑、青、藍、紫』の7色。
自然の作り出す影も形もない芸術。
僕の描くぺったんぺったん餅つきの様な作品は足元にも及ばない。

ほんの数分のことでした。
何人が見てたかな。
これも幸運の前ぶれだ。神様、仏様、ご先祖様ありがとう。

空はもう秋ですね。


東京シモキタ生活 - 2009年08月28日


これもあまり皆さんには話したことはありませんが、
実は都内にアトリエというか、住まいがあります。
場所は世田谷の下北沢。
南でも北でも駅から1分の場所です。
『今更シモキタかい?』
って言われることもあったけど、シモキタは本当にいい街ですよ。
新宿渋谷にも近いし、熱海からは小田原、小田急で行けるし
なんといっても飲食店も多いし、素敵なショップやギャラリーもある。

僕の部屋は3階で、前が駐車場なので空もよく見える。
居心地は最高です。
引っ越してその日にネット関連の仕事をしてる大阪芸大卒の市川が。
ダイル夫婦やら下田やら多くの友人が来てくれました。

皆口々に『よくこんな物件見つけたね!』と。
まあ、こんな良い場所はもう見つからない。

だけど、仕事の関係で忙しくなってしまい、下北生活は月に3日ほど。
空気の入れ替えもできないし、困ったので友人の多い三宿辺りを検討中です。

下北の美味しい店とかはぼちぼち紹介いたします。

国民のメッセージ - 2009年08月30日


マスコミや世の中の情報のように民主党が圧勝しましたね。

6時過ぎころ、友人細野豪志の後援会の方から電話がある。

『坂本先生、今日は早めにバンザイできそうですから事務所に来てください』と。

確かに細野の最初の選挙から最後の日は喜びを共有してきた。
だけど、今日はどうしても体調が悪かったので寝室でその瞬間を待つことにした。

8時開票の2分後に当確。
解ってはいてもこの瞬間はホッとする。
同時期にいつもお世話になってる渡辺周さん、
その後も僕の後援会の幹事の京都の泉ケンタさん、知人で新潟の黒岩さん、筒井さん
北海道の石川さんなど友人知人は全て小選挙区で当選した。
本当に良かったです。

細野もその後もテレビに引っ張りだこ。
11時過ぎくらいに、都内に向かってると新幹線の中からメールが来た。
僕の体調の心配と、近いうちに熱海で食事をする約束。
こんな気配りのできる本当に素敵な人間ですよ、彼は。

いよいよ民主党が政権を握ることになったね。
政治の世界も絵描きの世界もトップが代われば組織や世界も変わる。
仕方がないけど、それがこの世の定めだ。

しかし、今のこの空気を少し変えてほしい。
国民からのメッセージだよね。


細野議員、長妻議員と有能な秘書?達・・・(笑)。


秋の風に - 2009年09月04日

最近、静かに音楽を聞きながら考え事をする時間を一日1時間は作ります。

普通の人に比べて僕は時間に余裕はありますね。
特に今は自分にとって大切な時期なんだと考えてます。
だからこそ、考えるだけの時間を作っています。

この頃、人との別れ ということについて考えています。
出会いは偶然だったり必然だったり。
別れは必然な運命でしかありませんね。

僕も今までに多くの別れを経験してきました。
大切な家族や飼っている動物との死別、転校や引っ越しでの別れ。
大切なスタッフとの別れ、恩師との別れ。
大切な友人や恋人との別れ・・・・。

小さい時から、このことにとても敏感でした。
電車で出会って数分話した人と別れた後、もう二度とあの人と会えないのだと
大泣きをして祖母に涙を拭いてもらうことはよくありました。

別れることは常に悲しかった。
できればそうなりたくないと悩み苦しみ、時には何とか別れたくないと必死になりました。
しかし、それを止めることはできないことがほとんどでした。
別れというのは普遍的な真理なのでしょうが、本当に辛いです。

これから幾度と僕の身に訪れるであろう別れ。
秋の風は心地よいけど、こんな日は心の隙間に冷たく入り込んで悲しくなりますね。

心を感じるモンブラン - 2009年09月18日

夕方、起雲閣の個展に今日もマネージャーの近藤さんと、
来月に私の個展を開催してくださる茅ヶ崎の一閑(いっかん)のオーナー松田夫人が来場。

松田夫人のご自宅もギャラリー一閑も素晴らしいこだわりの数寄屋造り。
5月にお伺いした時も、その建築と調度品の美しさに感嘆した。
本当に品の良い美しい造り。
その際、お茶を一杯いただいた。
お茶の器ひとつ、お茶そのものにも松田夫人の品格漂うこだわりを感じました。
これほどまでにお茶が美味しいものかと今でもその味は忘れません。

そうですね、熱海にも都内にも素晴らしいお宅は無数にある。
でもそのほとんどが、成り上がりの空気を感じるものが多い。
玄関には陶器の虎や、これでもかと置いてあるガレやラリック。
絵もどこかの外国で求めたであろう訳のわからぬ額だけが目立つもの。
岩のオブジェ、嘘物の胡蝶蘭なんか飾ってあると吐き気さえする。

今の世の中は昔と違い、センスのない成り上がりの金持ちが増えすぎた。
昔の財閥やら富裕層は生き方にも心やセンスがあったように思う。
文化が衰退するのも仕方がありません。

さて、そんなことで松田様とゆっくりお話しする機会を得ました。
来月の個展の絵をご紹介し、心をお話いただきました。
有意義な時間でした。

帰り際、近藤さんから大きなクーラーボックスを預かりました。
『先生、先日のお客様の斎藤さんからですよ』と。
自宅に帰り、開けてみる。
保冷剤に、ケーキであろう、美しい包み。
レースのリボン、透明な包み、そして包装紙。
中にはホールのモンブランがありました。

あまりの美味しそうな姿に母とすぐにいただく。
素晴らしい味。正直、こんな美味しいモンブランは初めてでした。

そう、これは斉藤様の手作りケーキ。
買ってきたものでも有難いが、手作りとはさらに感激した。
想像してみる・・・・。
まずはタルトの生地を作って焼き、栗の渋皮煮を作る。
その栗でモンブランのマロンペーストを作り、生クリームをホイップして・・。
完成後も美しい包装紙で包む。数時間はかかります。
もの凄い時間と真心ですよね、本当にうれしかった。

僕がケーキが好きと話し、食べたいと言ったその言葉で作ってくださった。
感謝しながらいただきました。
母と、親友の下田、スタッフのK君はその味を味わいました。
みな口々に美味しいと。

何をするにも愛情と心。
その心を伝えるのも感じるのも心ですね。
とにかく、嬉しかったです。


十五夜に想う - 2009年10月03日

最近、なかなかブログが書けません。
とにかく忙しいのです。

連日、鎌倉や茅ヶ崎に打ち合わせや食事会、個展の準備に制作。
この10月、11月に6ヵ所で個展や展示会が予定されている。
依頼いただいてる絵や個展の絵など48枚を同時進行で進めています。
ちょっと無理がありますね。
そのほかに事務仕事やら青年会議所のもろもろの雑務におわれる。
そろそろ画業以外のものは少しづつ減らすことを考えなくてはいけませんね。

一日が24時間は少ない秋が始まりました。

午後、インターホンが鳴ると同時に親友下田がアトリエに入ってくる。
まあ、この方と会わないは無いですね(笑)。
『今日は十五夜だよ』と彼。

そうでした、忙しくて月を眺める時間を忘れるところでした。
しかしながら、天気は雨。
今日は月見は無理だとあきらめていました。


『月夜に』 紙本彩色4号

僕はこの数年、月が気になって仕方がなかった。
絵も月をモティーフに数十枚描いた。
月の本、写真集などいろいろな書物も読みました。

でもね、別にその真理を知りたいのではなかった。
ただただその月の満ち欠けや美しさを眺めていればよいのです。

そして夜。
空はからりと晴れ、美しい月がそこにありました。
何人かの月夜を楽しんでくれそうな友人にメール。
ふと、我が家の店『茶房 月の渚』の窓辺を見ると母の粋な演出。

さすがに我が母と思いながら今宵の月を楽しみました。
ウサギはどこかへ出かけていたようでした。


右に倣え?個性の崩壊 - 2009年12月01日

僕はですね、毎日30人くらいの決まった人のブログを読んでます。
誰とは書かないけど、友人知人や尊敬する人のまで。

最近感じるのは、個性とか才能のことですかね。

とある人のブログを見る、で、その人の近しい人のブログを見ると同じようなことが書いてあるんですね。
見るもの、食べるもの、演出から、箸一本にいたるまで・・・。
おんなじもの食べたって皆感じ方は違うはずなのに、
同じように書いてあって、同じような文章を書いてるの。

そういうのってちょっと怖くなりますね。

芸術も生き方も模倣からとは思いますよ。でも、だからってそれと同じ生き方はどうかって。
だから、そんなにセンスや才能がないのに勘違いしてしまうことってあるのかな。
その人が選んだケーキを食べる、絵を見る、で、その人になったように感じてしまう。

とある人なんですが、その人も周りをそうしようって空気さえ感じるんです。
周りもその人についていけば、人生が上手くいくような、自分にもセンスがあるような・・。
そういった空気はゾッとします。
まあ、それが個性と言えばそうなんでしょうが。

僕は師は尊敬してますが、自身のペースと空気で生きたいので。


面白おかしければ良い人 - 2009年12月16日

人と付き合っていて、この人は『面白おかしければ良い人』なんだなぁと感じることがある。
約束をしても、重要な場面も面白おかしい方に流れる。

先日もある人と約束をした。
『必ず行きます。連絡します。』

準備をし、待っていたが連絡すら来なかった。
あとから聞けば、いろいろと理由をつけてはいるがその場所が面白いからそっちに行っただけ。
その場所ですっかり楽しくなっちゃって、約束を破るなんて朝飯前って感じた。
ああ、この人とはそうやって付き合うべきなのかと感じざるを得ない。

まあ、初対面やちょっとの知り合いだったらまだしも親しい友人だったらショックだよね。

僕はとにかく『八方美人』ではない。
特に誰からも好かれようとか、誰からも良く思われたいなんて思わない。
だからそんなコウモリ人間は大嫌いだ。
八方美人がいけないとは思わない。
だけど、どんな理由があっても約束を破ったり、友情を使い捨てにするような人は苦手だ。

面白おかしい場所は僕も好き、そんな毎日を送れたら幸せだよね。
だけど、そうね・・・。

まあ、人との空気は難しいですよね。
ちょっと愚痴かな(笑)。

僕のクリスマス - 2009年12月19日

そうですね、もうすぐクリスマスですね。

小さな頃のクリスマスは、昼は教会に行って讃美歌を歌い、
家ではとなりの三木製菓さんのクリスマスケーキとたくさんの食事でパーティーしました。
うん、本当に。
マントルピースの上にはサンタやらクリスマスの飾りをいっぱいにして。
祖父母も母もお客様が来るのが大好き。
いっつも誰かが夕食時にいた我が家でしたから、クリスマスやら誕生会は
かなり盛大でしたよ。

この数年は友人Dの家で誕生日を兼ねたすき焼きパーティーでした。
しかし今年は・・・・・なんと!25日はJCの最終理事会・・・・(-_-;)。
まあ、24日に母とスタッフのK君と親しい友人を招いて我が家ですき焼きでも
しようかと計画しています。
もちろんケーキは三木製菓さんの特製で!

そうね、この歳になりますと同級生も恋人や家族子供持ち・・・。
誘う友人もなかなか少なくなっているのが現状(笑)。

僕のアトリエもささやかながらクリスマスな感じになってますよ。

それぞれの忘年会 - 2009年12月27日

しかし、毎年この時期は忘年会が多い。
僕も12の忘年会に参加しました。断ったのは7つほど・・。
まあ、楽しい行事ではあるけど胃がもたないよね。

今日は午後からスタッフカズヤ君の運転で厚木に向かう。
先日、町内の古家旅館の女将さんからノリタケスクエアの閉店を聞いた。
茶房月の渚のオープンでもここですべての食器を揃えた。
ノリタケと大倉陶苑の食器が楽しめ、レストランもなかなかで好きな場所だった。
閉店と聞き、何とか行きたかった。欲しい皿があったしね。

会場はセールもあってかものすごい人だった。
しかし、商品はほとんど残ってなかった。
『たけさん、3日早かったら良かったですね・・』とカズヤ。
でも、金彩の小さい皿を10枚購入。会計は2年前と同じ品の良い中老の男性だった。
レストランに行くがここも超満員。

『用が済んだなら帰りません?』とカズヤ。

外はすっかり冷たくなっていた。
こことも今日でお別れかと思ったらなんだか切なくなった。
と同時にお腹がグーとなった(*^_^*)
考えたら朝から何にも食べてなかった。

夕食は母は三姉妹で梅園のもとむらで忘年会とか。
スタッフのカズヤ君とせっかくだから二人でミニ忘年会でもするかと話す。
『オレ、ステーキが食べたいですね』とカズヤ。
湯河原のステーキハウ西湘に電話するが満席とのこと。
じゃあ、熱海のカフェ・ド・シュマンに行くことにする。

高校時代から良く来てる店の一つ。
店の空気も良いし、料理は伊藤さんが作ってるから間違いないよ。
唯一つ昔から疑問なのはサービス料を10%とるところかな・・・(笑)。

前菜はカズヤ君が食べたことないって言うので魚介のキッシュとシャブリを注文。
しかし、カズヤはフレンチで働いてたのにキッシュも知らないとは・・・。
僕が行ったカズヤの働いてたフレンチはパスタが中心だったし(笑)。まあまあ。

で、ご希望のステーキとワイン。
忘年会疲れか、胃が重い。
ステーキも半分カズヤ君に食べてもらった。

デセールは苺のムースとシャーベット。

『どうした?今日はパンもおかわりしないじゃない』とオーナー。
シェフ伊藤さんとオーナーと先日食べた茅ケ崎のラ・ターブルド・トリウミは良かったよ、
うなぎは風祭の友栄は最高だねなど食の話が盛り上がった。

とにかく、この一年いろいろ食べたなあと。
来年はダイエットを誓い、忘年会納めにしようと心に決めました。


大晦日をむかえて - 2009年12月31日

大晦日ですね。
夕方の海には美しい月と雲が美しかった。

海を眺めながらいろいろ振り返りました。
画業のこと、仕事のこと、友人とのこと・・。
とにかく激動の一年であったことは間違いありません。

大きく反省すべきは仕事のことです。
体調と環境が整わなくて日展出品を今年も休んでしまったこと。
制作についても、雑務におわれてなかなか時間を取れなかったことなど。
仕事を通して人ということも考えました。本当にいろいろあり、人間の難しさを感じた。

とにかく、この場を借りてお礼を言いたい人がいます。
母、マネージャーの近藤さん、下田、フーコ、細野、松山先生、倉見さん、板倉の叔母、
洋子、原さん、南さん、荒竹先生、白先生、カズヤ、生徒さん達などなど。
本当に僕は多くの皆さんのおかげで救っていただいてるなぁって感じます。
こんなわがままでマイペースな僕を支えてくださり心から感謝します。

来年も皆さまが良い年でありますように心からお祈りいたします。

紅白見ながらもうすぐ新年です。

合掌

SOTUGYOU - 2010年03月19日

気持ちよく起きれた朝。

どうも最近、寝ている時の夢が映画のように数日間ずっと続いていて
疲れがたまっていた。
それがようやくエンディングを迎えてホッとしたこともある(笑)。

寝室から画室に入って、いつものように掃除をしたり
観葉植物に水やりをした。
友人からもらったこだわりのフルーツティーを淹れて飲みながら考え事。

僕の仕事は体力的に限界はないんですが、時に脳みそがいっぱいになる。
今も数件の仕事を同時進行で進めている。
絵描きといっても絵を描くばかりでなく、時には絵描きとしての立場で様々な仕事を頼まれるんだ。
看板のデザインだったり、部屋の空気感を聞かれたり、食べ物の取材だったり、イベントの事など。

すべてに心をこめて仕事をしたいし、その人が喜んでくれるようにと考えると
楽しいながらも緊張しながら進めている。

午後からは熱海市立第一小学校の卒業式に出かける。
時々絵を教えに行ってる関係でこの数年、来賓としてよばれるんだ。
女優の二宮さよ子さんや来宮神社の禰宜さんらとお目にかかる。

心地よい緊張感の中、児童達の合唱に心が洗い流された。
何の雑念もない一生懸命に歌う姿とその歌声に感動する。

僕も小学校卒業の日はここにいた。
清々しい夢を持ち、常に前向きで明日が待ち遠しい毎日だったように思う。
初恋のY子や友、恩師を想い恥ずかしながらも机で号泣したのは甘酸っぱい思い出。

卒業文集には 『スピルバーグのような映画監督になります』 って書いた。
映画の仕事はしてないけど、絵を通して夢は描いてるつもり。
まあ、今朝見た夢も映画にしたらアカデミー賞って自信はあるかな・・・(笑)。

あれから22年。
今も何かを卒業しなければならない時と感じています。

初夏の空気 - 2010年05月10日

何て心地よい空気なのでしょう。

初夏の若葉の香るこの日々は何とも言えなく素晴らしい。
僕はこの梅雨前の清々しい二週間が生きる喜びを感じます。

空を仰いでも、山を感じても、海を臨んでも素晴らしいなぁ。

とにかく毎日が充実してるんだ。

いよいよ明後日から個展です。

『月光富士山々』 6号 紙本彩色

嫌なことはしない - 2010年08月03日

夏になると昔は山梨の別荘でよくバーベキューをやりました。
我が家の庭には沢もあるので、水も綺麗で野菜も採れたてで旨かった
桂川のアユを焼いたり、スイカを冷やして、空気も美味しく風も心地よくって・・・・。
今も僕が車の運転ができれば行くんだけどなぁ。

最近も夏になると河原でバーベキューとかする人が多い。
河原と言っても汚らしい川で、ゴミだらけにしてマナーもないし
そんなところで夏の暑いときに食事をするのは嫌いだ。

大学時代は友人と何度かやったけど、楽しかったことはない。

今も熱海では公園でビールなんとかというお祭りをやっている。
昨年仕方なく行ったが、もう行かない。
夏の暑いときに排気ガスのソバで虫がたくさん来るし、
ぬるいビールで清々しさも何にもありゃしない。
大勢の酔っ払いがここぞとばかりに大騒ぎして、熱海のなんちゃって名士が
わさわさ集まってるのも気持ち悪いし。

とにかく夏の暑いときに街中や汚らしい場所で食事をして
笑うことは僕にはできないし、大っ嫌いだ(笑)。

お誘いくださったみなさん、そんな訳で嫌いなもんには行かないよ。
クーラーの効いたところで、安心して箸をつけれる食事にお誘いください。

20年という歳月・・・・ - 2011年02月10日

午前中に知らない番号から携帯に電話。
『あ、もしもしミヤシタと申しますが、坂本さんですか?』と。
『あ、トオル?どうしたのよ。』
声ですぐに市役所で働く小中学校の同級生のトオルと分かった。
『あ、たけちゃん、実はさ・・・・』

聞けば最近、市役所内の文化会館の倉庫を掃除中に僕が中学の時に描いた絵が出てきて
トオルが保管してくれているとのこと。
本来ならばとっくに捨てられている保管期限は過ぎていたが
どういったわけか、その絵一枚だけが残っていたとのことだった。

20年経ってそんなことがあるもんなんだ。ましてその絵だけとは不思議????
正直、びっくりした。
それに『赤いパラソル』と題名がついているらしいが僕らしくないなぁ。
違う人のナンじゃあない?と言ったが、トオルがどう見てもたけちゃんの絵と字だよと確信をもって話していた。
イタリアのサンレモ市に交流した絵のようだと。確かにそんなメダルはもらったことは記憶にある。
半信半疑で市役所3階の文化交流課に取りに行った。

着くとトオルはいなかった。
『先生、この絵です』と課長たちが絵を出してくれた。
うーーーーーーーーーーん(・_・;)
自分の絵と自覚するまでに恥ずかしながら10秒かかった。
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自分が描いたものには違いなかったが、全く記憶が無かった。
なんて稚拙な雑な絵だーと思いながらも嬉しい。
裏にするとこんな文章が張り付けてあった。
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なんじゃこりゃ(笑)  笑ってしまった。

でも、春のこんな日に同級生のトオルのおかげでこんな幸せに巡り合った。
多分、トオルじゃあなかったら捨ててしまったに違いない。
20年経っていたが、色あせることもなくしわもなかった。

嬉しくて階段で会った小松観光文化部長にも見せた。
『いやー先生の今の元になる大切な作品ですね、小学生時代の絵ですか?』と。
『いえ、中学です!』と僕(笑)。
まあ、確かに小学生のような空想画だ。上手さは無いが、とにかく嬉しかったの。
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気分が良くてそのまま海辺を散歩。
桜と海の見えるお気に入りの場所で20年前を振り返った。

フミコとエミと毎日ワイワイとリコーダー練習した音楽室・・・
小川さんとヨーコとオオダテとチョークでもりもり絵を描いた教室の黒板・・・
ヒカルと競争してパンを6枚食べた給食・・・・
コンちゃんやミヤザキさんと小説を黙々と読んだ図書室・・・・
3組のみんなと長縄大会優勝してバンザイした運動場・・・・
親友ウエダと成績が学年10番で一緒になって笑った中央階段・・・・
神様役でド派手な衣装を着て皆を唖然とさせた体育館・・・・
何もかもが新鮮でキラキラと輝いて見えた。
とにかく僕の20年前はたぶん誰にも負けないくらい楽しい一番の中学時代だったと思う。

時は過ぎ今は上に書いたみんなもすっかりジジババ(笑)。
スポーツ万能イケメン明もすっかり太り、ウエダもただのサラリーマンのおっさんに。
フミコ、ヨーコも重力には敵わず目じりにシワが!違うか(大笑)
みんなー!今でも輝いてますか?心はおっさんになってないか?
夢や希望はまだあるのかー?

でもね、みんなと出会って僕がいる。
僕は今でも物凄く幸せな日々を送っています。
感謝します。

カエルの子がカエルでなぜ悪い - 2011年02月20日

長泉の児童画教室。
前回のスケッチをもとに今日は彩色、バックに貼り絵をして仕上げる。

朝から元気な子供たち。パワーが漲ってる。
絵の好きな子って描くことが楽しくて仕方ないんですよね。
僕もそうでした。学校の黒板、家の前の道路にチョークでドラえもん。
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はじまる前からホワイトボードでいたずら書き。
楽しく描くことは素晴らしい。
漫画でも、アニメの絵でも、電車でも描きたければなんでも形にしたらいいのです。
親はそれを止めたらいけない。

昨年の教室は父兄の見学は自由としたのですが、
そうすると親が後ろから手や口を出してしまうんだ。
『ママーやって!』と子供も赤ちゃんになってしまう。
家の中が丸出しになってしまい、習い事の空気が無くなってしまうの。
だから今回からは父兄の見学はご遠慮いただいた(もちろん僕の個人教室もそうです)。
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子供はとにかく自然だ。
その自然の感覚は知性とともに失う。
それはまたそれで良い。上手く描こう、こうしたら良くなると知恵がつき絵も上達する。
どこで教わったでもないけど、人間の生きる力なのかもしれない。
絵描きの僕が言うのもなんですが、絵の上手い人に頭の悪い人はいない。

習い事や芸事は6歳の6月6日までにはじめたら良いと言い伝えがある。
現代の子供は塾には行っても芸事を習うのは経済的に厳しいらしい。
でもね、塾より学ぶべきものは多いと思いますよ、芸事は。
まあ、だから僕はこの活動をやってるんだけどね。

だけどこの一生懸命な姿を見てください。
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夢中ですよ、真剣そのもの。素晴らしいじゃあないですか!
勉強なんて中学入れば差が出る。科挙や国家公務員一種受かるほどにはならないよ。
医者や弁護士になるならともかく、
その辺の企業に勤めるのに夢中で勉強するほどのこともない。
まして有名大学出て小さな家業継ぐなら意味無いって思うよ、失礼だけど(笑)。
東京大学以外はどこの大学もそんなに差は無いでしょ。
もちろん、東大法学部がこの日本をダメにしたとも言えるので、
勉強ができれば良いってもんじゃアないし。

自分の家系を見れば我が子がどの程度かは知れてるよ(笑)。
トンビが鷹を産むなんてことはめったにない。
我が家系も早稲田慶応は結構いるけど、東大生はたった一人。
それもだから何なんだって感じ。
我が家の東大生もごく普通のサラリーマンだしね。

もちろん、何事も一生懸命は大切。
だけど、僕は勉強よりもサッカーや野球、習字にピアノや絵画。
そういったものを小学校時代に真剣に習ったほうが人生の糧になると思うんだ。
カエルの子はカエルで良いさ。もっと良いカエルになればいいの!
僕だってもちろんただのカエル。だけどちょっと違うカエルを目指してますよ(笑)。
良家の名門坊ちゃんもエビゾーになったら元も子もない。
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完成してみんなで記念撮影。素晴らしい作品ができました。
画家になるわけではないけど、この子たちの将来の希望を感じたよ。

みんな素敵な大人になってね!!!

薬じゃあ治らぬ親 - 2011年02月24日

昨日の伊豆毎日新聞や熱海新聞(熱海のローカル新聞)の記事を読んでプチ激怒。
『小中学校の給食費滞納が数百万円』とか!

昔からこの問題はありますが、びっくりしましたね。
それも本当に給食費支払が困難な家庭というより義務教育だから払わなくてよいといった
考えで親が払わないのだそうだ。(給食費は月に4800円とか)
全く驚きましたね・・・・・・(怒)言葉は悪いけど無銭飲食じゃあないのこれ。

そんな親に限って政治のせいにして選挙には行かない。
子供手当はもらってパチンコで使うみたいな親が多いのではないかな?
今の小学生の親は僕の世代。
確かにまだまだ子供みたいな親は多い。
人口増えるのは有難いが、彼らが親かとびっくりする人もいる。
まあ、僕みたいに親にもなってないよりはましか(笑)。

もちろん、親になって素晴らしく立派になってPTAとかで大活躍をしてる同級生もいて嬉しい。

しかしながら先ほどの給食費未払いの負荷が、児童に給食を出さないで弁当持ちにする日を月に数日科したとか。
それもどうかとも思いましたが、支払わない子供にだけ食べさせないわけにもいかないし。
全く困ったもんです。


かなり昔ですが僕の絵画教室でも月謝にスーパーの商品券が入ってたことがありました。
開けてびっくりしました。
ドンキホーテじゃああるまし、月謝に商品券ですよ・・・・(・_・;)
旦那の給料が全てトイザラスのおもちゃ券だったらその人は納得するのかな?
スエット着てドンキの駐車場が縄張りの方だったとは思えなかったけど(笑)。

その方にはもちろん、バシッとお返しし、しっかりご指導いたしました。
僕より15歳は上でしたがそんなことは関係ない。

とにかく、政治とか経済とか難しいことよりもルールとマナーですよ。
親を見れば子が解る、子供を見れば親や家庭まで解る。
モンスターペアレンツに限って食卓には雑誌や生活用具がグッチャリ、
部屋には洗ったままの洗濯物がドッサリみたいなんですよね。
物をもらってもお礼も言えない、年賀状頂いても返事すら書けない人間になる。
人を叱る前に自分がしっかりしろと言いたい記事でした。

子は本当に親の背中を見て育つからね。
あちこちに子供いる親の子はやはりあちこちに子供作ったり、
真面目な勤勉家の親の子はそうなる確率は高い。
巨人が好きな親の子は巨人ファンになる。
良い意味でも悪い意味でも親と子は繋がっている、環境と背中と血ですね。

とにかく、子供は給食費払ってないの感じるからね。
みじめな気持にはさせたくないよ。

6人から1000人 - 2011年02月26日

僕が絵画教室をはじめてもう13年になる。
21歳の時に6名の生徒さんでスタートした。
現在は個人レッスンや町の教室も含めると総勢100名の皆さんに学んでいただいている。
過去の生徒さんも合わせれば200名は超えるようだ。
学校の授業を考えれば1000名の皆さんに絵をお教えしたことになる。

人は何故に絵を学ぶのか?
正直、正確な答えは僕にも解らない。ただ、生きるため、人生を豊かに過ごすため、
そして自分自身を知るためなんだと僕は感じる。
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それを求めるから皆さんも熱心に夢中で描くように思う。
まあ、実際はとにかく描いていると時間を忘れるようです。
『この歳でこんなに夢中になれるのは嬉しい』と皆が言う。

僕の教室は楽しいながらも美を根底に置いて頂いてます。
芸術はバクハツダー!と気持ちはあっても、心穏やかに描いていただく。
絵具べチャベチャは嫌です。やはり美しいものはそういった環境が必要だと思う。
整理整頓、あいさつ、皆でのティータイム。
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やはり日本画と言う伝統もあるので、そういった心得は大切にしたい。
自身が美しく感動したものを、美しく描く。

まあ、難しいことは解りませんが絵を描くことは素敵ですよ。

ブデンさん、そうとう溜ってますね? - 2011年03月02日

16時。熱海市長との懇談だ。
今日はどうしても話したいことがあって、文化交流課長にも同席をお願いした。

熱海市は文化振興に行政の力が弱い。
今回の市長の政策にも文化面の本当に薄い感じが僕には我慢できなかった。
市議の新しい公約を見ても文化の文字が入ってる議員はいない。
全く情けない街だとガッカリする。

観光、温泉、誘客、駅の新築計画・・・・・そんなのは当然。
国際文化観光都市ですよ、ここは。
もちろん、文化とは芸術だけを指すもんじゃあないとは理解している。
しかし、この3月いっぱいで数百人入るホールは耐震のために閉鎖。計画は無し。
生涯学習の基盤であった文化会館は耐震補強で閉鎖、補強後は議会となる。
じゃあ、熱海の文化、生涯学習、市民の発表の場はどこにあるの!!???
お金が無いのは解ってる、だけどそれでいいの!!??
イベントができる1000人入る文化ホールがあれば熱海の活性は目に見えてるのに。
頭の堅い職員や何も解ってない議員だけで話すからこういうことになる。
だから文化人をシンクタンク代わりに使えばいいのさ。

とにかく他にも言いたいことは山ほどあった。

『ブデンさん、かなり溜ってますね・・・』と斎藤市長。
『市長、あなたね、そりゃそーでしょ!!』と僕。
一期目の彼にそんな話を聞いてもらえる余裕はなかった。だけど今度は二期目。
市民の多くの賛同があって市長に当選した。
斎藤市長は優秀な人材だ。だけど、文化面はたぶん知らないことが多い。
だから僕はいつも会うとびしっと話す。知って欲しいから。
今日も彼はうんうんとしっかりと聞いていてくれた。

『課長、できることからやってください』と市長。
『ダメダメ!それじゃあやらないから。課長、必ずやってください!
それに市長、あなたがやるの!』と僕(笑)。

街づくりは飲み屋で愚痴を言っているだけではだめだ。
行政にも議員や首長にも直接話さなくてはいけない。町内会単位でもなかなか伝わらないから。
僕の生まれた大好きな熱海、とにかく良くなって欲しい。
だからこれまでも、これからも僕の意見は僕の口でしっかりと言っていく。
生意気と言われようと、僕はそれは続けていく。もちろん、画家として。
ただし、言うだけではないですよ。僕は20歳のころから街のため、教育のためにもボランティア活動にしても市の委員にしても自分なりにしてきましたから。
会社や老舗の看板や、何とか団体とかの虎の威を借りずに一人でね。これは自信があります。

言いたいことは言う、だけど街のためにも働く、しっかり自分の意思で選挙を応援し、
必ず投票する、そして税金は納める(笑)。
とにかくこの性格は変わらないよ。
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確かに溜ってる顔してる・・・・(恥)
でも、今の斎藤市長は自信に満ち溢れている。彼なら絶対出来ると感じたよ。

恐怖の一日 - 2011年03月12日

いつものように金曜日の教室。昨日は展覧会を控え満員の状態でした。
Kさんの額を選んでいるときでした・・・。

『あれ、なんか揺れていない?』
正直、僕は最初の地震はあまり気がつかなかった。
我が家はかなり古い鉄筋の家ですが、3階までは鉄筋、その上は地震対策で軽量化として
鉄骨なんです。基礎もかなりしっかりやってたとかで、そうは揺れない。

だけど、二回目の地震はかなり揺れました。
物は多少動いたけど、たいした被害は無く。
ただ、生徒さんがいたので玄関を開けたり、帰りの交通の情報を入れたり・・・。
そうこうしてると知人が駅から避難してきたり。
町内会長とかとも相談し、あまりにひいていった波を見ると恐怖・・・。
バタバタでした。
その後も津波の避難サイレンが鳴り、母とどこに逃げようかと考えたり。
とりあえず、3階にいようということになって。

生徒さんの根岸さんが山の自分の家に避難してきたらと電話。
生徒さんの渡辺さんからも先生すぐに避難してくださいと電話。
下田、フミコ、洋子、のりちゃん、Mなど多くの皆さんから心配の電話が。
正直、こういった時ってやはり慌てますね。
だから電話は有難い。でも、なかなかというか繋がらないのが本当でした。

母も犬も鳥と上の階に避難して一夜を過ごす。
テレビではあまりに信じられない情報が入る。
僕に何ができるか、自分と家族の命を守り、多くも人と命を助けあう。

命があって今がある。楽しい人生もお金も命あってこそ。
そんなとき、絵なんか何の役に立つんだろうと考えた。
健康に気をつけてウォーキングをはじめてたった一日。

明日が迎えられるのは素晴らしいですが
被害にあわれた皆さまはどんな気持ちでいるのだろう。
早く救ってほしいです。

はじめての計画停電 - 2011年03月15日

世の中がすっかり変わってしまった震災。
あれから普段見なかったテレビを見る毎日・・・・。
ニュースの中は本当にこれが事実なのかと思う映像ばかり。

被災地とその皆さまのことを思うと、こんなことをしていてよいのか?
僕にできることは無いのかと自問自答の日々。
この三日、まったく寝られない日々が続く。

当たり前だが17日から予定していた上海への仕事の予定はキャンセルした。
昨年夏も急遽キャンセルした上海、きっと僕にはご縁が無いように思う。
明日からはじまる長泉町の日本画教室展も計画停電で急遽中止とした。
そんなこんなで予定がガラリと変わり、主宰する教室の生徒さんへの
連絡やら事務処理に追われていた。

4月2日からも二カ月続く熱海市の起雲閣での企画展もどうなるかが不安だ。
今、僕の額を主に作っていただいていた額屋は仙台市。
もちろん電話はつながらない。注文していた額はもう来ないということになってしまった。
今更、他の額屋に注文しても半月では到底間に合うはずもない。

僕にとっては絵を描き、展示することは仕事だ。
そんなことはまるでお気楽極楽のように思え、罪悪感さえ感じていた。
そんな時もらった親友のMのメールで勇気づけられた。
だからこそ、とにかく僕は今できる最善の準備をするしかない。
絵描きとしての当たり前の生活や今までどおりの準備。

朝、予定通りに山梨県の青苔寺に以前お納めした屏風を友人の車で取りに行く。
起雲閣の展示のメインとしてこの屏風はどうしても必要だった。
三時間で何とかたどり着く。
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この地域も本来なら間もなく計画停電になるとかで、とにかく急いで作業。
いつもならゆっくりお茶をいただくところだが、すぐに失礼した。
熱海でも18時20分から計画停電。今までに経験したことが無い。
それまでには帰ろうとすぐに帰路に着く。

途中、御殿場のスーパーで買い物をする。
もしかしたらどこでも売り切れ状態の電池があるかもと思ったのだが・・・・やはり無い。
僕が会計を終わり、出口に出ようとした瞬間だった  パッ  と闇につつまれた。
ワーと声がする。御殿場で計画停電が始まったようだ。
とにかく4時とは言え、店内は真っ暗闇。正直異様な空気だ。

これが停電か・・・・。この時間でこれだとすると夜は暗いな・・・。
急いでまた車に乗る。
考えもしないで走るがなんかいつもと違う、そう信号がついていない!
大きな交差点は警察の方がいたが、小さい道はいないのでとにかく注意して熱海に。

懐中電灯、ロウソク、不要なコンセントは危ないので抜いたり・・・。
19時ちょうどにパッと熱海が闇になった。
こんなに暗いのは正直初めて。普段なら何てことないが、こんなときにまた地震が来たら不安。
屋上に上がる。見たこともないような熱海がそこにあった。
しかし月は美しい。
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暗闇の中の3時間は実に長かった。
自分自身と命を考える時間になった。しかし 普通 って凄いんだね。

NIPPONの安心安全のために - 2011年04月03日

朝、久しぶりに親友の細野豪志首相補佐官から携帯にメールがはいった。
僕からは震災の後に送っていはいたが、忙しいと見えて返信は無いままだった。

彼は震災の東電の関係やらの調整役事務局長とかでかなり忙しいに違いない。
今は秘書でもなかなか連絡のつかないような激務をこなしてる。
そんな中でもいろいろと心配してメールをくれたのは嬉しかった。

僕もせっかくだから今の政治に対して、特に原発に対しての意見を返事した。
詳しい内容は書けないけど、彼からは
『国民のために全力で頑張る』といった返事が返ってきた。

とにかく頼むよ、あんたにしかできないことはたくさんある。
頑張って欲しい、本当に国民の安心と安全のためにしっかりやってね!!!!!
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人として生きて死ぬ - 2011年10月06日

アップルのジョブズ氏が亡くなったニュースを見た。
どんな天才も億万長者であっても宇宙の摂理には逆らえないのは当たり前だが56歳とは早い。

僕もこのひと月あまりで8人の知人の通夜や葬儀に出席した。
90歳を過ぎて大往生された方、昨日まで元気でコロリと別れを告げた方、
若くして生きたかったのに病で亡くなってしまった方、自ら命を断たなければならなかった方・・・・。
人生の終わりはいつ来るかは分からないけれど、本当に切ないものだ。

死んでしまった人はどんな気持ちなのか、死後があるのかは分からないけれど
僕は死んでしまったら何もないんじゃあないかと感じる。

もちろん、学問として、心の支えとして、文学としても宗教哲学は興味がある。
偶像崇拝とは違う、仏教や仏像の美しさ。
空海や密教の本に夢中になったこともあるし、道元の教えに感動したことも事実だ。
自身も数年前に大本山南禅寺にて受戒も経験した。

祖父や祖母を思いお墓参りも欠かさないし、神や仏の空気も感じることもある。
年初めには地元の神社にお参りし、成田山に毎月参拝し、伏見稲荷も崇拝する自分。
幼き頃はキリスト教会にも通い、新約も旧約も聖書を読み干し、
ステンドグラスとマリア像に感動していたのも僕自身だ。
死後の世界や閻魔大王、輪廻転生を否定してるわけじゃあない。
でも、死んだら何にもないんだって感じるんだよ。

僕は今は確かに生きている。
毎日水を飲み、空気を吸い、ご飯を食べ、排泄をし、動いている。
それは犬も豚も猫も人間もなんら変わらない。
当たり前のことだけど、そんなことさえ、なんて切ないのかと感じるときがある。
そのくせ、時ににグッチだのアルマーニだのにこだわって
定食より菊乃井が旨いなんて能書きを言ってみたりする自分が情けない。
いただきますという言葉を発し、沢山の動植物の命をいただいて食事をする。
食卓の上には今日もハムやソーセージ、干物にタマゴ・・・。
生きるってことは大切で美しいけど、何て酷いもんかと思ったりもする。

まあ、それが人間に生まれた喜びでもあり罪でもあるのかもしれない。
しかし宇宙の術中の中に存在し、自然の摂理に逆らうことはできないんだ。
あんな美しい月にさえ命は存在しない。
でも、あの月があってこそ僕たちの命が存在する難しさ。

なんて悲しいんだろうか。

『お母さん!お母さん!』 涙と花と愛に包まれて荼毘に付せられる人を見て涙する。
人から生まれ、人に育てられ、人として育ち、学び、恋をして人を産み、
子を育て、老い、死んでいく。
そう思うと人の人生は、なんて素晴らしく儚く美しいのか。
人を愛し、美しい景色に感動する心は永遠である。

とにかく今僕は生きている。
自分自身のその日が来るまで精一杯生き、家族や友との時間を大切にして生きたい。
そんなことを感じるのも秋だからかな・・・・。


アーティストって何じゃい? - 2011年10月07日

最近名刺をいただくと〇〇アーティストと書かれてることが多い。
特に若い人に多いような気がする。

人の職業にとやかく言うつもりはないけれど、『ホント???』って思う時がある。
若い人に限って言えば、最近アーティストやら芸術家を名乗る人が増えてきた。
まあ、僕もその一人なのかもしれないが、
僕はその仕事で 『生活をし、食べている』 という自信はある。

美術の大学や専門学校を出て、就職が無く親の脛をかじって実家で生活をし
黙々と作品を作るのは僕は芸術家とは思わない。
そりゃ言い方だけカッコの良いニートでしょ。
コンビニや工事現場で働きその収入で絵や作品を作る人は趣味じゃあないか。
ちょとしたイベントに参加し、作品を売るのは気のきいたフリーマーケットじゃないのか。
定年退職後に厚生年金で生活をする人も老後の楽しみと語って欲しい。
その道でご飯が食べれるまでアーティストや芸術家と名乗るべきではないと僕は思う。
じゃあゴッホやゴーギャンは?って聞かれてもそのレベルはねぇ(笑)

まあ確かに何の資格もないから、明日から誰でもそう名乗ることは自由だ。
渋谷の交差点でそう呼んだら、半数の若者が手を挙げる気さえする。
ネットで自分の作品はすぐにでも発表できるし、絵ハガキや作品集はお小遣い程度で作れる。
ギャラリーも不景気だからどこの馬の骨にも金さえ出せば借す。
これは恐ろしいことで、あまりお気楽な気持ちはしない。

僕も19歳から作家活動をしている。
ですがその当時は大学生。親に世話になっていたからただの大学生だ。
21歳で大学を中退し、個展を開き、絵を求めていただき生活をしてきた。
それからはおこがましくも 『日本画家』 という名刺を使っている。
仕事を聞かれれば自信を持って絵描きだと答える。
もちろん、そこからは親に一円のお金も貰ったことは無いし、
今住んでいるこのビルも土地から建物まで僕が絵で仕事をしたことで収得した。
親の援助なんかただの一銭もない。この体と口と(笑)筆一本でなんとかやってきたつもりだ。
そんなことサラリーマンなら当たり前だけどね。

仕事って僕はそういったもんじゃないかと感じる。
売れること、お金を稼ぐことだけがプロとは言わないけれど、
学校でちょいと学び、卒業したなんちゃってニートやフリーターが
やれSEだのアーティストだのCGデザイナーだの名乗ることは恐ろしいことと思うんです。

またそれを何となく一端の社会人として、仕事として認めてしまうこの世の中も恐いんです。
仕事ってそれだけ責任もあって、大学時代のサークルや学園祭とは違う。
僕だってそれ相応の責任と自覚があってこの仕事を命がけでやっている。
だから花柄にさらっと アーティスト なんて書いてある名刺は疑ってしまうんだ。

それだけ日本という国が豊かになったともいえますが、
心棒が無い人が増えてくような気がするのは僕だけでしょうか?

雑感 - 2011年10月08日

珍しく母がお昼に弁当を作ってくれた。
弁当箱に入った少し冷えたご飯と梅干しは昔から何となく好物だ。

弁当と言ったって、どこへ出かける訳でもなく自宅のアトリエで食べる。
我が家は一階で母がカフェをやってるが、有難いことに毎日満員で僕の分までは回ってはこない。
そんな訳で、外食の多い僕の体を気遣ってかの弁当だなと思った。

最近面白くてハマってるNHKの連続テレビ小説カーネーションを見ながら
毎日使う中平美彦さんのカップにスープを注ぐ。
何て事の無い日常だ。

甘い卵焼きを食べながらふとペットについて考えていた。
いつものことながら、なんで食事の時間にそんなことを考えてしまうのか・・・。
絵描きって生きものは難しい。


一週間前に知人と寿司屋のカウンターでたまたま同席したことがあった。

『あのね・・今日はヒメのお通夜なの・・・・・』
そういって彼女は悲しそうに冷酒をちびりと飲んでいた。

ヒメと言うのは彼女の飼っている、いや・・飼っていた犬の名前だ。

聞けば、自身の老齢化で毎日の犬の散歩がきつく、医者に相談したら
犬を誰かにあげてしまうか処分しなさいと言われたらしい。
あげると言っても老犬、すんなり貰い手があるはずもない。
しばらくの間は、バイトを雇い、出かけるときはペットホテルに預けていたそうだ。
それも数カ月が続いて、気持ち的にも辛くなって結局、12歳の愛犬に動物病院で注射をしてもらい
処分してしまったということだった。

僕は正直絶句した。
テレビではよく見る話だが、一瞬ではあったけど、
ああ彼女は愛犬をコロシテしまったのか・・ そういう目で見てしまった。
もちろん、その人の実情、感情を考えたらそんなことを言えたもんじゃあない。
自分が同じ立場だったらどうしていただろうか?

『そうだったの・・・』
結局慰めの言葉もかけれず、僕は少しぬるくなったビールを
一口飲んで帰ることにした。

我が家にも一匹の犬、一羽のセキセイインコと5匹の金魚がいる。
どれもこれも買ったものはいない。
犬は母の店にバイトに来ていた女性の友人宅で生まれ、貰い主に困っていたのを
母が引き取った。インコは恩師高山先生のお宅からいただいたものだ。
金魚も近所の寿司屋の子供が縁日で買ったものを育てられないと言われ引き取った。
どんなご縁があるにせよ、今は可愛くて仕方のない大切な家族だ。

犬はもう11歳を過ぎた。毎日母と散歩をするだけが楽しみのようで
普段は3階のベランダから海を眺めてる。
インコは最近、歳のせいか餌がのどに詰まるらしく コンコン と咳をする。
何度か病院に連れていくが、目薬のような入れ物から薬を一滴飲ませるしかできない。
咳をするたびに 『大丈夫?大丈夫?』 と声をかけると ピー と返事をして安心させてくれる。
金魚であっても近づくと寄ってくる。餌欲しさの現象だとわかっていても
何となく可愛くて仕方がない。

カウンターで会った彼女もきっとそんな気持ちの毎日だったね。
それなのに・・・・ごめんなさい。  ・・・・そして天国のヒメも分かってあげてくださいね。

スープを飲み干しながら涙が出た。


天に鳳凰を見る - 2011年10月29日

この二日ほど珍しく体調を崩してしまった。

主治医の河西先生にお世話になり、点滴に通ったお陰と
親友のあたたかなメールなどですっかり良くなった今日。

病院から帰って昼にほうじ茶を淹れた。愛用の湯のみに茶柱が5本も立つ。
これは僕にとって今日は縁起が良い。
来月の個展も控え、六白金星の今年の厄月の10月も終わるから
今日を新たな出発の日と勝手に決めてウキウキしていた。

そんなこんなでベランダから空を仰ぐと・・・・

どうです!!!秋の美しい空に真っ白な鳳凰が現れたじゃあありませんか!!
なんと幸雲なことか。
うん、確かに幸運がやって来る予感がするのです。

今日からも感謝の日々を送ります。

文化の日を想う - 2011年11月03日

今日は文化の日でしたね。
今年は特に出かけるでもなく、画室で静かに絵を描く一日を送りました。
何となく去年や一昨年の今頃は何していたんだろうかと昔の画像を見てみました。

昨年は親友下田とMちゃんと一緒に三人で京都に旅してました。

秋色に染まりゆく京の都を堪能し、菊乃井本店にて秋の味に下鼓。



松茸の土瓶蒸しやら何より、このブランデーに漬けた柿が何とも言えなく旨かったな。

そして、一昨年の文化の日は茅ケ崎の一閑にて個展。
数寄屋造りの風情あふれる空間で僕の絵を楽しんで頂いていたのだった。



とても素晴らしいギャラリーでしたね。
夜は月を見ながら縁側にて月見の宴を開催した。楽しいひと時だったな。

思い返すと多くの方と出会い、もちろん別れもあり、沢山の絵を描いてきた。
とにかく素敵な毎日を過ごさせていただいています。
そんな思いの秋の夜長です。