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特殊救難隊 - 2008年03月09日

今日は『茶房 月の渚』に海上保安庁羽田特殊救難隊の寺門隊のみなさんが食事にいらっしゃいました。熱海湾の沖に沈没した船があるらしく、そこでいつも訓練をなさっている関係で熱海には時々訓練に来られるようです。
母の経営していた以前の喫茶店のころからのお付き合いで、特殊救難隊のみなさんとはかれこれ15年以上のお付き合いです。隊員のみなさんは入れ替わるのですが、熱海に来ると必ず私共の店に来てたいただいてます。
祖父が健在の頃、『彼らはお国のため、人のために命を懸けて仕事をしている若者だから、たくさんの食事をおもてなししてあげなさい』という考えで、母も特殊救難隊の皆さんが来るのは楽しみでもあるし、ここぞとばかりに手料理を山のように提供させていただいてるようだ。
今日は店を移転オープンしてから特救の皆さんははじめてのご来店(先日も違う隊の方が予約下さったのですがあいにく他の予約でごめんなさい)で、きれいなお花をお祝いにいただきました。
祖父の葬儀の際も皆さんからはお花を賜り本当に嬉しく感謝しています。

この特救の皆さんはものすごいエリートなんですよね!!
海保12000人の中でも潜水士になるのも難しいのは映画『海猿』で知りましたが、そんなもんじゃあないレベル。12000人の中の優秀な36人(1隊6名・6隊)しか選ばれないまさに特級な人材なんです!
凄いなぁ。今日は一番若い方は26歳、あとは私と同年代だそうですが・・・。わかわかしいし、挨拶も清々しい。命を懸けて人命を救助、普通できるもんじゃあないよね。素晴らしいよ。
省庁の事務職管理職なんかより素晴らしい仕事だし、尊敬する。
そんな寺門隊も寺門嘉之隊長はこの3月で移動とか。
以前に拝見した寺門隊長の出演したNHKのプロフェッショナルが3月18日に再放送とうかがいました。是非とも見ていただきたいですね。
人のご縁はありがたいです。
皆さんこれからもお体気をつけて頑張ってください。

http://buden.jp/blog/archives/20100915/162909.html

細野豪志 - 2008年03月10日

最近、いろいろな人に『ブデンさんと細野先生はかなり親しいようですが』って聞かれるので
ちょっとその出会いを綴ります。

僕と細野豪志氏との出会いは一枚のポスターでした。
僕が23歳だった今から約8年前の1999年の暮れ、
『時代が変わろうとしている 政治家はどうだろう』というコピーの白いワイシャツにネクタイ姿のどことなく貧弱な(笑)サラリーマンが自分の赤ちゃんを抱っこしているポスター。
それは熱海の街中の小さな文具店の隅にたった一枚だけ貼られていた。

デザインもだが、ポスターから感じるその潔白な空気感に惹かれるものがあった。
数日間通り過ぎても目に付き気になった。
なんだか解らないけれどこの人に会ってみたいと感じる。

ポスターの隅っこに小さく事務所の電話番号がありメモをした。

僕の大伯父も畠山鶴吉という熱海選出の衆議院議員だったので、
政治家、特に国会議員様を目指すのだから議員二世かどこぞのボンボンだろうなという気持ちもあったが、どんな人にも逢いたくなったらとりあえず連絡するのが僕の性分だ。

恩師高山辰雄先生にもお手紙したり、藤島先生にも突然会いに伺ったり、
その性格のおかげで今までも素晴らしい出会いと感動があった。

書いてあった連絡先に電話をしてみると、出たのは細野氏の奥さんSさんだった。
あいにく外出中だがすぐに連絡させるので連絡先を教えて欲しいとのこと。
奥さんも電話がかかってくるのはまれとみえて、ちょっと必死さか伝わってきた。

その数時間後、細野氏本人から電話があった。
『明日ご自宅に伺ってもよろしいでしょうか?』と細野。
えッ!?もう来る話?でも、会いたい人物だったので約束をした。

翌日の午前10時ごろに細野氏とそのころ選挙を手伝ってたMさんがやって来た。
やけにでかい男が来たなぁ。靴も僕より大きい・・。
はじめの印象はそんな感じだった。

話をしてみると、年下の僕にも解り易くすべてを話してくれた。
二世でもなく、お金もない、もちろん最近伊豆に来たばかりで友人、知人もいないこと。選挙資金がいくらかまで(笑)。初対面だったけど2時間以上真剣に語り合った。
同世代にしてはなんだか今までに会ったことのない人間。眼もきれいだし、信用できる。
見た目ではなく、目や姿勢に大物になるオーラを感じた。
とにかく直感でしたが、この男は絶対に一番になれると確信しました。
僕のそんな直感は昔からあって、今でもその感覚は信じている。

この人のために何か役に立ちたいな。そう感じるまで時間はかからなかった。

細野氏の『選挙は抜きに、とにかく友達になってください!』って強い言葉と熱意で親交がはじまった。
それから一カ月ぐらいはほとんど毎日細野から電話があった。
今日はこうだった、ああいう人に会ったとか・・・。しつこいぐらいに(笑)。

ほかにもいろんなことがありましたね。
選挙の集会イベントで雨の中、ボロのプレハブで絵を教えて欲しいって頼まれて、行ったはいいけど誰も集まらなかったり。
集まることを期待して、手伝い用のカレーを数十人前作って結局数人で食べたこともあった。
大きなイベント用のトラックを借りて演説、その前には10人足らずで拍子抜け。
そんなことばっかりだったような気がする。
熱海の駅で早朝に演説とパンフ配りは二人で立っても誰も受け取ってくれない。
『民主党』なんて誰も知らない時代、そんな旗を持ってるだけで冷たい視線。あの切ない気持ちは今でも身にしみているが良い思い出だ。
2時間立って名刺なんか貰ってくれたのは駅のお掃除のおじさん一人なんてこともあった。

今でさえ、集会は溢れる人、そしてご婦人方の支援は多いですが、
その当時は会合って言っても10人集まれば良いほう。
集まる人もほとんどが連合のおじさんで、仕方なく集まってる感じだった。

伊豆を歩いて回ったり、泊まるとこが無くて民家を借りて布団を我が家から何組も運んだ。
ご飯も僕の母が選挙手伝いの大学生も含めて熱海に来る度に毎回10人分以上作ってくれたり。
なんかの宗教と間違えられたこともしばしば・・・。
まあ、とにかくその頃の事務所は極貧でしたから(笑)。
雨の寒い日に100円のマックのコーヒーを二人で大事に飲んだのも良い思い出です。

こんな状態で本当に国会議員になれるのか?
でも、こんな素晴らしい人間はめったにいない。
会ってくれれば、細野豪志という人間を知ってくれたら絶対好きになるのに!
とにかく信じ祈った毎日でした。

我が家は国会議員だった叔父も、初代市議会議員だった曾祖父も自民党。後の総理が我が家に何度も足を運んだくらいで、自民党熱海支部が我が家にあったくらいの正統派だ。

でも、祖父も家族もお前が応援する人ならって、皆が信じて一生懸命に細野を応援してくれた。特に母は細野氏や応援の学生が来るたびに食事をたくさん用意して温かくもてなしてくれた。母も経営者だから店の入口に細野のポスターを貼って『ああ、この店は民主の店になったのか』と離れるお客様もいたようだ。母はそんなことは気にもしなかったと後から話てくれた。
正直、彼を応援したことで僕のお客さんも怒る方もいたし、怒鳴られ罵倒されたこともあった。
実際に離れてしまった人もいましたが、僕も男だから細野を信じて応援し続けた。
蝙蝠(こうもり)人間にはなりたくなかったし、なにより細野豪志が素晴らしいから。

そして出会って半年後、彼は小選挙区で勝って28歳の若さで衆議院議員となった。
その後の活躍は素晴らしい。
まあ、過日は皆様にお騒がせしご迷惑もかけしましたが、とにかくこんな凄い人材はいないよ。
頭は抜群、尊敬もしてるし、信頼もしてる。

最近は前のようになかなか会うことは少ないけど、
携帯のメールでは近況や情報のやりとりはしている。
その後、細野豪志議員の住む三島市と僕の住む熱海市は選挙区変えとやらで
僕は直接彼に票を投じることは出来なくなった。
それはそれとして、かえって僕たちは友達をしてさらに親しくなったように感じる。

昨日も彼から携帯にメールがあった。時々気になるとお互いに連絡をする。
たった一枚のポスターから親しい友人に。
出会いって不思議で素晴らしいですね。

本多小百合さん - 2008年03月16日

今日は、アトリエに中京テレビアナウンサーの本多小百合さんが遊びに来てくれました。

小百合ちゃんは小学校、中学と私の一つ後輩です。
家も近所だし、お父様、お母様にもいつもお世話になっています。
とにかく、きれいですよね。存在に華があるよ。
中学時代からそうでした。頑張り屋さんで人気者。中学の生徒会の副会長に立候補した時もその場で当選(笑)って感じに同級生にも後輩にも先輩にもとにかく人気がありましたね。
今のお仕事も天職でしょうね。
なかなか静岡ではご活躍を拝見することができませんが、岐阜や名古屋の友人から聞いてます。その友人たちからサインを頼まれてお願いしたこともありました。
忙しいなかでも時々実家のある熱海に来てお父様やお母様と食事してるんだね。親孝行ですよ。
人間って頑張ってる人や忙しい人ほど時間を大切にしてるし、人生を楽しんでますね。
最近、正直刺激のある人物と時間を共有できなかったので今日はいい時間を過ごせました。
良い『気』を小百合ちゃんからもらいましたよ。
さあ、明日からの個展に向けて今日も徹夜です。
小百合ちゃんこれからも体に気をつけて、自分の人生を楽しんでください。感謝。


パーティーの面々 - 2008年03月20日

朝からもの凄い雨と風だ。
18時からは個展会場にてパーティーを開催予定なのに、心配になる。
朝一番に知人で日芸の先輩枡田さんが来てくださる。楽しくためになるお話でした。

そして、18時前から心配をよそに多くの友人知人が続々と会場に。
私の後援会『武典の会』の田中会長夫妻をはじめ、国際アート展の小田さん、瀬高さん。元朝日航洋社長夫人の高橋さん、私のマネージメントを担当してくださるカム・アクロスの迫さん、近藤さん、友人知人や芸術家仲間、絵画教室の生徒さんなどたくさん来てくれました。皆様、お足もとの悪い中をありがとうございました。

20時半からBSの生放送があるのに友人の細野豪志衆議院議員も来てくれました。本当に毎回、忙しいのにわるいねぇ、ありがと。でも、もっとゆっくり話したいね。細野が来るとどっちが主役だか分からなくなるよ。みんな私より細野と話したがるんだから(笑)まあ、細野人気は嬉しいけど。

地元選出の衆議院議員・渡辺周さん、熱海市議会議員・橋本一実さんと。周さんも橋本さんも忙しいのに感謝です。橋本さんも欠かさず来てくれるんだ、本当に嬉しいです。熱海の将来は橋本さんにかかってるんでお願いしますね。市長もね、一度くらい来てくれたらいいのに。ご無沙汰ですよほんと。

友人で歌手の近藤辰俊さん。彼はね、3年前に帝劇で大地真央さん主演のマイフェアレディーに出演されました。私も拝見しましたが、素敵でしたよほんと。楽屋にも遊びに行かせていただきました。
その後は食事したり買い物に行ったりと交流が。知識もあって一緒にいると癒されます。
今日はパーティー後、プライベートで素晴らしい歌声も披露して下さり感動しました。6月8日に熱海にてコンサートの予定とか。楽しみです。詳しくはまたご紹介しますね。
しかし、同じ年とは思えないね、若いしカッコイイ。私と並ぶと豚に真珠だね・・・。

今日も多くの人たちと時間を共有する。私は本当に人に恵まれてるよ。
お彼岸ですからね、ご先祖様に感謝します。

希望の道へ - 2008年03月26日

久々にゆっくりとした一日。
本当はある会社との新しい事業の視察と勉強に行く予定でしたが、社長から都合がつかないとのことでのんびりと過ごす。
下の月の渚で昼食を。母の料理はホッとしますね。

夕方に昨日、東京大学を卒業したM君が遊びに来てくれました。ご卒業おめでとう。
彼とは数年前から交流があり、私の日展作品も必ず見に行ってくれてます。
人柄も言葉使いはもちろん、いつも笑顔で部屋の空気がパッとさわやかになります。
紳士だよ、若いのに素晴らしいよ。

この春から総務省にお勤めです。
若い彼との話は清々しい。中央省庁っていろいろありますが、こんな若者が働くなら希望はありますよ。
彼も様々な希望と夢があると思います。
私もその頃に恩師高山辰雄先生の弟子になり、絵描きになるために必死でした。
人間って初心忘れずなんて言っても環境の動物だからね。変わるよ。
変ったって良いと思う。でも、自身の心は常に大切に生きたい。
正直に自分らしい生活が送りたいよね。
M君と話して私も原点を思い返しました。

オーストラリアから - 2008年03月29日

夜が遅い毎日で今日は久しぶりに午後に起床。
身支度をして、仕事の打ち合わせに行く前に食事をしようと月の渚の扉を開ける・・。

『たけちゃん!ひさしぶり!!』の聞き覚えの声と顔。

え!!!つい何日か前にオーストラリアからブログの感想をメールでくれた親友のN。
『え、何で日本に?』本当にびっくりしました。
彼女はご主人が外務省の外交官なので転勤で今、オーストラリアにいるの。
ちなみに私のいとこも2人オーストラリアに住んでます。
帰ってくるなんて何にも言ってなかったので、驚きと嬉しさでいっぱい。
さらにやはり親友のMも一緒に。Mも社長夫人だもんねぇ。
いやー、ほんと久々でも親友って一瞬で昔にもどるね。
あと少し起きるのが早かったら出かけて会えなかった。
打ち合わせは夜にまたのばして、彼女たちとの懐かしいひととき。
大学時代のこと、絵にした一碧湖での思い出、日春展に初入選した時も彼女たちが一番に見てくれたし、お祝いしてくれた。つらい時もいつも励ましてくれ、夜の山中湖にドライブにも行ったね。
いつも時間を共有したあの思い出。
みんなには本当に世話になったし、迷惑もかけたなぁ。
みんなから多くのことを教わり、生きてきたんだとあらためて感謝します。
素晴らしい青春時代だったよ。私以外はみんな結婚して幸せになってるし。
Nが『たけちゃん、結婚って幸せだよ』って言ってくれた。
私は正直、結婚願望はありませんが聞くと良いもんかなって思う。
最近、お子様が産まれた河西先生も『ブデンさん、子供は可愛いし早く結婚を』って。
細野もやけに結婚をすすめる。そんな時期なんだね。
まあ、そんな皆さんからの有難いセクハラ(笑)も嬉しいよね。
だけど、まずはダイエットでしょう。ハハハ。
昔は陸上で熱海で一番早かった私、足も長い長いと言われましたがすっかりドラえもん体系。
まあ、来年の今頃は半分になってる予定ですから。
しかし、みんなありがとう。私は人に恵まれてるよ。感謝!


あの頃 - 2008年03月30日

日曜日、本当は沼津の教室の予定でしたが急用で都内に出かけることに。
いつもは静かな新幹線車内も春休みの最終日曜日のせいか、満員でした。
雨が降っていて、薄着で来たので寒い・・。
高校時代からの親友Mと会うことに。彼とは高校時代の美術研究所も一緒で、ともに切磋琢磨した仲間。変わり者の私とも特に話が合うのです。
新丸ビル内の四川豆花飯荘で食事をすることに。
茶芸はテレビでは見ましたがはじめての生で。技も見事ながら八宝茶はとても美味。一杯目よりも二杯目が氷砂糖がきいてほのかな甘みで良い感じがした。
料理はなかなか。最近、食べすぎなのでほどほどにアラカルトを注文。美味しくいただきました。

味は中華は好みもあるのでね・・・・。
サービスは素晴らしいですよ。私、どの店でもお茶やお水をお願いするのがほとんどですが、こちらはそんなことは一切ないほどに徹底して気配りできてました。
胡弓の生演奏も良いし、店員さんは見事でした。
その後、場所をHENRY GOOD SEVENに移してお茶を。ゆっくりとした時間を共有しながら、高校大学時代に夢を語り合った思い出に話がはずみました。

入学式に - 2008年04月04日

私の母校でもある熱海市立第一小学校の入学式に来賓として出席しました。
校門のそばには多くのピカピカたちが保護者と記念撮影をしている。
今年は寒かったのか曇り空だが桜が残って美しい。この桜は私が通っていた頃からあるよ。

校舎の入り口では一番元気な方がみんなをお出迎え。それが後藤登校長先生。
とにかくこの校長は素晴らしい人ですよ。

出会いはもう10年近く前。
私が熱海市立泉中学校の立志式に特別講師として講演を頼まれた時に後藤先生が教頭でした。
そのことからバイタリティーのある先生だなぁって思ってました。
その後も教育研究会などで講師で招かれるとそこにいつも笑顔の後藤先生がいました。
とにかくいつも質問攻め(笑)。でもこんなに熱心な先生が熱海にもいたのかと嬉しく交際が続きました。一昨年は初島中学の校長としてキラキラと輝くような毎日を送られていましたね。
私も文化庁の講師として日本画を指導に行き、先生も生徒と一緒に素晴らしい作品を仕上げました。
ご自身が納得するまで探究し、勉強しそれを生徒に嬉しそうにお話なさる姿は輝いてます。
今、私の最も尊敬する方でもあります。
さて、入学式。友人知人のお子さんも大勢いましたね。可愛い可愛い。

2年生の学校紹介は素晴らしかったね。
私もこんな時代がありました。給食は食べられなくていつも泣いてました。
牛乳なんて今も飲めませんが、その頃から牛乳が嫌で学校行きたくなかったし、ハハ。

人間は結婚し、子供ができ、家庭を守るなんて当たり前のことだといつも思っていました。
しかし、自分がこの年になるとこんなにもこのことが難しいことなんだと悩みますね。
当たり前は本当に当たり前なのか?
今日もスタッフが結婚したいと話していましたが、何でみんな結婚したくなるのかな?
種族保存のための欲求か?はたまた孤独からの解放か?
私には未だ理解できないですな。
桜がきれいなのは良く解りますが・・・・・・・・・・?

松山レシピ - 2008年04月06日

午後までのんびり休養。
夕方に再来週の旅行の打ち合わせのために沼津に。
沼津駅に着くと見覚えのある顔!『ご縁がありますなぁ~』と互いに笑顔。
いつも私をはげましてくれる広瀬夫妻とサキちゃんとバッタリ。こんな時間は素晴らしいよね。
サキちゃんはベビーカーでおねむ状態。かわいいね。
そんな広瀬夫妻と別れてとある旅行会社に。
A所長のテキパキとした応対は見事。30分ほどで完了。
その後、私の癒し空間でもあり尊敬する刺繍作家の松山先生のお宅に。
駅から香貫のご自宅まではタクシーで10分ほど。
ベルを鳴らすと観音様のような笑顔がお迎えくださいました。
急のおじゃまにもかかわらず『坂本先生のためにじゃあ何か作るよ』といつもの手料理を。
80歳過ぎの松山先生ですが、年齢を感じたことはありません。
お話も楽しく、手料理は手早く見事!
先日はラタトゥーユとあさりのパスタ、白菜とほたてのクリーム煮などなど。
和食から洋食、中華まで凄いんです。味はもちろん先生の料理は愛情がこもってます。
今日はなめこおろしと高野豆腐の煮物、ローストビーフをご用意くださいました。
私のお土産のお寿司とやはり先生の手作りの卵となすのお吸い物で温かなひととき。

私は考え事があると、松山先生にご相談に行きます。
笑顔と先生の手料理に癒されて元気がでます。
本日は特別に先生秘蔵の松山レシピを拝見しました。


お医者様だったご主人が生前の頃からのレシピ帳だそうで芸術品でした。
やはり家庭料理は基本ですね。愛情もいっぱい、さすが松山先生。
次回は先生ご自慢の手羽先カレーをいただくお約束をして失礼しました。

俺様と500坪の庭 - 2008年04月09日

昼過ぎから長泉のTさんの個人レッスン。
いつものように電車で三島駅に降りると奥さんとベンツでお出迎え。
『先生、少し痩せたんじゃないか?』。必ず私の体系の話題から(笑)
レッスン前に必ず食事に行きます。そこでもいろいろな話。
つい昨年まで現役の会社社長としてワンマンでやってたTさん。
始めは口が悪くて私が耐えられるか心配でしたが、付き合ってみれば心の優しい絵の大好きなおじいさん。商売一筋でかなりいろいろなことをして儲けたそうです。
『先生、あんたは商売には向かない。余計なことを考えず絵だけ描いてな!』いつも言われます。
自宅は500坪の庭に囲まれて悠々自適。

絵を描くアトリエも100畳の広さ。
車で走る間も三島駅前に始まり自宅までここも俺の土地、そこも俺のもの・・・。
実に何十か所も。
『ハア、よくもまあこれだけ稼いだもんだよ』ってな具合に。
でも、世の中に迷惑もかけてきたから町に寄付するんだと優しい一面も。
こんな豪快な人ながら絵は繊細。
でも、私をやけに気にいってくれてちょっと行かないと電話が鳴り続けるんです。
『先生、あんたが来ないと始まらないんだよ!早く来てくれよ!』

自分の書く絵が大好きでアトリエにも描いた絵がいっぱい並ぶ。

いつまでも元気でいてね。
来週は3回来てくれと言われて帰ってきました。

3周年とドリアと20周年と細野 - 2008年04月27日

昨日の熱海教室の作業中、セロテープを使いその側面にあるとあるシールを見つける。

それがこれ。
ああ、中学時代の同級生とっちゃん(戸塚)の店のシールだった。
とっちゃんは中学からの友人で、現在は沼津で洋服とレコードの専門店を経営している。
店の名前はDROP SCIENCE(ドロップ サイエンス)。
店の内装も彼の手作り。店のすべてに彼の世界が広がっている。
たまたま目にしたシールだが、これはいつもの何かのお告げかな?そう思いながら、今日の沼津教室に向かった。
教室の昼休みにとっちゃんに電話・・・・でない。
それから2時間後、電話が『あ、たけちゃん!久しぶり!』・・・・本当に久々。
『何となくさ、気になってさ。あんた元気?』との質問に、明日が店の3周年とのことでイベントを開催とのことでした。
ちょうど3年前に開店祝いに行きましたが、これもお告げなのでしょう。
教室を終えさっそく、お店にお祝いを兼ねて出かけました。
私は明日は教室展の準備。行けないのでお祝いを届けました。
沼津のガイアというところで、いろんなDJやアーティストを呼んでイベントやるようです。
イベントって大変だよね。私もいろいろ企画運営してるので苦労が解るよ。
3周年と簡単に言うけど、個人で店を経営するのは大変だよね。
良く頑張ってるよ!ますますの商売繁盛を祈るよ。

熱海に帰り、駅前にあるカフェプランタンに。
ここは友人で私の後援会幹事もお願いしてる藤曲敬宏市議のお店。
我が家のカフェと同じ岩本さんの設計ですから兄弟店のようなものだね。
本屋で愛犬タツの散歩仲間の佐伯泰英先生の本を探していて昼ごはんを食べ損ねたので、石焼ドリアを注文。

熱々で旨いですな。最高です。
藤曲さんともゆっくりいろんな話ができ良い時間を過ごしたよ。
帰りに親友の下田の花屋 萌に寄る。
ここも今日が20周年で、セール中。たくさんの花に癒されました。
『あんた、藤の花がきれいだよ。絵に描いたら』とゆるやかな営業をいただき・・・感謝。
大きな藤の花の鉢植え、薔薇の鉢植え大小3鉢、黄色と赤の牡丹の鉢植え2個、
胡蝶蘭の鉢を一鉢など絵の題材になるものをいろいろ買いました。
ホント、安くて良い花だね。

夜は細野豪志衆議院議員と久しぶりの電話。
近況報告などなど・・・・。
いやはや、みんなどの世界も違うけどそれぞれ頑張ってるね。
私も絵を描かないと・・・・何やってるんだろう。


日本画家とCランチカレーがけ - 2008年05月04日

毎回、個展には1000人に、教室展でも500人には案内状を出しますが
今回の展覧会は私はどなたにもご案内状を郵送しませんでした。だれ一人にも。
メールの通知も一切しませんでした。はじめての経験です。
まあ、いろいろな考えがあってそうしました。
今回は私のお客様に観ていただくということではなく、教室の生徒さんの友人知人に
観ていただくことを優先にしたかったなどあります。
それでも、多くの新聞やテレビに取り上げていただきましたのと、このブログの関係で
友人知人も多数来てくれました。感謝。
今日は後藤第一小学校長も来場下さり、楽しいひととき。後藤先生は本当に素晴らしい方!
どうしてこんな素敵な校長がいるのに、ほかは頭が堅い教師が多いのかね。
まあ、若いころから『先生』なんて呼ばれて勘違いしてしまう教師は多いからね、可哀想に。
もちろん、私の知る限り今の熱海にはそういった先生はいないけど。昔はね・・・。
あ、またいつもの毒舌でごめんなさい。正直者なので。

夕方には友人の日本画家の北村さんも来て下さり、今日はゆっくり絵描きとしての話や人生を
語り合いました。絵描きにしか分からない悩みはありますからね。
良い話ができました。
夕食に大好きな銀座の宝亭に。私はいつものCランチカレーがけを注文。
あ、デジカメ忘れたので画像は無し。
ポークソテー、魚フライ、ハンバーグとポテトサラダ。それにライスが付いてますが
私はそれにカレーかハヤシをかけてもらうのが定番。
注文の際に『先生、体にきをつけてね』と女将さんが。
シュマンでもどの店でも私の健康を気づかってくれるんだ、有難いよね。
『喫煙はゆるやかな自殺です』なんて看板がありましたが、私の一食は同じかも。
日本画家としても人間として生きるためには食べなくてはいけない。
でもそれも度が過ぎれば命を短くする。何事もバランス、ほどほどなんですね。
わかっちゃいるんですが・・・・・。

食べ終わって花火が上がる。
次はカレーは控えましょうかね・・・。それもすべての第一歩。

千客万来!モテモテの日 - 2008年05月14日

今日こそはゆっくり寝ようと思っていましたが、朝から下田が来る・・・ハァあんた早いよ!
その後、広島から筆の久保田号の専務さん、京呉服の中西の常務さんがアトリエに。
なんだか忙しい予感が・・。
その後は市議の橋本一実さんが来て、宝飾の小林さんが訪ねてくる。
今日は何でかね!神様のいたずらか?
アトリエに下田が車の鍵をアトリエに忘れてる!まったく!
電話すると『あんたさ、今から宝亭で昼ごはん食べるから持って来て』だって!
仕方ないので宝亭に。

下田につきあって、カレーランチを食べる。また太るじゃん!
3時からは町内の総会に出席。役員ですからね、いろいろやることはあるんです。
そのあと、青年部の淡島寿司のちゃー坊、ホテル秀花園の常務の崇史くんがアトリエに。
いろいろ話してると母から伝言。『歌手の近藤辰俊さんがみえたよ』って!
しかし、こんな一日ってあるんだろうか?
朝から8人のお客さん。嬉しいですよ。
近藤さんとも久しぶり。相変わらずカッコイイ!来月はコンサートのご予定の近藤さん。
詳しくは明日に。夜は森ちゃんで食事をすることに。

ビールを飲みながらいろんな話をしました。
帰る間際に釜鶴のK君から電話が『たけちゃん、今日森ちゃんどう?』って!今いるんだよ!ゴメーン。
しかし、今日の僕はモテモテだね。
そういえば細木先生の六星では達成の日だったからか。
近藤さんとはもっと一緒にいたかったのですが、別れてJCの委員会でとある居酒屋へ。
その後も理事長と担当と委員会メンバーでお好み焼屋で確認会。

いやはや今日はお客さんの多い日でした。
でも、いろんな人に声をかけていただけるのは嬉しいよね。
明日も良いことあると信じます。
下田ー!もう来月の展覧会3週間後だよ。頑張ろうね。
明日からまた描きます。

音楽家と日本画家 - 2008年05月15日

朝から月の渚には多くのお客さんが来てました。同級生のお母さん方。
毎度ありがとうございます。私が一応オーナーですから・・・ハハ。
観光会館での音楽会に急ぐ!昨日お会いした近藤辰俊さんが出演するの。
11時半に着くと始まってました。

指揮をしながら素晴らしい歌を!朝から感動しました。
ステージが終って、そのまま近藤さんと一緒に私のアトリエに。
今日は天気が良いので我が家自慢の屋上へ。屋上は私のビルの6階です。
日を浴びながらいろいろな話をしました。

そうそう、どうです!自慢の我が家の眺めは!花火なんか最高です。
だって熱海が360度見えるのは多分ね、我が家の屋上だけだと思うんだ。



海がきれいでしょう。皆さん是非いらっしゃいませ。
でも一時間も外にいたので暑い暑い・・・。
私が昨日、近所のホテルミクラスにランチつきの温泉に行くとお話したら
近藤さんも行きたいとのことでしたのでご一緒に。
ランチは数種類のメニューから一品。サラダ付き、飲み物は別。
私たちはシーフードカレーをいただきました。


ランチをいただいたカフェはちょっと狭いかな。お客が増えたらどうするのかね。
サラダのドレッシングは美味しい。でもお皿が小さいので食べにくい。
カレーは具は大きくて良かったけど、肝心なルーが少し粉っぽかったね、残念。
私も近藤さんも食べることにはうるさいのでね。
まあ、お風呂に期待しましょうとのことで13階の温泉へ。


イヤー!これは最高でした!
貸し切り状態!眺めは良いし、お風呂も清潔感があって最高!
のんびりつかりながらまた話を。一時間以上いました。
音楽の世界の話、絵描きの世界の話。深いものです。
お互いにそれぞれの世界で頑張ろうという気持ちになりました。
しかし、爽やかな方です。

そうそう!近藤辰俊さんのコンサートが来月にあります。
6月8日(日)14時開場 15時開演
会場は熱海の起雲閣音楽サロン
チケットは当日3500円です。連絡先は090-1231-7978までです。
是非とも聴いて下さい!その期間は起雲閣では私の個展も開催しますので。
近藤さんはダンスのレッスンがあるそうで夕方に都内へ帰られました。
良い時間でした。

夕方、都内での花のレッスンを終えた下田がアトリエに来ました。
来月の二人展の打ち合わせ。
その後、JCまちづくり委員会の関係で伊太利anへ二人で挨拶に行く。
そのまま夕食しちゃいました。
サラミコーンのピザとツナサラダ。下田はいつものイチゴジュース。
私は飲み物はもちろんダイエットのために水です。

金聖圭牧師との出会い - 2008年05月28日


小学生の頃、毎週のように静岡の教英社という塾に試験に通っていた。
母の意向で大伯父が法政大学の理事をしていた関係で、私立の法政一中に入学させようとしていたらしい。
幼稚園入園前も、祖父の友人が慶応の理事をしていた関係で慶応幼稚舎に入園の話もあった。
こう考えると、人間の人生って親の意向で決まるんだね。
慶応入ってたら今頃は絵描きにはなってないだろうし・・・。
塾と言えば、私にとってはただ新幹線で通えることと、その当時熱海には無かったマクドナルドでビックマックを食べることが静岡まで塾へ通う楽しみだったのだ。
ある時、新幹線の中で私に声をかけてきた年配の人がいた。
他の友人たちはゲームに夢中だったが、私はその方となんとなく話をした。祖父母と暮らしている私にとっては年配者との話は日常的なものだったし、その人に 何か を感じていた。

『あなたは教会へ通っていますか?』

その老紳士は私にそんな質問してきた。私はすぐに ハイ と答えた。
私はキリスト教信者ではなかったが、幼なじみで隣人の三木ジョー君がキリスト教会の日曜学校へ通っていたので、2年生の頃から教会へ礼拝に通っていた。
それを聞いた老紳士の喜んだこと!どうしてもと言われ新幹線の中で住所を交換して別れた。
まあ、今だったら宗教やら住所やらはあやしいと感じるんだろうけどその当時はね・・・・。

それから一か月後、私のもとに韓国から手紙が届いた。
出会った老紳士は 金聖圭牧師 という韓国の宣教師の方だった。
私との出会いの不思議さ、そして私に宣教師になって欲しいと綴ってあった。
だいたい小学6年生の子供に宣教師になって欲しいというなんて今考えても不思議だね。
それから手紙でのやり取りが始まりました。金先生からは毎週のように手紙や贈り物が届いた。
それどころか、先生の弟子たちが日本へ来ると必ず私の元に訪問し挨拶をしていくのが習慣になったのだ。
考えてみてください、小学6年生の子供に韓国の大人の人が丁重に挨拶に来るんですよ。いったい私に何を感じてくれていたのでしょう?
金先生もその弟子たちも『坂本さんが韓国へ来てくれること、宣教師になってくれることを毎日皆でお祈りしています』って。
私の誕生日には必ずお電話を下さり、本当にいつも気にかけてくださった。
私も親も申し訳ないような気持ちになっていました。
高校へ入学してからもやり取りは続き、ある時金牧師からこんな申し出があった
『坂本さん、大学は私が理事をする韓国の大学の神学科で勉強して下さい滞在費、学費は全てこちらで負担します』そうまで言って下さった。
とにかく金先生の関係で多くの韓国の方とも親しくなりました。
みなさんとにかく親切で、私が行くと大歓迎して下さいました。
ムラサキスポーツの金奉任会長ともその関係で親しくさせていただいています。
高校3年の6月、金先生が胃がんの手術をされ私にとても会いたがっておられるとお弟子さんから電話がありました。以前から大学も見学に来て欲しいとも言われていましたのでお見舞いを兼ねて夏休みに韓国へ出かけました。
知人の案内でソウルに数日滞在、その時も大学の理事長さんの息子さんがいろいろな場所や教会、大学を案内して下さいました。
さすがに教会ももの凄い大きさで礼拝の話も同時通訳で聞くことができたほど。
大学も素晴らしい学校でした。
その後、先生の待つ テグ という町に着き、先生と再会。
涙を流して喜んでくださり、奥様、息子さんたちや教会に通う100名近い皆さんが大歓迎を
してくれました。多くの皆さんが私に握手を求め、本当に喜んでくれたのです。
聞くと、とにかく金牧師は私と出会ってから7年間毎日私の無事と宣教師になってくれることを
お祈りしていてくれたのだそうです。
嬉しさ反面、私にも自分の夢があったので申し訳なさがいっぱいでした。
教会の皆さんや金先生の息子さん達が親切にしてくれ、1週間の滞在期間を終え
先生との再会を誓って日本へ戻りました。
それから1年後、金先生は神様のもとへ旅立たれました。

今となっては夢のような話ですが、12歳の私に何を感じてくれたのでしょうか?
立派な息子さん達がいるのに、私に先生の後を継がせたかったのはなぜだったのでしょうか?
もちろん、宗教の勧誘でも何でもありません。金先生の気持ちからのものでした。
ときどき金先生の面影を思い出し、そのことを問いかけるのですが解らぬままです。

近藤辰俊コンサートの余韻 - 2008年06月08日

今日は午後から友人の近藤辰俊さんのコンサート。
昨日の疲れからちょっとゆっくり起床。
2時に近藤さんのコンサートへ向かいながら、お昼御飯を食べに近所の蕎麦屋 うお悦 へ。ここの天ざるは美味しいですよ。

時間がない時はそばに限ります。
食事を終えて、会場の起雲閣音楽サロンへ行くとたくさんの人。
知人も多くいらっしゃいました。僕はいつもお世話になってるJC磯先輩と一緒に座る。

アコーディオンの演奏から始まりました。近藤さんが登場すると会場は熱気と拍手に包まれる。
天気も良く、爽やかなムード。
始めから終りまで近藤さんの空気につつまれ素晴らしいコンサートでした。
近藤さんに挨拶をしたかったのですが、彼は多くのファンに囲まれてるのでお母様に挨拶をして会場を後に。僕はこの後も予定が詰まってる。
駐車場には僕の元スタッフのI君が車で待ってる。
車に乗り三島に向かう。三島に向かう途中のコンビニの駐車場に知った車が!
すぐに引き返し、その車の横に駐車。

『あ、お花屋さんお元気ですか?』と僕。

『あんた、目敏いね!』と下田。そう、下田の花屋の車でした。

さすがに最近はご縁があります。こんなところでもバッタリ。
ひととおり昨日の名古屋の報告をして下田と別れる。

I君と目的地へ向かい買い物など済ませました。
帰りには沼津ヤナセに。祖父はいつもここで車を買ってました。
そんな思い出もあって少し立ち寄りました。昔の金丸さんや勝俣さんはもういなかった。残念。
函南で簡単に食事をして帰りました。

熱海に着き、梅園にたくさんの人。
そうだ、今は『ほたる鑑賞の夕べ』がやっていたんだ。
I君と梅園に行き、蛍を楽しむ。
心地よい時間。空気も緑の匂い。いいなあ。

今日は本当は近藤さんにコンサート後の食事に誘われていましたが時間が合わず。
しかし家に帰るとすぐに近藤さんからメール。

『コンサートはありがとうございました。森ちゃんにたこありますからいかがですか?』

そんなことで、近藤さんと伴奏者の方と一緒に森ちゃん寿司へ。
コンサートの余韻がのこり、3人の楽しい時間でした。
しかし音楽はその場で聴者との共感を楽しめる。
絵とは違った醍醐味が素晴らしいし、羨ましかった。
来年は会場のバックに僕が絵を描くよなんて話をして別れました。

友人からの手紙 - 2008年06月14日

先日、私の元に1通の手紙が届いた。
最近はメールでのやり取りが多い中、綺麗な丁寧な文字で私の名前が書かれていた。
送り主を見て驚き、すぐに手紙を読んだ。

数年前、ある事情があって熱海を離れ連絡が取れなくなった友人からのものでした。
彼は真面目で、心優しく、いつも私たちに優しくしてくれた。
仕事も真面目だったし、仲間の手伝いもいつも快く嫌な顔一つせずにこなすホントにいい奴でした。
本当に大切な友人でした。
そんな友人でしたから、彼と会えなくなったことは非常に心が痛かった。悲しかった。
私も友人たちもなんとか彼の助けになりたいと真剣に悩み走り回った。
それは結局、彼のためになったかどうかは分からないが
彼はその事実は知っていたようだった。

連絡が取れなくなってからも、私はいつも彼を心配していた。
周りの友人たちも彼を心から心配しました。

数年の月日が経ち、少し彼の存在を忘れかけていた時の手紙。

彼のその頃の心境、現在の環境など一字一字がもの凄い美しい文字で書かれていた。
正直、私は彼の文字を見るのも初めてでしたし、読んでいて涙が止まりませんでした。
人の書く文字って本当に素晴らしいですね。
絵と同じで人間そのものですね。心が通じる、気持ちが文字からも解る。
私にだけ手紙を出したのだと書いてあり、今の友人たちや熱海を知りたいと・・・。

彼が熱海に戻ってくる日を願いながら
私も一文字一文字を大切に返事を書いている最中です。

『熱海湾の朝』  8号

三島のHさんの人脈! - 2008年06月22日

昨日のJCまちづくり委員会の交通量調査は暑かった。
下田と二人で井上紙店近くに椅子を並べてカチカチと・・・。
『坂本君は絵描きで食べれないから、とうとうあんなバイトをしてんのか?』って目で見た人は
いたんじゃないのか?下田責任とんなさいね(笑)。
下田は下田で、近くの某花屋さんに怪しまれる状態。
まったくこんな思いしてまで!って思ったらいけないよね。熱海のためになるんですから。

さて、朝から土砂降りの雨。
今日は三島で参議院議員の榛葉賀津也さんとの食事会。
2週間ぐらい前に私の後援会でもお世話になってる三島の女性Hさんが企画。
20人くらいで食事会しながら話でもしようってことになっていた。
それが蓋を開ければ何と120人集まった!しかも女性だけで!びっくりだよね。
このHさんの人脈たるや凄いんです。一声かければ数百人が集まるのはホント。
細野の選挙もこの方の力で勝ってるのも事実です。
細野事務所!しっかり感謝しなさいね。
僕もこの方に多くの人をご紹介いただきました。三島のお母さんのような人です。
体型も顔も何となく似てるんで、いつも親子ですか?って聞かれることも少なくない。

会場は三島のセントヘレナキッチン
三島の奥の奥にありました。
本当は女性だけの会ですが、僕はいつも呼んでくださるの。
『坂本先生、手伝いながら来てくれるー?』って。
Hさんは本当に豪快な女性。でも気配りができて繊細。
大雨の中を貸し切りの会場に満員の女性達。

男性参加者は榛葉参議院議員と細野豪志衆議院議員とその秘書だけ。
あ、言っときますが私は民主党の党員ではありませんよ。
選挙も人も好きになったら応援する、そう言った主義だから。
うちの大伯父も自民党の代議士でしたし、ひい祖父さんも自民党の市議でしたし。
ビーフカレーもポークカレーも好きになったら食べる。そんなもんでしょ。
でも、これって感じたらとことん応援しますよ。
今は細野と榛葉さんは良い政治家だと思ってるから応援してるの。

まあ、選挙の話はやめよう。
食事の話にしようか。そうですね、接客も、料理もうーんノーコメント。
まあ、あの人数では仕方ないのかもね。

あの値段でも、あと一品は欲しかったですね。
デザートはね、良かったですよ。95点。
僕は甘いものは食べるようですが、好みがうるさいのでほとんど完食はしたこと無い。
でもここのは完食しました。

榛葉議員とHさんと。この僕の髪型(笑)。

細野議員も一緒に。相変わらず男前だよね、これで3000票は稼いでるのか(笑)。

しかし女性のパーワーは凄いです!

あらためて人間は人との繋がりで生きているんだと思ったね。
Hさん、ご苦労様でした。さすがでした。


カズミ と 下田 - 2008年06月26日

熱川教室の庭はこの時期は本当に美しい。
ドクダミに紫陽花、そしてこの青い芝生!



通い始めて9年目。ここへ来るたびに心がきれいになるようです。
感謝します。

中学の友人とかから、いつも出てくるカズミと下田って誰なんだ?って言われるんで
ちょっと書いちゃおうかね。
カズミとの出会いは小学校の5年の頃かな。
塾が一緒でした。岩井塾ね。
その頃は僕はスマートでカズミはころころしてたよね。
同い年だけど、僕は早生まれだから学年では僕が一つ上だった。
でもカズミはいつも親しく『たけちゃん』って呼んでくれてた。
その後はほとんど交流は無かったけど、JC入って何となく話があってさ。
この1年くらいでずいぶんと親しくさせてもらってる。
カズミは何となく大きな存在に見える。
夢や希望も大きいし、何より思ったら行動するのは頼もしい。
会社社長としても涼しい顔をして頑張ってる。なんか面白い魅力のある人物だよね。
奥さんのトモちゃんも本当に素敵な人。
僕の理想のカップルですよ。

下田はそうね、高校時代の同級生。
僕が再入学した日大三島高校で同じクラスだったの。
あいうえお順の席だったので僕の後ろに下田がいつも座ってた。
中学は違ったけど、同じ熱海ということで親しくなるのには時間はかからなかった。
下田を通して親しくなった友人は多い。
親友のMも下田が絵を教えてやって欲しいと紹介してきた。
今のパートナーのDだって下田がどうしても会ってくれって連れて行かれて親しくなった。
カズミとの縁も下田が関連してるのかも知れない.
下田は僕にとっては面白い存在なんだ。

この歳になると、親友って呼べる仲間を新たに作るのは難しい。
カズミも下田も大切な存在だし、いつまでも仲良く良い関係でいれたら素晴らしね。
変わり者の僕といつも親しくしてくれてありがとう。
感謝してます。
今日はまた4人で湯河原の居酒屋で親睦会。
お互いの悩みや楽しいことを話せるのは素晴らしいです。
料理もおいしかったね。



こんな会はこの世とおさらばするまで続けようね。

健君との時間 - 2008年06月29日

いつものように9時38分の東海道線で沼津教室へ。
今日は新しい会員の方の入会がありました。
出会いはこのホームページから。感謝します。

さて、教室を終え今日は友人の健君と会おうということになっていた。
15時半に教室近くの大好きな珈琲舎フレイバァで待ち合わせ。
地下のお店に降りると入口近くのカウンター席に健君が待っていてくれた。
『たけさん、お久しぶりです!』
いつも気持ちの良い挨拶をしてくれるんだ。

僕はブレンドとホットドックを注文。健君は限定ブレンドとフレイバァスペシャルのパイを。

健君との出会いは昨年の11月でしたね。
友人からの紹介でした。
友人は自分自身で店を始める前に沼津の人気店THE BLUE WATERで調理をしていました。
健君も健君の奥さんのユキちゃんもそこで働いていたんです。
ブルーウォーターって店も素敵だけど、働く人も素敵な人が集まるのかね。
これもバランスか。
友人から聞いていたように健君は本当に向上心の強い人。
僕もたくさんの人と出会いますが、最近出会った若者では健君は群を抜いて素敵ですね。
なんとなく元気のない時に決まって健君から元気なメールが届く。
これが嬉しいんですね。

人間にはいろんな人がいると思う。
人に使われるのが向いている人、自分で何かを作り上げようとしてる人など・・・。
僕も絵で生活しようと考えた19歳の時に絵画教室を始めようと思った。
個展も企画し、会場から案内状まですべて自分で準備した。
なにかやりたくて仕方のない時期でした。

絵を描いて生活することは簡単です。
普通に仕事を持って、仕事の合間に絵を描けばいいのだから。
でも、絵を描いて絵の範囲から離れない仕事をしながら絵を描くのは非常に難しい。
絵と関係ないバイトやサラリーマンはしたくなかった。
そうしたら怠け者の僕はその生活に慣れてしまい、絵を描くことを忘れてしまう気がしたから。
絵画教室なら人と絵を通じて出会えるし、自身も勉強になる。
何より絵が大好きだし、自分で何かを作り上げたかったし。
身近にいらした藤島先生の姿が模範でした。

でも始めるって言っても場所や道具、人が来なければ話にならない。
お金も人脈もなかったその頃でしたから本当に苦労しました。
何より負けるものか!でネットもない時代に夢中で情報収集しましたし、動いてた。
熱海教室もはじめは2人から。沼津も1人だけ。
家賃や電車代の方が多くて苦労したけど、来てくれてる方の笑顔が嬉しくて。
沼津教室の1人だけだった生徒さんの下山さんは今も通ってくれてます。有難いです。
10年経って多くの人に支えられ活動してますね。

健君も28歳の開業に向けて日々努力している。
僕のことではないからすべては書けないけど、アンテナは充分ですね。
上に書いたような話をしながら、2時間心地よい時間を過ごしました。
元気をもらいました。
これからバリバリやろうって人の熱気はこっちまで刺激を受けますね。
帰りに奥さん手作りのシフォンケーキをいただく。
家に帰って美味しくいただきました。

Oさんの手 - 2008年07月01日

今日は来客の多い日でした。
午前中に2件、午後にも3件ありました。

来客の多いのは嬉しいですね。
たくさんの方と話をしたり、お茶を飲んだりする時間は最高です。
僕の5年前の夢は、自宅に毎日いろんな人とゆっくりとお茶を飲みながら話をしたりする
場所やアトリエがあったらいいなぁって思っていました。
小さいながらもそんな夢はかないましたね。
心に強く持っていると叶うもんなんでしょうね。

夕方、やはり5年前に絵画教室に通ってくださっていたOさんが立ち寄ってくださいました。
今は仙台に奥様とお子さんと住んでいらっしゃいます。
OさんはMOAの方。教室に通っていただいている間は一緒に美術館にも行きました。
母校熱海中学のすぐ上にあり、美術館は『紅白梅図屏風』を所有することでも世界的に有名ですね。
MOAや世界救世教は熱海にありますが、近いようで遠い存在でした。
そんな僕の素朴な疑問について、いつも解り易く説明してくれたOさん。
岡田茂吉先生の本も紹介いただき多くを拝読いたしました。
僕はMOAの信者ではありませんが、岡田著の本は勉強になりましたね。

本当に今の私たち年代には珍しく、良い意味で素朴でかつ爽やかな好青年でした。
勤勉家でもありました。
絵も好きとか嫌いとかではなく、勉強したいという気持ちから通われてた。

『さかもとさん、ご浄霊させていただきましょうか?』
教室が終わるといつもOさんはそういって約30分、私に手をかざしました。
いかにも宗教的と思いですか?
もちろん、私は信者でもありませんし、臨済宗の大本山南禅寺から戒名もいただいている身。
そういった観念は捨てて、気のキャッチボールだと思ってお願いしていました。
確かにOさんの大きな手からは『元気や勇気』が出てるような気がしたし。
爽やかな気持ちになっっていたのは事実。

何でもすぐ批判から始まるのが日本人。
でも、政治家も花も木も、そういった空気感も体験しなければわからんでしょ?
良いもは良いのですよ。

今日もいろいろな人から『気』をいただきました。感謝します。

アトリエにてOさん、肝心の大きな手がうつってなかったね


神輿を担ぐ友、レコードを廻す友、放浪生活の友 - 2008年07月27日

小雨降る蒸し暑い日。
こういう日は本当に辛いです。
沼津教室を終え、友人の健君が神輿を担ぐので見に来てくださいとメールをくれたので
沼津東急近くの大通りへ向かう。
沼津はこの3日が年に一度の大きな祭り。
通り沿いは露店の食べ物屋のいろんな匂いでごった返してました。

健君の担ぐ浜睦会の神輿が通るところ。

おっと、いました!健君の雄姿。髪もきまってますよ。
奥さんと、お母様、娘のサキちゃんににも会えました。

そのまま、同級生のとっちゃんの店に行く。
一昨日、とっちゃんから楽しい電話があったのでその続きを聞くために。
以前にも紹介しましたが沼津の駅近くでドロップサイエンスと言う店を経営してる。
5月に三周年を迎え、多くのファンから愛されてる店。
ちょうど僕が行った時は音楽がガンガンにかかってました。
山梨から来たお客さんがレコードを楽しんでる。

とっちゃんの世界だね。
この先進もうとする彼の夢や、近しい将来の設計を聞きました。
僕にも絵の関係でコラボができたら協力して欲しいと言われたよ。
もちろん楽しいことはバンバンやりましょう。
その帰り、たまたま下のカフェでやはり10年来の友人のギターリストの
上遠野忍さんに偶然出会う。
最近、携帯は持ってないし放浪生活の彼に連絡をとりたいと思ってたところ!
お茶をしながら近況を聞きました。

いろんな人生がある。
いろいろな仕事、生活がある。
それで良いんだよね・・・・きっと。

友達っていいなぁ - 2008年08月14日

朝から来月の個展の関係でバタバタ・・・。
今日こそ一日中制作をって意気込んでいた。

『たけのり、K君がお店にみえてるよ』と母。
店(月の渚)に行くとK君がモーニングを食べていた。
『今日は休みなんだよ』とK君。
休みのほとんどは都内に勉強視察に行ってたK君も今日は熱海でのんびりとか。
じゃあ、食事終わったらアトリエに来ないと誘う。
以前からデッサンの勉強をしたいと言っていたK君。
僕の描いてる横で描いたら良いよってことで、ちょうどあった蓮のつぼみをデッサン。
真剣に描いてましたね、で、上手いんだよ。

いろいろな話をしながら。
終わってランチへ。今日は幸華の玉手箱を食べました。
その後、K君の自宅に。
自宅は言わずと知れた熱海の老舗ひもの店の釜鶴さん。多くのお客さんが来てましたよ。
その奥の階段を上ると4階にK君の部屋。
風の通る良い寝室とアトリエだね。
アトリエには制作に没頭してるという陶芸の仏像がそこに。
粘土の白さが美しかった。楽しい作品でした。
骨董、書画の話を1時間ほど楽しみ、僕も制作があったので帰る。
夜まで仕事しました。
8時過ぎに下田が来る。
今日は久々に二人でご飯でも食べようということになっていた。
どうも最近はJCがらみでの食事が多く、僕たちだけの話はできなかったから。
場所は大好きな森ちゃん寿司に。
着くと僕はビール、飲めない下田はウーロン茶で乾杯。

いつものように言わずとも僕の好物のタコが。
その後はつまみにカツオ、シメサバ、コハダ、玉子。
大トロ、イカのミミなどを。
『うまいねー』を連ぱつの下田。そうでしょう、あんたも森ちゃんファンになるよ。

生シラスも最高。
握りは10種類を食べ、最後はトロタクで締め。
下田とも久しぶりに芸術の話に火がついた。
そうだよ、あんたもただの花屋のおっさんじゃあない。
あなたの生ける花には心がある。
くだらない世事的な付き合いは減らしてお互い勉強しようと誓いました。

下田との食事中に中学時代の親友の石崎から電話。
10時に僕の家に来ると言うので帰る。
オンタイムに石崎と澤田が。お盆だから仏前にお参りしてくれた。
そのまま3人でまた食事に。
しかし、友達って本当にいいですね。助けられてばかり。
感謝します。

龍との時間 - 2008年09月12日

昨日のNOKKOさんのコンサートの壁画制作を終え、午前中からの搬入と飾り付けは心配だったが、
今日は高山先生の遺作展のレセプション出席のために都内練馬区立美術館に急ぐ。
会場は日展の諸先輩方や中島千波先生など多くの芸術、美術関係者で埋め尽くされていた。
僕はマイペースに作品を拝見する。
言葉は無い。先生の偉大さと素晴らしさ。とにかく充分だった。
今日はゆっくり拝見できないので、再度来ようと考え足早に会場を後にする。

会場を出ると、親友の龍から電話。
『今、会社終わったから新宿出てきなよ』
彼は学生時代からの親友。
僕とは全く正反対の人物かな。
学生時代からサッカーにサーフィンとスポーツで毎日を過ごすような感じ。
性格もさっぱりしてる。電話もメールも短い。
言い訳もしないしね。
Dとよく似てるのかも。まあ、人間なんて自分と似た奴とは一緒にいると嫌でしょ(笑)。
正反対の方が風が通るように気持ちいいのかも。
新宿南口で待ち合わせ、近くのカフェに。

彼との話は面白いかな。
絵の話もしないし、スポーツとか芸能人の話題とかしてくれる。
僕はテレビもあまり見ないし、サッカーも野球もルールもよく知らない。
でも、そんな僕に教えてくれるようにサーフィンの気持ち良さを夢中で話す。

『人間って面白いなぁ』

僕は僕で龍の知らない世界を話する。
絵の話や食の話などなど・・・。
お互いが共通の趣味も話題も全くない人間。
でも面白いし、楽しい。
水と油があって世界なんだよね。

銀座アスターで夕食。

最後は炭水化物をたっぷりとって『また来週ーっ』なんて冗談を言って別れました。
友と過ごす時間は心地よいもんです。
くだらない話も心の栄養なんだよね。


月下美人と花火 - 2008年09月15日

昨晩は先生の法事から帰って、地元の店で久々のミニ同窓会。
下田、幹士と三人でかなり盛りあがった。
二次会、三次会と楽しみ帰ったのは3時頃だった。

玄関前の花壇に白いものが見える・・・。

『月下美人が咲いた!』

つぼみは気がつかなかった。
一輪が美しく咲いていた。アトリエにあったデジカメに。
スケッチする元気がなく残念。朝にはしぼんでしまうから。
でもこの出会いに心が透明になる。

今日は沼津の教室。
終わるとすぐに自宅に戻る。
本町うなよし・すみの坊の伊藤社長と三島のHさんなどが我が家に花火見物。
今日は夏の最後の花火大会。
少し小雨でしたが社長たちは喜んでくださいました。
花火は花火で美しく咲いて僕の疲れた心を透明にしてくれた。

サーファーの考えること - 2008年09月20日

先週末、『また来週ーっ』って別れた親友の龍。
今日は妹さんの家に行った帰りにアトリエに立ち寄った。
『あんた、ほんとにまた会ったね・・・』

来たのが昼だったのでランチに出かける。
『俺さ鰻が食べたいさ』と龍。
だけど、熱海にはうなぎ屋ってあまりないんだよ・・・。
特に街中のうちの近所には無い。

あーでもない、こーでもないと言いながら歩き回ってるうちに
先週も紹介したテール・エ・メールの前を通る。
『ここにしようよ』と僕。
『イタリアンは一昨日食べたから嫌だ』。
本当に性格も意見も合わないね。Dとは性格は違えど食べるものと趣味のセンスは合う。
龍とはこれも合わない。
鰻は夕食に食べようと説得し、席に着きAコースランチを注文。

今日は前菜のトマトが輝くような美味しさ!

今日はトマト日だ!と決めパスタもトマトソースを選ぶ。
最期のデセールはパンナコッタ。ここのパンナコッタはかなり美味しい!
これだけを食べたいくらいに美味しい。
清水さんはデセールかなりの腕前です。

食事中、今日もするのはサーフィンの話ばかり。
聞いてるとサーフィンがやりたくて仕方なくなる。不思議だなぁ。
店を出て、海を見ながら歩く。
『きっと千葉は波がいいだろうな。明日はサーフィン行くよ俺』
どうぞ、ご自由に・・・。

なんだか食事の量が物足りなさそう。
とにかく僕の倍は食べる彼。
そのくせ僕の半分の体重でサーフィンだサッカーだと言ってモテモテなのも悔しいね。
海の見えるカフェに立ち寄りチキンバスケットとアイスコーヒーを注文。

ここでも出るのはサーフィンと波の話(-_-;)。
『そんなに面白いのかい?僕も連れてってよ』と僕。
いいよ!明日行くか!
着れるスーツかあったら行くよと笑う。

夕方から絵画教室。
その時間も龍は僕の部屋で明日の波をネットで調べては大騒ぎしていた。

明日の波は良さそうだとか、ここが良いですよと仲間と連絡。
絵描き仲間がスケッチをする場所をウキウキ仲間同士で話すことはないから。

教室を終え、鰻の約束を森ちゃん寿司の穴子に変更し、
寿司を食べてる最中もサーフィン話に盛り上がり10時半の電車で
親友のサーファーは明日の波を気にしながら帰って行きました。

『サーフィンやりたい』・・・・今日の僕の決心でした。


結婚式DE同窓会 - 2008年09月20日

朝から土砂降り・・・。
同級生の飯塚の結婚式が小田原ヒルトンで開催される。
友人のターボーから『明日は昼過ぎに熱海駅集合』とメールがあったが、
招待状を開くと小さな紙がひらひらと落ちる。
『結婚式に参列していただきたく12時○分までに・・・へお越し下さい』と書いてある!
それをみてターボーに確認!急遽皆の集合時間が早まった。
いつも調整役のターボーありがとね。
そんなドタバタもあって盛り上がりながら会場へ。

美男美女のカップルは美しく華やかに見えた。

近しい友人の晴れ姿はうれしいもんだ。
飯塚の所属する神輿の若獅子會の神輿が華を添える。

とにかく今日は熱海中学の同級生が20人近く集まった。一昨年、僕が同窓会長として10年ぶりに同窓会を開き集まった以来の大人数。10年ぶりに会う親友もいて僕も嬉しくてたまらない。


おがちゃん、関、ゆたか、カツ、明、カキン、哲夫に優君、アッチなどなど。
特に範ちゃんと会ったのは嬉しかった。

中学時代の友人はお互いを知りつくしているので、隠すこともなく安心して付き合える。
10年以上会わなくても一瞬の会話でその当時の仲間に戻れるね。
あまりに楽しくてこの僕がかなり酔っぱらってしまう・・・。
このままでは帰れないのではと心配で下田に迎えを頼むがあっさり断られた(笑)。
そんなこんなでたのしい披露宴を終えて、地元熱海での二次会。
ここではさらに同級生が女子を含め30人に!
ほんと同窓会になりました。
ビンゴゲームで前回もたこちゃんの結婚式で1等をいただき、今回も二回目で一等。
それは新郎新婦に寄付しました。
僕ってこういった籤運はかなり良い。今回も解ったもんね、当たるのが。
三次会も場所はありましたが、気の合う4人で僕の大好きな森ちゃん寿司に行く。
二日連続の森ちゃん。

優君、あっち、範ちゃんといろんな話をして幸せな一日を終えました。
友達は良いもんだねホントに!!

セロマジックより友の心 - 2008年10月09日


昼食は藤曲さんのお店で人気の石焼ドリアを食べる。
熱々はとても美味しい。
僕はぐらぐら煮え立ったものでも平気で食べられる。
でも、胃に入った瞬間に胃がびっくりするのが分るんだ。胃に悪いよね・・。
さて、午後の新幹線で銀座に向かう。

とある会社の役員の方と打ち合わせ。
打ち合わせを終えて、伊東屋で来年の手帳やら仕事道具をそろえる。無いものは注文。

夕方は親友のカズミ夫婦と待ち合わせ。
銀座で軽い夕食をとってから、三人でJCBホールに向かう。
『セロマジック革命』を見るためだ。
カズミ夫婦が新婚旅行先のラスベガスで見たマジックショウの話を身振りを加えながら話してくれたのは先々週の焼肉例会の日。
それから一緒にラスベガスに行こうとか、香港に行こうとか話していた。
先週『たけちゃん、セロのマジックのチケット取れたから行こう』って二人からメール。
ちょうど仕事もあったので、抜群の日程。

ホールにはほぼ満員の人。写真は禁止だったので、ごめんなさい。
そうね、はじめて生で見るマジックは良かった。
何よりセロはカッコいいね。
内容はもちろん、そんなことよりカズミ夫婦の心に感動していた。
僕の行きたいって言葉を真剣に受け止めてさ、僕に見せたいとチケットとってくれたんでしょう。
ありがとう。

ハンバーガーが壁から出てきたよりそっちが感動したんだよ。
友人のありがたさに感謝した夜でした。

友からの依頼 - 2008年10月20日

先日の同窓会で久々に会ったのりちゃん。
本当に約10年ぶり。
のりちゃんのお母さんには僕が日展に初入選した時も、新聞の記事をみて
お花を贈っていただいたり、僕の後援会にも入って応援していただいていた。

友との再会は本当に素晴らしい。
で、是非娘さんの絵を描いて欲しいと頼まれていた。
そんな打ち合わせも兼ねて会うことになった。

とある駅で待ち合わせ。
そこからはのりちゃんの車で向かう。
ちょうど、昼食時間だったので僕のおすすめの和食のお店に。

久々に話す時間は楽しいね。
中学時代のこと、小学校時代のことなど本当に時間が過ぎるのが早かった。
2児のパパでもある彼はやはり威厳があったな。
一流企業で家族のために働き、昨年はマイホームも建てたとか。

人を包み込む大きさを感じたよ。
友からの絵の依頼は本当にうれしいね、一生懸命描きますので待っててください。

男3人勉強会 - 2008年10月23日

いつだったか、下田がアトリエに来たとき

『ねえ、あんたさ、うちら少し勉強しない?』

と真剣な顔をして言ってきた。

『なんかさー、最近JCだの商売だのでさー、花の勉強が足りないと思うんだよねぇ』

確かに僕たちは絵を描き、花を飾るいわゆる芸術家のはしくれ。
最近はJCだの仕事だので、芸事をおろそかにしていることは間違いない。
初夏に予定していた花と絵のコラボレーション展もすっかりそのまま。
3年前の一緒の展覧会はかなりの好評を得たのに、続いてないのはもったいない。

そんなこんなで、月に一度は都内へ出て、美術やインテリア、
食に触れながら話をしようと計画していた。
下田が休みの木曜日に出かけるしかなく、やっと1回目のこの日を迎えた。
今日はやはり陶芸にコツコツと研鑽する親友のコウマ君も同行することになった。
11時の電車で都内へ向かう。
あいにくの雨だったが気持は晴れ晴れしていた。

1回目の目的は『高山辰雄遺作展』を練馬区立美術館に見に行くというもの。
実際は昨日急に決まったので、ほかの予定は未定だった。

まずは昼食を食べようと言うことになった。
銀座へ出て、スパイス〇〇ロというカレー屋に。
銀座松屋での展覧会の最中なんかは、近いのでよく通っていた。
今日の接客は最悪。
入るなりお客を罵倒するかのような、言い方で案内された。
注文をとったバイトらしき女性も最悪。
お勧めの骨付きチキンのカレーを注文したが、今日はチキンが切れたと・・・。
いつもはこんなじゃあ無かったけど。
結構好きな店だったけど、もう・・・。

最後にと思い、ハンバーグと野菜のカレーを食す。
味は悪くないのに、あの接客では・・・銀座のど真ん中ではあれで通用するのかね。

で、目的の先生の展覧会に。
素晴らしい作品に下田も感動した様子。

なんだか雨の日はどうも動きにくい。
傘をさし、水たまりを気にしながら歩くだけでもくたびれる。

男同士の集まりってこんなものかと思うくらい会話は少なかった。
Dとは鎌倉に出かけても、京都に行っても買い物に出かけても会話も趣味もあったから・・・。
はじめての3人会は今日で終わりかと思うくらい、疲れが出た。
青山に行く途中、あまりの疲れに皆で休憩。

僕もぐったりしてしまう。

夜はデパートの中を中心に展覧会を見て回る。
銀座松屋の人形展はとても勉強になりました。
そのまま夕食へ。


水たきを食べてやっと話が盛り上がる。

今回はちょっと準備不足。
次回はもっと予定をしっかり練っての勉強会を期待します。


Fさんの人柄 - 2008年11月07日

今日の熱海青年会議所の例会に市議の藤曲敬宏さんが講師として登場。
藤曲さんはJCの先輩でもある。

思い起こせば、藤曲さんとは絵画教室がご縁だった。
今から約8年くらい前になるのだろうか。
エリートサラリーマンのような若い紳氏が教室を見学に来られた。
電話の応対、服装などすべてにおいて熱海には珍しいような空気がした。
かといってインテリを鼻にかけるようなことは一切なく、とにかく素敵な人だなあと思っていた。
その後すぐに娘さんが2年ほど教室に通ってくれたのだった。
娘さんの送り迎かいもほとんどが藤曲さん自身だったので、何となく話す機会があった。
とにかく真面目で嘘を言わない素敵な人だよ。

昔のプランタンにも私の絵は2作品納めさせていただく御縁もあった。
御自宅のマンションに遊びに伺ったこともある。
僕が熱海JCに入会したのも、藤曲さんからの勧めや話があったからと言っても違いないし。

この夏も二人で絵を見に横浜にも出かることがあったなぁ。
まだ暑い8月30日の大雨の日。

会場では貴重な北朝鮮の作家の絵も見ることができ、
ちょうど、NOKKOさんのコンサートの背景画のコンセプトに悩んでいた時で
とても参考になった。

最近は議員としての仕事も多くて忙しそうだけど、
いつまでも変わらない人柄が皆に好かれるんでしょうね。

おめでとうございます - 2009年01月01日

新年明けましておめでとうございます。

今年はどんな年になるのだろう。
昨年は本当に自分らしくない苦しい時間だったように感じる。
大みそか、最後の最後に辛い電話がかかってきた。
紅白の結果の出る時間頃、何で締めくくりにこんなって悲しかった。
一緒に僕の家で年を越した石崎、澤田の親友二人が
『そんな想いも全て神社でお札と一緒に燃しちゃいな』って元気つけてくれた。

年の始めは母と石崎、澤田と来宮神社に初詣。
言ったようにお札と一緒に昨年までのいろいろが燃えてなくなった気がした。
すっきりした。
その後はみんなで成田山にお参り。

豊年講の皆さんがたくさんのおせちでおもてなし下さった。
みんなと蕎麦と食べたりお酒をいただき良い気分に。
その後は森ちゃん寿司を覗くがいっぱいみたいなので、枡酒は夜を楽しみに家路に。

朝は叔母も来て御屠蘇。
年賀状の整理や新聞を見ながらゆっくりした元旦を過ごした。
そうこうしてると夕方。
せっかくだからと友人たちをアトリエでの正月に招待する。
カメラマンの岐部君とその友人、明としげちゃん、米ちゃんとこうまくんなどが揃った。

皆の仕事もバラバラ。
いろんな話が聞けて盛り上がりました。




たくさん用意した母手作りのおせちなども5時間の宴会でもちろん完食。
その後は岐部君たちを僕の大好きな森ちゃん寿司に招待する。
最期の升酒を呑みながら芸術について語り合う。

今年は新年早々熱い!
すばらしいスタートがきれたように感じます。
本年もよろしくお願いいたします。

幸せの空気 - 2009年03月20日


朝の雨がウソのように青空に変わっていった。

今日は知人の結婚式。
結婚式ってなんでこんなに気持ち良いもんなんだろう。
よく祖父が言った『お葬式は呼ばれなくても参列できるけど、
結婚式は招待されなくては絶対参列できないし、お祝い事は必ず出席しなさい』と。
その通りですね。
でも、今までに友人の結婚式にご招待されながら出席できなかったことが3回あった。
仕事やら、結婚式が重なったりと。今でも何とかできなかったものかと後悔している。


この会場は今までに3回来てる。
花と緑にあふれ、好きな会場だよ。
玄関に着くと支配人の松尾さんが出迎えてくれた。

『あ、先生おしりあいでしたか。』

松尾さんは本当にいつも気持ちの良い応対をしてくださる。
チャペルにて式。

幸せの空気が流れる。
演出やら音楽やらそんなものは関係なく、僕は感じるんだよね。
二人の姿に涙がこぼれる。
身近な人だったらこりゃ号泣もんですよ。
下田とか今年予定されてる石崎の結婚式なんかだったら
赤ちゃんのように泣くのかもしれない(笑)。

大きな声でいつものように讃美歌を歌う。
時に友人から『恥ずかしいから』って言われるけど、祝福の気持ちですよ。

披露宴会場で新郎の職場の銀行関係者の上司に僕の高校のクラスメイトが。
『純平、あんた元気かね』
『あ、さかもっさん!!!』10年ぶりくらいの再会。
新郎からも一番尊敬する上司だと紹介を受けた。
友人が頑張ってるのは嬉しいもんだね。

料理が並ぶ。
今までに20件以上の結婚式に出席しましたが、料理がおいしかったと記憶するのは
澤田君の時の浮月楼だけかな。浮月楼の料理はすべてが良かった。
他のは全く記憶にありません。
以前ここの料理も正直、一つも美味しいものは無かったけど、
今回はかなりどれも良いと感じましたよ。

特に前もデザートは美味しかった。今回もデザートは全てが満点。

血糖値を気にすることもなく、7種類をいただきました。

こんな幸せの空気を僕は自身で感じることはできるのか・・・・。
まあ、御縁ですからね。

春によせて - 2009年04月01日


薔薇咲く頃  6号 紙本彩色

今日はスタッフのタカと都内に出かける。
第44回日春展が開催されます。明日が懇親会ですが、予定があるので
今日出かけることになった。
東京駅で友人の古長谷さんと待ち合わせ。
彼は元細野事務所のスタッフで、現在は話題の会社の執行役員をしている。

昼ご飯を食べながら、いろんな話をした。
場所は以前から気になっていた東京バルバリに。
食べたかった塩たれ親子丼は売り切れだったので、ほかのものを。
思ったより僕には少し味が薄い気がしたよ。

話は政治から経済から身近なものまで。
彼との話は面白い、タカも勉強になったはず。
行動力はあるし、アイデアも素晴らしい。
細野事務所に彼がいた時は本当に僕もよく動いた、動かせられたというか。
人の長所をうまく導く出して、動かすのが上手い。
彼の才能だと思うね。
一緒にいろいろまたやりたいなって感じた。

その後は日春展に。
いつもながら自分の作品の不勉強さを感じました。
また頑張りたいと思います。他の言葉はありません。

3時にはカメラマンの岐部君と銀座のカフェで待ち合わせ。
仕事の話でかなり盛り上がりました。
彼の作品は本当に空気があって、明るい希望に満ちていて気持ちが良い。
今後のお互いの展開が楽しみです。

とにかくいろんな人がいる。
そしてみな頑張っている。
その出会いも僕がやってきた人生だし、すばらしい仲間。
なんか嬉しいよね。
熱海だけは狭い狭い、熱海だけの物差しはつまんないよ。

外は気持ちの良い春らしい陽気。
何となく、良い春になる気がしたよ。

悲しみの朝 - 2009年04月05日

朝、僕の部屋に母が来て涙を流しながら言った。

『たけのり、Tが死んだって』・・・・。

『え!!本当に!!』

Tさんは母の同級生。
つい、10日ほど前にも僕にある資料を届けてくれた。
この時期になると、いつも僕と母を夜桜見物に伊豆高原へ車で連れていってくれた。
女性だけど、男っぽいさばさばした良い人だった。
ちょうど、3年前の夏、母が入院してた頃に彼女も大病を患って入退院していた。
その後は放射線ですっかり髪が抜け落ちていたけど、気にする様子もなく
いつも元気で笑顔を振りまいていた。
家庭の事情で家を変わったり御苦労が多かったように思う。
食事も病院も自身の体調に合わせて行けなかったに違いない。

人間って何なんだ。
人は法の上には平等とは言え、高度な先進治療は高額で
カネのないものは早く死ねというようなもんだ。
高速道路1000円なんてくだらないことで喜んでないで、
医療の充実と医療費の減額を願う!
年金も6万そこそこでどう生きろっていうの?

日本って国はまったく何やってんのかと悔しくなった。
Tさんの苦しみを思うと涙が止まらなかった。
何もできない自分が、情けない。

Tさん、ゆっくり休んでください。合掌。

細野豪志という人 - 2009年08月09日


最近、ブログを再開して画像を整理してたら友人の細野豪志議員との
写真が出てきたので書こうと思います。
4月に何となく議員会館を訪ねたときの写真。
細野の後ろには最初の当選の時に僕がプレゼントした海の絵が。

うーん、確かにこうしてみると人間は顔にでますね(笑)。
政治家って空気、熱海の絵描きって空気が(笑)。

彼との出会いは以前のブログでも書きましたね。
それから何となく親しくしているお兄さんのような存在。
最近も僕がちょっと悩んでるとすぐにメールや電話をくれる。
そして、的確なアドバイスをくれる。

僕の後援会『武典の会』の副会長でもあるし、
信頼できる友人です。

最近は僕が親しいのを知っていて、いろいろな人が細野のことを聞いてくる。

『昨日もテレビ出てましたね!』
『今度、民主党が政権取ったら細野先生は大臣ですかね?』
『顔も頭も良いからもてるでしょうね』

聞かれても僕のことじゃあないから何とも答えにくい。
僕にとっては確かに衆議院議員細野豪志は凄い存在。
尊敬できるし頭もよい、もちろん総理大臣にもなって欲しい。

でも、僕は肩書きに惚れたんじゃないですよ。
細野豪志という人間に惚れこんで友人になった。
お金も名前もない時に一緒にマックの100円のコーヒーを大切に飲んだ仲。
彼はビックになり過ぎた。もちろんそれだけの人材だ。
僕は20000歩後を追っかけてるに違いない。

政治家も、絵描きもその組織の中でもがいてる。
『僕らは同志だ』って細野がいつか話してくれた。
最近はテレビにもよく出るから、自分の選挙どこではなく
他の候補者の応援に飛び回ってるらしい。

それは党の役職もあるから仕方ないね。
でもね、お互いいつか誓ったように初心は忘れずにいこうね。
絵描きも政治家も応援してくれる人あっての自分だから。

大臣や副大臣か・・・・。
絵描きは絵を描くのみだよね。


皇太子殿下と常陸宮華子様 - 2009年08月14日

最近、皇室の方とお目にかかることが続きました。
先日は日本橋三越本店で開催された第51回の慈彩会展で、
常陸宮華子様にお目にかかりました。
毎回、私の絵の前でご意見を賜るのです。

私の作品『月光』の前で岩絵の具についてご質問くださる華子様。
博学な方で、絵の具についてももの凄くお詳しい。

私のような若輩者がこのような機会をいただけるのは有難いです。
これも絵を描いていればこそ。
描いていてもこのような機会はなかなかございません。
とても有難いことです。

やはりその10日後、新幹線ホームで皇太子殿下に。
平日の日中だったので、警備の人以外は僕を含めて数人。
手を振ると、笑顔でお答え下さった。

人間は出会いが全て。
その出会いをいかに大切にできるかですよね。
私の今を支えてくださる方たちとの出会いもほんの一瞬でした。
感謝します。

スタジオジブリで働く友 - 2009年08月14日

朝から音楽を聴いていた。
制作に考えると音楽を聴くことにしている。

そうね、好きで制作途中に流すので一番多いのはジャズかな。
特にシンガー小林桂は好きです。
コンサートも何度か行った。

今日は何となく、映画音楽を聴いていた。
午後は魔女の宅急便のサントラを聞きながら、故宮の作品集を眺めていた。
面白い組み合わせかな・・・・。

携帯が鳴る。
『あ、さかもっちゃん。俺だけど。』

高校時代からの友人の山田の伸ちゃんだった。
ジブリの魔女宅のサントラを聴いてたからかな(笑)。

聞けば僕の個展を見るために起雲閣に来てくれたのこと。
会場には僕はほとんどいないので、帰りにアトリエに遊びに来るように伝える。

彼とは高校時代、美術部やデッサンの研究所で切磋琢磨した仲間。
僕と、造形大にいった伸ちゃんと、武蔵美にいった幹士と三人で
同じ研究所に通っていた。
伸ちゃんのデッサンはとても美しかった。
漫画やアニメをかかせたらピカイチの存在。
漫画甲子園にも出場し、審査員特別賞を受賞した。

大学を卒業し、みんなの憧れのスタジオジブリに入社。
千と千尋の神隠しの字幕にもしっかり彼の名前を確認できる。

今日は日ごろの作画について話を聞かせてもらう。
僕らのように一作品に時間をかけて作るのとは違い、
描く筋肉も違うんだって。
面白い話を聞かせてもらった。

話す笑顔は高校時代とまったく変わらない。
友人って素晴らしい。
僕も伸ちゃんに負けないように今日も描きますよ。

フーコ と マーさん - 2009年08月18日

16,17日の両日、友人たちと食事をした。
フーコとマーさん。
二人は数年の付き合いを経て今年、若葉の萌える月に入籍した。

フーコとは長い付き合いになる。
そりゃそりゃ長いんだ。
彼女の文化服装学院のディスプレイ科の卒業制作も
一緒に作ったほど(笑)。
お互いの仕事も恋人もすべてを知り尽くしてる親友だ。
彼女はアパレルやら帽子のデザイナーを経て、今は子供向けの事業を
したいと考えてるらしい。
才能あるから何でもできるよ。
本当は帽子は僕も興味あったので、一緒にデザインとかいずれしたいね。

マーさんはちょっと年下だけど、ホントに素晴らしい青年。
今は店舗デザイナーとして都内で活躍している。
銀座などの人気店のデザインも彼が担当し、いずれは僕と?形にしたいね。
気持ちも優しいし、フーコが彼と結婚したのは本当に嬉しい。

この二人を通して、多くの友人を紹介してもらった。
こういった二人との食事は楽しい。
仕事の愚痴とかはなく、いつもクリエイティブな話ができる。
彼らとはいずれ近い将来、都内でのコラボが実現することと思う。

来週末は品川プリンスホテルで彼らの結婚式。
きっと泣いちゃうよ、おめでとう!


KAICHIとの初コラボ - 2009年08月22日

ついに完成しました!親友カズミの会社との初コラボのチラシ。

ベジフルスイーツKAICHI(カイチ)。
富士、函南、熱海に3店舗を有する話題のお店です。
野菜やフルーツを使ったスイーツを提案してる。

カズミとは今までも何度もいろんなこと一緒にやろうと計画しましたね。
ただ、僕がちょっと前まである事業にかかわっていたので
どうしてもできなかったのでした。

それも片付いたので、小さな一歩のチラシ。

お互いの仕事は全く違う。だからこそ面白いね。画家の紹介の裏にスイーツの紹介。

昨日も夜に何度もメールのやり取り。

『やっと先生らしい生活になったね!
でも今まで〇〇で忙しかったから逆に物足りないでしょう?
近いうちに一緒に何か面白いことをやりましょう。まずは焼き肉行こう!』と。

友人とは本当に有難い。
心が通う気がするんだ。奥さんのトモちゃんもセンスあふれる素敵な人。
下田と同じく最近では、なんでも話せる仲の良い親友だ。
カズミは凄い人。頑張るし、さっらっとやり遂げる。

まあ、大きなことはこの絵描きにはできませんが、
取り合えずあの焼肉を食べに行こうよ(笑)。

日芸(日本大学芸術学部)の友人たち - 2009年08月26日

僕が通っていた大学は日本大学芸術学部です。
通称『日芸(ニチゲイ)』と言います。

日芸の人間は『どちらの大学出身ですか?』と聞かれて、
『日本大学です』と答える人はほとんどいない。
僕は中学の頃から何となく日芸に行きたいと考えていた。

その当時は映画やテレビの関係の仕事に就きたかったので
日芸は何となくそれに近い大学だと教えられていた。
そうですね、特に学力が高いとか、技術レベルが良いとか思いませんが
なんか、憧れる学校でしたね。

まあ、縁あってこの大学に籍を置きました。
内容、校風はそれぞれの意見もありますし、良くは解らない。
どこかのサイトに日芸卒業生が書いてありました。
参考としましたので、良くは知りません。

太田 光 (おおた ひかり/爆笑問題) 芸術学部演劇学科(中退)
大塚 寧々 (おおつか ねね) 芸術学部写真学科卒業
大鶴 義丹 (おおつる ぎたん) (中退)
角松 敏生 (かどまつ としき)
神田 正輝 (かんだ まさき) 芸術学部映画学科卒業
真田 広之 (さなだ ひろゆき) 芸術学部映画学科卒業
中村獅童 (なかむら しどう)
宍戸 錠 (ししど じょう)
篠山 紀信 (しのやま きしん) 芸術学部写真学科
柴田 恭平 (しばた きょうへい)
高田 文夫 (たかだ ふみお) 芸術学部
高橋 英樹 (たかはし ひでき)
田中 裕二 (たなか ゆうじ/爆笑問題) 芸術学部演劇学科(中退)
冨永 みーな (とみなが みーな) 芸術学部(中退)
内藤 剛志 (ないとう つよし) 芸術学部
中井 美穂 (なかい みほ) 芸術学部
三谷 幸喜 (みたに こうき/脚本家) 芸術学部演劇学科
桜塚やっくん(さくらづか やっくん) 芸術学部卒業
山本 晋也 (やまもと しんや/映画監督)
吉本 ばなな (よしもと ばなな) 芸術学部文芸学科
宮藤官九郎(くどう かんくろう)
ゴリ(ごり/ガレッジセール)
佐藤隆太(さとう りゅうた)映画学科
などなど・・・・。

制作現場でもかなり多くの人が働いてるんだと思います。
僕の通ってた時も、元ジャニーズジュニアとか有名女優の息子さんとか
かなり多く通ってましたね。
ボンボンやお金持ちのお嬢様が多い感じがしました。

多くの友人がいますが、つい昨日も映画関係の現場で活躍してる友人と
久しぶりにメールを。

彼の名前は山本タカアキ君。
現在はサウンドデザイナーとして下記のような映画作品を中心に
活動、活躍している。

松江哲明 監督『ライブテープ』(09)/劇場公開作品
山下敦弘 監督『上野樹里と5つの鞄/となりのとなりのあきら』(09)/WOWOW
山下敦弘 監督『土俵際のアリア』(09)/auオリジナルドラマ
キム・テシク 監督『東京タクシー』(09)/MUSIC ON! TV スペシャルドラマ
冨永昌敬 監督『シャーリーの好色人生と転落人生(転落人生)』(08)/劇場公開作品
入江悠 監督『SR サイタマノラッパー』(08)/劇場公開作品 
           ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2009オフシアターコンペティション部門グランプリ 
           第13回富川国際ファンタスティック映画祭NETPAC AWARD(最優秀アジア映画賞) 
小田切譲 監督『さくらな人たち』(08)/第38回ロッテルダム国際映画祭特別招待作品
沖田修一 監督『青梅街道精進旅行』(08)/MUSIC ON! TV スペシャルドラマ
沖田修一 監督『後楽園の母』(08)/MUSIC ON! TV スペシャルドラマ
沖田修一 監督『リバーサイド入口(全四話)』(08)/関西テレビ
吉田良子 監督『功夫哀歌/カンフーエレジー』(08)/桃まつりpresents真夜中の宴
前田弘二 監督『くりいむレモン 旅の終わり』(07)/劇場公開作品
冨永昌敬 監督『コンナオトナノオンナノコ』(07)/劇場公開作品
入江悠 監督『水着スパイ』(07)/DVD
入江悠 監督『JAPONICA VIRUS』(05-06)/劇場公開作品
冨永昌敬 監督『パビリオン山椒魚』(05-06)/劇場公開作品
中村龍太郎 監督『僕はこの丘で、君を愛したい・・・』(05)/劇場公開作品
冨永昌敬 監督『Shirley Temple Japon part2』/劇場公開作品(05)
入江悠 監督『OBSESSION』『SEVEN DRIVES』劇場公開用リミックス(05)
沖田修一 監督『進め!』(05)
菊地成孔『南米のエリザベス・テイラー』特典DVD(05)
冨永昌敬 監督『シャーリー・テンプル・ジャポン』(04)/2004年水戸短編映像祭曽我部恵一ライブ背景映像
鈴木龍一郎 監督『みんな赤字』(04)
冨永昌敬 監督『オリエンテ・リング』(04)/遊園地再生事業団『be found dead』第四話
大久保ニュー 監督『ハヤシ炒飯』(04)/Veltga Film 613 presents『ベリーショートスペシャル#2』
菊地成孔『DEGUSTATION A JAZZ』初回特典DVD(04)
中村龍太郎 監督『いつの間にか』(03)/スカイパーフェクTV『homematsuli』
冨永昌敬 監督『亀虫』シリーズ(02-03)/DVD 劇場公開作品
冨永昌敬 監督『農村の女優』(03)/2003年水戸短編映像祭オープニング映像
冨永昌敬 監督『テトラポッド・レポート』(03)
杉山彦々 監督『ROPO』(03)
杉山彦々 監督『働く車』(03)
冨永昌敬 監督『VICUNAS』(02)/2002年水戸短編映像祭グランプリ
中村龍太郎 監督『タンバリボン』(02)/日本大学芸術学部大学院卒業制作

大学時代は彼の課題で『絵を描く生活』として僕の映像を撮ってくれた。
映像として僕の制作現場が残っているのは有難い。
僕も彼をモデルとして一枚の絵を仕上げた。

とにかく、頑張ってる友人と会うのは励みになる。
僕も頑張ろうって気持ちが強くなる。
友達って素晴らしい。

幸せの日 - 2009年08月29日

この数日、かなりの具合の悪さにダウン。
でも、この日はどうしても親友の結婚式にでたかった。
朝は痛み止めやら万全の体制をつくって出発した。

10時半過ぎの新幹線で品川プリンスホテルを目指す。

そう、今日は待ちに待った親友のフーコとマアさんの結婚式。
会場のホテルは夏休み最後の土曜日とあって、ロビーからごった返していた。
40分ほど時間に余裕があったので、二階のカフェにて休憩。
熱っぽい体と汗が落ち着いた。

10分前に受付を済ませ、開式を待つ。
そこへ、友人たちが続々と現われる。
おぎちゃん、マーガレット、太郎、キムチ君と奥さん、ジョー君、サオリちゃん、ブール夫婦。
あ、これは僕が呼んでるあだ名ですよ(笑)。
正装したみんなと会うのはなんだか楽しい。
そしてホテル内のチャペルへ。

幸せな時間が過ぎていく・・・。

僕は一つ一つの思い出を振り返りながら、心から嬉しかった。
フーコやマアさんにはたくさんの素晴らしい出会いをもらった。

僕も大切な友人を紹介したり・・・。
いつの時間も幸せに満ちてたね。

そんな彼らを慕う多くの友人が今日もあふれていた。

幸せを感じる時間は説明はできないけど、ナチュラルな空気が香るんだ。

最後、マアさんのお父さんの涙につられて僕も涙。
子はいつまで経っても子供。大切な我が子。
もちろん親もそうです。

その余韻のまま二次会場へ。

こちらも多くの友人でいっぱい。彼らの会らしくアーティストが多かった。
たまたま同じテーブルの小川さんはEXILEの衣装のデザイナー。

今回のマアさんの衣装も彼が特別に作った世界で一つだけのものとか。

フーコ、マアさん本当におめでとう。
あーた達の幸せは皆が祈ってる。

短くても濃い時間 - 2009年09月08日

日曜日は都内にいたので、友人たちとの時間を楽しんだ。
友との過ごす時間は宝だ。
忙しくても、短い時間でも許す限り時間を作って会いたい。
話をし、酒を酌み交わし、お互いの意見を話すことは素晴らしい。

この日は8時に中目黒のまいどてっぺんに集まった。

メンバーはフーコ、マアさん、シロちゃん、キムチ君夫婦、小川君と僕の7人。
親友フーコの旦那のマアさんはインテリアのデザインをしている。
シロちゃんは帽子やアクセサリーのデザインと販売の会社、
キムチ君は空間創作の専門家。キムチ君の奥さんは伊勢丹に入ってるジュエリーショップの店長。
小川君はEXILEの衣装デザイナーでCoal Blackの取締役。

話すことはお互いの生活だったり、食べ物の話とか趣味とか当たり前のこと。
仕事の話はほとんどしない。
だけどそこには何か違うものを感じたりする。
人は何をしていても、自身の毎日が溢れるよね。
僕たちの共通することは物作りが基本にあるということかな。
それでいて、作ってるものが違うから良いのかもしれない。

今日はキムチ君との話が盛りあがった。
物を作る喜びと誇り、そしてその苦労や感動。

『たけちゃん、俺は友達にはその力を最大限にお願いして、
 俺ができることはできる限り友達に還元するよ』と。

キムチ君、僕もそう思う。
僕たちの仕事は人との繋がりです。それを大切にし、それを最大限に大切にする。
ただの飲んで騒ぐ友達も大切だけど、そこに仕事の糸が結べば
お互いの力を存分に発揮できるかもしれないよね。

このあと、小川君の彼女やスタッフが3人来ることになったが
僕は10時の最終新幹線に乗るため、みんなより先に出た。
みんなはわざわざ出口まで出てきてくれた。
僕の姿が見えなくなるまで大きく手を振っていた。

人との出会いは素晴らしい。
僕にはこういった仲間がたくさんいる。感謝ですよ。
今日も二時間ほどだったけど、その時間は濃く永遠を感じさせてくれた。

で、今日の料理で一番旨かったのはこの明太子入りの厚焼き玉子。

中にはあふれんばかりの明太子。大根はおろしでなくて、つぶしたものを刻んでいて
食感がなかなか。
焼き加減もちょうど良かった。料理を出すタイミングも上手い。
串焼きもなかなかでした。
僕の好きな渋谷の串焼きジョウモンさんが目標ですだって。

ダイスケ - 2009年09月09日

同じ名前の人間がこの世に存在することは興味がある。
インターネットが普及し、良いことも悪いことも検索サイトで調べると
一瞬で情報がはいります。便利になりましたね。

『坂本武典』さんは九州にもいて、何だが不思議な気持ちになる。

僕が出会った中で、今まで多かった名前って考えてみた。
幼稚園、小学校、中学高校大学。そして社会人になってから。
タカシ、キョウコって人も多かったけど、一番だったのは ダイスケ という名前の人でした。
全部で13人いました。

それも、何となく僕の人生に大きくかかわっているような人達でした。
あるダイスケは一緒に美術部を盛りたてた仲間。
そしてあるダイスケはお互いの心の支えになるような小学校からの親友。
そして仕事や人生をかけた仲間もダイスケでした。

それぞれに顔も形も人間もバラバラですが、
どのダイスケにも共通するのは笑顔が素晴らしいってこと。

あ、こんなこと普通考えないですよね(笑)。
良いじゃあないですか、人生一度きり。
いろいろ考えて毎日を感謝し大切に行きたいんですよ。


副大臣の仕事 - 2009年09月19日

昨日、鳩山新政権の副大臣の発表がありました。

僕の後援会『武典(ブデン)の会』関係者からも数名の入閣があったので
お祝いを兼ねてご報告いたします。
しかし、ごく親しい身近な人たちが大臣と名のつく国のポストにつくなんて
なんだか不思議な気分だねぇ。

まずは渡辺周さんは総務副大臣。
顧問の榛葉賀津也さんは防衛副大臣に。
幹事の泉健太さんは内閣府政務官に就任されました。
まことにおめでとうございます。みんな良かったね。

今回の政権では副大臣の仕事が大きく注目されています。
国民のためにしっかり働いて下さる皆さんです。
応援を宜しくお願いいたします。

榛葉さんには先ほど携帯にお祝いの電話をかけた。
『先生、皆さんのご期待にそえるように頑張ります』って榛葉さん。

で、肝心な友人で副会長の細野豪志議員。
僕は前原さんとこの副大臣になるかと勝手に予想してたけど・・・。
党務になったのでしょうか?
政府でバリバリ仕事して欲しい気持ちはあったけど。
彼は引く手数多で、仕方ないのでしょう。

まあ、僕は絵を描くのみですよ。

政治家は元気だ - 2009年11月18日

僕は特に政権にどうのこうのはありません。
前にも話したけど、親友の細野豪志議員を応援してる。

で、今日はお世話になってる渡辺周総務副大臣と細野議員に会いに行った。
数か月前に国会へ訪ねた時とは大違い。
周さんも副大臣ですから・・・。

副大臣室に通していただき写真を(笑)。
市議の橋本さんと周先生と一緒に。僕のこの顔・・・・。
ごめんなさい、徹夜で絵を描いてそのまま来たので少々疲れ気味。

与党となった最近は以前のように頻繁に会う機会が少ない。

民主党の副幹事長の細野豪志議員も同じく。
『ブデンさ~ん、どうよ元気?』
『まあね、ぼちぼち』
多忙のようだね、かなり。
最近はよほどの用がない限り、携帯に電話やメールは申し訳ない気がしてしない。
僕と写真撮る前にも知らない方から写真の催促が凄かった。
人気もんだね、さすが。

ゆっくり話せなかったせいか、夜に豪志議員から携帯に電話が。
いろんな意見交換をし、都内でご飯でもと言って切った。

鳩山邸にもお邪魔し、なんだか疲れた一日だった。

しかし、政治家は元気だ。

初体験の・・・・・ - 2009年12月20日

Aさんは一昨日に初めてアトリエで僕の絵をご覧になったそうだ。
そして、今日は娘さんを連れて再度来てくださった。

『夜の絵の色がどうしても忘れられなくて』そう言ってくださった。
そして、飾る場所を決めてご注文に来てくださったのです。

『絵を買うのは初めてです』と、緊張と喜びのような空気で語ってくださる。
なんだか、非常に嬉しかったですね。
絵を気にいってくださったこと、再度見に来てくださったこと、そして僕の絵を
求めてくださったこと、初めて買う絵が僕の作品であること・・・。

解ってはいても、直接言葉で言ってくださるのは身も引き締まるし
初心を思い出し、緊張感を覚えます。感謝します。

さて、今日は我が家の個展会場に珍しいお客様が。

斉藤熱海市長夫妻。
今まではなかなか絵に興味がないのか来てくださらなかったけど(笑)。
今日はテレビで知ってとご夫婦で来てくださいました。
近く、情報交換のために食事でもしましょうと言って帰られた。


その一時間後、渡辺周総務副大臣と橋本一実市議が来てくださる。
周さんと橋本さんは本当にいつも来てくださいます。
『先生見に行きますよ~』と、その場の言葉を言う政治家センセイは多いですが
やはり、政治も世事も行動ですよね(笑)。
そんな意味でもこのお二人のような政治家は信用できます。
なーんて僕が偉そうにごめんなさい。

その他も生徒さんやら、観光客や今日も来客が多い一日でした。

同級生との宴 - 2010年01月02日

朝はゆっくりと起きました。
携帯を見ると新年のおめでとうメールがたっくさん来てました。

京都の友人の木井君からはじまって、洋子、フーコ、マアサン、雄太、シンゴ、
まどかちゃん、兼吉、寅吉、マーガレットなどなど三十ほど・・・。
皆、元気に新年を迎えたようで感謝します。

新年と言ったらお節料理でしょう。




我が家のおせち料理の一部。
いつものように母の手作りと鶴吉特製でございます。

昼は年賀状を見ながら笑ったり、のんびり。
しかし、年賀状を見るとみな結婚して子供がいる友人がほとんど・・・。
僕にもそんな日が来るのでございましょうか?なんて結構考えたよ(笑)。

夜は中学の同級生が我が家に集まった。
のりちゃん、あつし、明と・・・。
呑んだ呑んだ!ワインを4本、磯自慢やら芋焼酎をたらふく飲んでワイワイと。
しかし、中学の同級生は本当に気持ちがよい。
くっだらない話をしても楽しいし、仕事や立場なんか超えて付き合える。

久々に僕も楽しく酔いました。
結局、アトリエにそのまま寝て朝を迎えた人も。

楽しい時間でした。


我が家の恒例行事? - 2010年01月03日

三日もこの十数年、変わらぬ予定。

箱根駅伝が終わり、2時過ぎに親戚たちと車で三嶋大社に初詣に行く。
車は例年より空いてましたね。

みしまプラザホテルに寄る。ここのロビーはいつも花が綺麗だ。
今年も5月にこちらのギャラリーで個展を開催します。


三嶋大社は例年のように参拝客で混んでいた。
参拝を済ませ、おみくじ、三嶋駒、熊手を授かる。
これもいつもとおんなじ。何となく縁起をかつぎたくなるんだよね。

帰りも境内でフランクフルトとたこ焼きを買う。これもパターン(笑)。
で、いつものように皆でうなぎを食べるんだ。

でもね、これが何となく我が家の正月って恒例行事のような気がしてさ。

僕は正月に海外とかのんびり旅行って行ったことがない。
実家といっても我が家は本家だし、昔からお客さんが多くて。
祖父が生きていたころは、年始のあいさつに毎日数十人。
だからお年玉もほかの友達とは比べ物にならないくらい多かったですよ(笑)。
友達が『合計で3万円だったよー』とか喜んでたけど、
僕なんか小学校低学年で20万円は超えてたし・・。

でも、このワンパターンも続いているのは幸せ。
家族や皆が変わらず幸せに健康で入れるからこそなんだよね。

しかし・・・・年末年始の食事でいよいよお腹が・・・・。
明日からはダイエットですよ。

茶房月の渚は夜もやってます - 2010年01月04日

昨晩は親友のフーコとマアサンが我が家に。

いつもは一緒に出かけるんだけど、今回は我が家の一階の茶房月の渚へ。
ご存じのように、ここは昼は僕の母がランチやコーヒーを中心に営業してます。

で、実は11月から夜はスタッフのカズヤ君がこだわりのメニューとお酒を中心に営業。
詳細はぼちぼち書きますが、まずはカズヤ君手作りのホームページをどうぞご覧ください。
茶房月の渚ホームページ

そうですね、夜は居酒屋とバーの間って感じでしょうか。
カズヤ君はフレンチ、居酒屋などでも料理を学んできたので結構うまいもん作ります。
まあ、何といっても食に関しては僕の目が光ってますし(笑)。

今日も観光客やらで店内は満席です。

フーコやマアサンも気に入ってくれたかな。
二人とも都内での秋の個展の話を中心に一緒に京都へ行こうとか話して盛り上がった。
熱海にいてもこの二人といるとなんか都内で頑張ってみようという気になる。
こういった友人は宝もんだ。

僕の新年三が日はこうやって幸せに過ぎました。


細野豪志議員との時間 - 2010年01月05日

午後は年賀状の整理をしていた。

携帯が鳴る・・・
『あけましておめでとうございます。ブデンさん今家にいる?』
と、親友の細野豪志議員から電話だった。

『いるよ、今何処よ?』と僕。
聞けば、都議補選の応援で大島に行って船で熱海に着くから話でもしようということに。

一時間後に到着。
さすがに民主党副幹事長でテレビでも人気者、月の渚にいたお客様からもサインを求められる。
でも今日は久しぶりに二人で話す時間だったので、アトリエに。

『最近どう?』と細野議員。
『まあ、ぼちぼち』と僕。いつもそんな会話から始まるなぁ。

政治のこと、家族のこと、仕事のこと、身近な問題から熱海の市長選のことなど・・・。
ここには書けないことまでいろいろ話しました。

細野豪志氏という人間と付き合って10年。
彼はいつも僕の目標でした。
僕の前を100歩進んでた、いや今は一万歩かな。

常に真剣で前向きで。時にはケンカもしたけど。
しかし、どんな時も彼は真っ直ぐに付き合ってくれた。
僕も衆議院議員とかそんなこと関係なく、友人として付き合ってきたつもりです。
彼と出会ったことは、師高山辰雄先生に出会ったことと同じくらい宝だ。

細野豪志という人間と過ごす時間は今や貴重になった。
政権をとり、衆議院議員、民主党の副幹事長という任務は激務だ。
アトリエにいた二時間弱の間もひっきりなしに携帯が鳴って打ち合わせ。

でも、忙しい中を訪ねてくれるのは本当に嬉しいよね。

『ブデンさんさぁ、私のことどう思うよ?』と細野議員。

『そうね、あなたは強運な人!』と僕。

なーんとなくそんな話で終わりましたよ。
とにかく、内閣総理大臣になって日本を本当に素晴らしい国にしておくれ。

僕のバレンタインデー - 2010年02月14日

世の中はバレンタインですね。
今日は日曜日だから幸せに過ごしてる方は多いと思います。

僕も今までにいろいろなバレンタインデーがありました。

小学校の頃はもらうのが恥ずかしくて・・・・。
特に好きな子からもらうのはどーも苦手でした。
僕がいらないってみんなに返すから泣きだす子もいて、
担任の美幸先生に 『たけのり、もらってあげなさい!』 とか怒られたりして(笑)。

義理やら本命やらよくわかりませんが、毎年3,40個もらいましたよ。
僕のモテ期ピークでしょうか(笑)。

絵を描くようになって体がブタ化(恥)してからは本命は無く・・・・
いやいや、それからも多くの皆さんに栄養のためにとチョコをいただきます。

今年も多くの皆さんからいただきました。
ありがとうございました~❤

あたたかな気持ち - 2010年03月26日

最近、人との付き合い方で考えることがしばしばあった。

僕は単純なのか、お節介なのか人から相談されると自分ごとのように
悩み考えてしまう。
それゆえ、何とかしてあげよう、こうしたら良いのではと意見し行動してしまう。
めんどくさい、お節介なのでしょう。

右から左に流すことはできない性格で・・・・。
『君は時間もあるし、お金と余裕があるから人のことまで考えられるんだよ』
なんて言われた。
そんなことは全くないのにとガッカリさせられた。

今日は親しい友人から嬉しい贈り物があった。


最近凝ってるアロマのセット。
オイルも有名店のオーガニックのものだ。

『遅くなったけど誕生日に』と。
メッセージカードも嬉しかったし、何よりその気持ちに感動した。
その友人とは何となくそんな話をした。それを覚えていてくれたんだ。

相手のことを想い、考えて時間をかけて忙しい中買い物にも行ってくれたんだと思う。
ちょっと人に対して悩んでたから特に嬉しかった。

『T君、Mちゃんありがとう!!』

あと、誕生祝いにあれから電話をくれたフミコ、兼吉ありがとうね。
あったかい気持ちとアロマで今日は久々に癒されたよ。


個展に来てくれた友人知人 - 2010年05月19日

今回の個展にも約700名の皆さんが来てくださいました。
友人知人もたくさん来てくれて、ホント嬉しかった。

写真を撮り忘れてしまうことも多くて・・・。
撮った皆さんの一部をご紹介しますね。


オペラ歌手の近藤辰俊さん。
僕とは同じ年。若いですねいつもカッコイイし。お忙しいのに感謝です。
もうすぐ、大地真央さんとのミュージカルで遠征とか。頑張ってください。


僕の後援会『ブデンの会』の副会長でもある、河西内科クリニックの河西研一先生。
河西クリニックには僕の絵がたくさん展示所蔵していただいております。
僕の体調管理も先生にすべてお願いしています。
ダイエットですよね・・・先生解っております(笑)。


高校時代のクラスメイト、服部と内田。
なんか久しぶりで本当に楽しかった。今度呑みに行こう!
同級生っていいもんですね。


僕の個展で毎回作品をお求め下さっている鈴木様。
今回は円窓の月を。


いつもお世話になっている熱海の多賀でも一番の繁盛旅館のニューとみよしの富岡社長と夫人。
いつも元気をいただく後藤元熱海第一小校長先生。
ニューとみよし様にはこの朝日の絵を所蔵いただくことになりました。


三島市の人気和食ダイニングのKURUHAの難波さん。
お食事いただきましたが、ここのは本物の味。
すべてオリジナルで手作り。
味にも盛り付けにも深みがあって、さすが一流店で学ばれたのは料理にでてます。
巷のizakaya料理も悪くはないけど、やはりKURUHAさんは本物納得の味。
人柄も素晴らしかったです。また伺います。

ほかにもたっくさんいるんですが、とりあえず最後はパーティーの写真。
総勢70名の皆さまがお祝いに駆けつけてくださいました。
先にお帰りになった半数のみなさんごめんなさい。写真を撮ったのでした。

僕を真ん中に、長泉の遠藤日出夫町長、今福教育長、田中ブデンの会会長、
僕の隣はブデンの会幹事の平山様。橋本一実熱海市議、馬場妙子三島市議。
土田参議院議員長田秘書、細野豪志衆議院議員山下秘書、フリーアナウンサーの
遠藤行洋さんには司会をお願いし、感謝。

みなさんありがとうございました。

細野豪志幹事長代理 - 2010年06月12日

菅さんの新政権となりましたね。

菅さんにも枝野さんにしても、何度もお目にかかった方が
多いので不思議な気分です。
枝野さんとも熱海で一緒にお酒も呑んだしなぁ。

親友の細野豪志議員は民主党の幹事長代理とかで、
前より少し忙しい役目になったのでしょう。

『ブデンさん、細野先生は偉くなりましたね!』
『次期大臣、総理大臣も夢じゃあないですね!』
とか、僕と細野が親しいのを皆が知ってるので毎日言われます。
まるで僕が誉められてるような毎日です・・・。

僕は政治のことはよくわかりません。
幹事長代理ってのもどんな仕事だかわからない。
テレビに出る、民主党のお財布を預かる、国の重要ポストになる・・・。
これは確かに素晴らしいし、親友としても嬉しい。
ただ、細野議員にもとにかく初心を忘れないで欲しいのです。

僕もそうだけど、応援してくれる人があって自分の今現在がある。
時に時代に乗ってしまうと忘れてしまうからね。
細野豪志はホントに素晴らしい人間だから、そこを大切に頑張ってほしい。

そうですね、せっかく親しい友達が政権の中枢に沢山いるので
是非とも文化面の充実をお願いしたいと考えます。
バンバン言いに国会に行くよ(笑)。
経済、国際問題もそりゃあ大事だけど、何より文化だと思うんだ。
1枚の絵が世界を変えることだってある。

とにかく頑張ってほしい。


日本画展『耕』の初日 - 2010年07月26日


猛暑の中、第4回 日本画展『耕』が始まった。
この展覧会は師である髙山辰雄先生が僕たち若い弟子のことを考え、
先輩方と一緒に勉強する場をと考えて作ってくださったグループ展です。

『耕(こう)』という名前も先生が付けてくださった。

一年半に一回、前回までは銀座松屋の美術画廊にて開催。
今回からはこのギャラリー白百合にての開催となりました。

会場はとても感じが良く、東京駅から歩いて3分と便利も良い。
朝から多くの皆さまが来場くださいました。

僕の友人知人も初日から来てくださった。
まず最初のお客様は親友で僕の後援会『ブデンの会』副会長でもある
細野豪志民主党幹事長代理。

かなり多忙な中とは思いますが、良く来てくださいました。
もう今や有名政治家なので、来場者からも僕の先輩からも声をかけられていました。

『あんたね、国の文化の予算削ったらダメだよ!』と僕。
『そうなの?わかったわかった・・・』と細野。

偉くなろうが有名になろうが友人とは有難い。

ほかにも高校時代の親友の勝又が来場。
彼とはよくケンカもしますが、必ず絵を見に来てくれる。
僕にとって絵を見てくれる友人が一番と実際感じます。
面白おかしい食事や飲み会に一緒にいるのはだれもが心地よい。
でも僕の仕事というか、絵を見に来てくれる友人が本物かなーと感じるよ。

午後には僕の後援会『ブデンの会』の田中会長もご来場。
田中会長も暑い中を本当にありがとうございました。

うだる暑さの中ではありましたが、日展の会員、評議員の先生方もたくさん来てくださって
本当に嬉しい初日でございました。

『夜』  紙本彩色  50号


受付当番 - 2010年07月27日

この3日は受付当番に通う。

もちろん、ギャラリーのスタッフの方が2人受付にはいてくださいますが、
会場にいることは勉強になる。
先輩方の何気ない一言や、芸術院会員などの先輩日本画家の先生のご意見を
伺えたり素晴らしい機会なんだ。

髙山先生亡きあと、なかなか絵の感想や指導をいただく機会は少なくなった。
そんな中なので、先輩方にいろいろなご意見をいただけて嬉しい。
それにめったに会えない友人知人に会える時間でもある。


昼ごろに中学からの親友のダイルが奥さんと。
彼は数年前までは東京モード学園の講師として活躍し、僕のお気に入りの
ベストも手作りで作ってくれた。
先月もアトリエに来てくれていろんな話をした。
今日も美食話で盛り上がる。友人とのこんな時間は生きてる幸せを感じるね。
暑いのにありがと。

また二年ぶりにお会いする知人の吉岡さんが。

吉岡さんも僕の後援会発足当時から応援してくださっている。
ホントに頭は良いし、いつも素敵な方です。
今日も有名な蜜芋プディングをたっくさん頂きました。
多くをお話ししなくても、応援くださってる空気を感じます。感謝します。


夕方は榛葉賀津也 防衛副大臣が来てくださる。
榛葉さんも僕の後援会の顧問をしてくださっています。
『あ、先生ブタちゃん描いたんだー』とニコニコ。
いろいろな情報交換をしました。
しかし、副大臣の忙しい職務の中本当にありがたいです。
忙しい人ほど、時間をつくるのが上手いって言うけど、
榛葉さんは本当にそんな人ですね。

そのほかにも、銀座に事務所を構える福野社長、西田の奥様、
カメラマンのキベジュンイチロウ君など多くの友人知人が暑い中を・・・感謝します。

明日も一日受付当番 顔張り(笑顔で元気いっぱい)ます!

会期中の空気 - 2010年07月28日

グループ展3日目。
今日も朝から暑い暑い。

こんな猛暑は本当に命の危険さえ感じるよ。
とにかく一日3リットルは水分をとってます。

今日も親しい友人がわざわざ絵を見に来てくれました。
昼過ぎには僕の後援会『ブデンの会』の幹事でもある内閣府大臣政務官の
泉健太衆議院議員が。

『ブデンさん久しぶりー』と。
『忙しいのに悪いねー』僕。
いつ会っても泉さんは爽やかです。
みんな偉くなってしまって、与党になって政府の人間になるとなかなか会えない。

泉さんは京都選出の議員さんです。でも出身は北海道。
時折りでる京都弁がなんとなくいい(笑)。
僕の2歳年上の36歳。凄いねーがんばってます。
なんだかんだと10年のお付き合い。
『会館新しくなったから遊びに来てよー』と言って帰って行きました。
泉さん忙しいのにありがとうね。

夕方には友人のテノール歌手の近藤辰俊さんが。

ハイアットリージェンシーの美味しいお土産を頂きました。
近藤さんは歌手としても一流ですが、僕との共通点は『美味しいもん好き』。
たぶん、僕の数倍はいろいろなレストランを知っています。
いつも会うと心が綺麗になる気がします。
ありがとうございます。

ほかにも高校時代のクラスメイトの警視庁の杉本さんも来てくれて懐かしかった。
みんな仕事をがんばっているようで本当に励みだよ。

3日間の当番は何だか嬉しい毎日だったよ。
たくさんの日展の先輩画家さんにお目にかかれたのは勉強になった。
髙山門下の先輩方と長い時間を絵の話などして過ごせたのも幸せだったし。

僕は今まで絵描き同士の交流が嫌いだった。
なんか入選や特選が欲しくて媚をうって付き合っているようにしか思えなかったから。
僕は人との交流は大好き。一期一会の気持ちで出会った人とは大切に付き合う。
だからこんな親の七光りなんか無い僕でもたくさんの一流の方々と友達になった。
でも、絵描きの集まりは損得やお互いのエゴが強く見え隠れして嫌いでした。

・・・・・でも今回それがちょっと違く感じた。絵描きは正直なんだと思った。
誰もが真剣で一生懸命なんだと。
だからちょっと気持ちに整理もついたし、勉強になった。
充実した3日間でしたぁ。

母とスタッフのカズヤ君に美味しいお土産を買って今日は早く帰り休みました。

大忙しの日 - 2010年08月22日

なんだかんだと忙しい日々。
ブログもなかなか更新できずにすいません。

今日も朝から沼津の絵画教室。
昼食は必ず大好物の うなぎ って決めてるんだけど、うなよしまでとても暑くて歩けない。
食べたい、食べれないって思うとますます食べたくなる。
仕方ないので、今月は教室近くのマジックインディアというカレー屋に通ってる。

本場インドカリーなので香辛料が効いてて、さらっとしてる。
夏にはもってこいだ。
僕のお勧めはシーフードと豆のカリーです。食べ放題なので2回はおかわりします。

で、終わっていつものように3時32分の電車で帰る。
帰って書類の整理や電話の応対に追われる。

そこにメールがはいる。

『今からブデンさん家向かうけど・・・』と親友の細野豪志議員からだった。
今日は久々に熱海入りしたようで、県議選と市議補選の応援に来たようだ。
『車が渋滞してる・・・』とかメールがきて、着いたのは一時間後だった。

最近は良く会うんだけど、時間ができると二人で話をするのは面白い。

『ブデンさんさー、今の情勢どう思う?』と細野。
『あんた、本当に小沢さん代表選出て欲しいって世の中が思ってると思う?』と僕(笑)。
まあ、そんなやりとりやら、熱海の選挙、共通の友人知人の話など・・・。

『自分が代表選出ちゃえばいいじゃん』と僕。
『そんなこと言ってくれるのはブデンさんだけだよー』と笑いながら細野。

夜は花火大会なので、誘いましたが会合とかで30分ほどで帰って行った。
帰りも多くの観光客に『細野さん、頑張ってー!』と声をかけられてた。

今は立場上、悪役に徹することもあるだろうけど、素の細野豪志という人間はマジでカッコイイ。
こんな男に日本を任せたらと、真面目に思うんだ。

夜の花火には三島のうなよし・澄の坊の社長が友人たちと、僕の叔母が孫たちと総勢20名が
我が家の屋上で花火を楽しんだ。
結局、食べたかった うなぎ は澄の坊の社長がお土産で三人前持ってきてくださった。
僕って本当に願いがすぐに叶う人生なんだなーって感じた(笑)。


なんだか忙しい日だったな。

さて、絵を描くとします。

エリート海猿(特殊救難隊) - 2010年09月15日

『こんにちはー、夏のご挨拶に来ましたー』
そう言って、オレンジ色の服装の海上保安庁・特殊救難隊の皆さんが我が家にあいさつに見えた。
一か月前のことだ。

トッキューこと羽田特殊救難隊の皆さんとの関係は以前のブログを見ていただきたい。
今回はお中元ということでお菓子をわざわざ届けてくださった。

近所の人たちも海上保安庁の隊員が来たので何事があったのかと見に来る(笑)。

特殊救難隊の隊員のみなさんはとにかく礼儀正しく、明るく爽やかで素晴らしい。
命を懸けて人命救助にあたる立派な仕事だ。海保の中でもエリート集団。
最近は海猿やマンガ・トッキューの影響でその活動が良く分かり、僕も嬉しい。
こういった素晴らしい公務員の方もいるからね。日本は捨てたもんじゃあない。

我が家でも毎年特殊救難隊の皆さんが届けてくださるカレンダーとともに
月日を送る。
大変なお仕事ですが頑張ってください!
いつも羽田の基地に遊びに来てくださいと言ってくださるので、
今度見学に行きますね。

ちょっと官邸に - 2010年11月18日

今日は来月に世田谷で開催する個展や、仕事の打ち合わせを兼ねて都内へ。

銀座にて遅めの昼食をとって、国会へ向かう。
友人知人の議員や副大臣、政務官と先日の展覧会のお礼やらくだらない雑談。

そしてあまり理由は言えないのですが、ちょっと首相官邸に行ってきました。
官邸に入るのは今日が初めて。まあ、なかなかこんなとこに来る人はいないよね。

もちろん門の所から多くの警官がびっしり。
そのあとはあれやこれやと検問がありました。
まあ、国家の中枢ですからね。

首相が車を横付けする正面玄関横の人が通る通路はこんな感じです。
もっと物々しいかと思ってましたが以外に普通。

中はとても気持ちが良く、竹が美しい。

せっかくなので首相就任時の任命写真風に。有名な階段で一人内閣(笑)。
ついでなので記者会見場で官房長官風に。

今日はモンゴルから大統領が来てるとかで、晩餐会の準備をしていましたよ。
帰りに親友の細野豪志議員の所に行って、お茶をしてきました。

相変わらず忙しいようです。

ちょっと官邸までなんて普通できませんもんね。
有難いことです。


おかげさま - 2010年11月27日

僕の活動は本当に人と人の繋がりで成り立っている。
先のブログでも紹介したように立て続けに二つの展覧会が控えている。

来週からは、熱海市の起雲閣にて10周年記念企画として
『COLOR BOUTIQUE~極彩の白に出会う~展』を開催していただく。
4月に僕と親友の下田とで開催した展示を起雲閣の野田館長が絶賛してくださり、
市長や起雲閣のボランティア会の皆さんにもお褒め頂き、今回の企画展示となった。

その展示の2日後には東京の世田谷三宿にて
『日本画家坂本武典 作品展 月~鉱石の光~ 』の企画展が開催される。

これは親友のフーコのご縁による個展なんだ。
フーコの友人のひとみさん、友恵さんと初めてお会いしたのはフーコの結婚式の少し前。
Star Poets Gallery に初めて訪ねた時、
『あー、彼が噂のたけちゃん!』と温かく(笑)迎えてくだった。
僕もギャラリーに入った瞬間から、この空気感が気になった。
それから何度か伺ってこの空間のファンになった。

日本画の絵の具は石でできていること、
Star Poets Gallery には多くの美しい石が展示されてる素晴らしい偶然、
そして三人のあたたかな応援もあって今回の個展開催となりました。

とにかく僕の絵の力と言うよりは常に友人知人のおかげさま。
今回展示のリーフレットデザインを担当してくれた元教室生徒の美紀ちゃんにも心から感謝します。
皆さん、本当におかげさまですm(__)m


大吾の酒は日本一 - 2011年01月17日

天気が良い今日は友人下田と静岡市に向かった。
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静岡市は最近、鷹匠という場所にかわいいカフェや雑貨屋、花屋などが次々に
オープンしているらしい。
そんな話を聞きつけて、ちょっと見に行ってみようかと。

しかし、富士山はどこから見ても良いですね。
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これは富士川のパーキングエリアからの富士。
行く前からこれだけで満足してしまいましたよ。
大きいスケッチブック持ってくればよかったぁ。

下田が話に夢中で静岡を通り越して焼津まで行ってしまった。
それもまた車での旅の面白さ。
途中、急に思い立って親友の大吾の家に寄ろうということになった。

大吾の実家は大きな酒屋。
酒販売も手広くやっていますが、この10年は日本酒作り、造り酒屋をやっている。
もともとお爺さんがハギニシキという静岡の老舗造り酒屋。
その想いと、大吾の父上と弟さんが廃業した酒屋を買い取って始めている。
曽我鶴・萩の蔵酒造、昨年から忠正・駿河酒造場の酒造権を買い取って立ち上げたらしい。

全くアポもなく行った僕たちを大吾は高校時代と同じの満面の笑顔で迎えてくれた。
『スーパーを改造して作ったから風情も何にもないよ』と言いながらも、嬉しそうに
酒蔵などを丁寧に案内してくれた。
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そこは香しいフルーティーな香りで酔いそうだった。
今しぼりたてってのをいただいた。最近の爽やかなワイン風とは違い、
しっかりとした男らしい辛口の酒だ。
ここから『天虹(てんこう)』、『萩の蔵』、『忠正』が生まれている。
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その後も麹室などを見せてもらった。

『忙しくて休む暇がないよ、展覧会もいけなくてごめん』
そんなことはどうでも良い、お互いが楽しい人生を歩んでいたら友としては嬉しいんだ。
本当に忙しそうだったけどキラキラと輝いていて嬉しかった。
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目じりにしわは増えたようだけど、高校時代より輝く笑顔に勇気づけられた。

酒造で勇気づけられて、鷹匠地区へ。
確かにおしゃれで、独自に地図もかわいく制作。
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良いお店が点在し、熱海の今後に役立ちそうだと感じた。

とにかく大吾の酒を日本一になるように僕も応援したいな。

雨のバレンタイン - 2011年02月14日

この数日は雨で何となく嬉しいです。

今日はバレンタインですね。僕にとっては恋人との愛の日ということは無いね(笑)。
そう、美味しいチョコの日ですか。
今年も多くの皆さまからチョコをいただきました。ありがとうございます。
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このほかにもケーキに手作りロールケーキ、お菓子では沢山頂くでしょうからと
夕飯に刺身の船盛りをいただいたり・・・・23名の皆さま!ホントに感謝しますm(__)m
もちろんぜーんぶしっかり食させていただきます。

人が人に贈り物をするのって素晴らしい。
頂くほうも、差し上げるほうもなんだかちょっぴり幸せを交換しているよな感じだね。
僕も贈り物は大好きです。
これをあげたら喜んでくれるかなーとか考えながら買い物を楽しみます。
最近も人間として惚れてお付き合いしているご家族がいるんですが
その皆さんもいつもちょっとしたものをプレゼントすると大感激してメールくれる。
僕も凄くうれしいんです。

人って贈ったり贈られたり、そんな気持ちのやり取りは素敵。
手紙や年賀状もそうだよね。

今日もこの幸せに感謝します❤
3月14日はちょっとひねったプレゼントをお返ししますんでお楽しみに!

政治家と行政と画家 - 2011年02月16日

12時33分の東海道線で三島に向かう。
13時に友人とランチ。約束場所の『おんふらんす』で10分ほど待った。

『あ、ごめん待った?』と友人の古長谷氏。
『あなた13時って言ったから10分待ったよ』と僕。
彼は僕より4歳ほどお兄さんだ。もうかれこれ10年近い付き合い。
僕はこの人をとても好きだし、尊敬もしている。
頭は良いし、仕事はなんでもできる。良い意味で欲は無いし、何より何事にも積極的だ。
まあ、時々オッチョコちょいなミスをするけど、それも人間らしいか(笑)。
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古長谷氏お勧めのまかないランチとやらをいただく。
厨房では若い女性が調理をしていた。
三島山麗豚と季節の野菜のソテー。バルサミコ酢と胡椒が効いてなかなかの味。
これにサラダバー、コーヒーがついて750円とは良心的。
ランチに下鼓をうちながら久しぶりにゆっくりと会話。

なんでもこの4月にある三島市議会議員選挙に出るらしい。
4年前には県議選に出馬したが惜敗。
前回の選挙は疑問だったが、今回の市議選については僕は賛成だ。
三島には絶対必要な男だと思っている。
彼のような人材は熱海にも欲しいくらいだ。事実、前回の熱海市議選にも出て欲しいと
お願いしたぐらいだから。

最近は市議会議員レベルはくだらない人物が出馬をしてくる。
ボランティアや街づくりに全く興味も参加もしなかった人間が
有名になりたいといった欲望で手を挙げるようにしか思えない。
訳の分からないオジサンがたすきをかけて意味のない演説は聞きたくない。

当選したら4年間、活動報告もしない、この時代にホームページやブログも書かない
市議がいるのは感心しない。
選挙前に急に町内会の活動に参加したり、突然近所を朝から清掃するなんてのは
正直背筋がぞっとするくらい嫌いだ。
駅でのあいさつ、演説、ビラ配り、続けるなら良いけどその場限りの人間がほとんどだ。
そんなもんが政治家か?そんなのがあなたたちの主義主張なの?
議会にだけ市役所に通えば良いってもんじゃアない。有権者に報告するのは当たり前。

名刺やパンフもなんであんな顔デカデカのを作るんだろう?
ドーランべったべたのおっさんの顔どアップのリーフレットなんかすぐにゴミ箱。
エコなんか微塵もないのに環境やごみ問題とか書いてあったり。嫌だ嫌だ・・・・(笑)。

そんな話もしながら2時間半。
『その毒舌全快はブデンさんらしいなぁ』と古長谷氏。
『僕が市議選なんか出馬したら叩かれまくるよ、ゼーったいやらないけど!ははは!』と僕。
お店はとっくに休憩に入っていたようだ。

その後は目の前に完成した銀行のギャラリーで知人の日展評議員の先生の個展を見学。
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作品はさすがに素晴らしい。勉強になりました。

古長谷氏と別れて三島大社にお参り。
先週も来ましたが、神社仏閣は心が清らかになります。
そして、三島市役所に向かった。

昨年末、新たに当選した豊岡三島市長に会って文化についての懇談。
2階にある秘書課に向かう。
秘書課の皆さんもとても丁寧な応対。
約束時間ぴったりに市長応接室に通された。
『あ、先生お久しぶりです!!』と豊岡市長。
豊岡さんとは以前から面識があった。三島での僕の個展には毎回来ていただいている。

三島市からは教育委員会の杉山教育部長、文化振興課の青木課長、池田係長と
担当の小川さんが同席してくれた。

30分間、僕の文化についての考えを話した。
教育について、生涯学習について、市の文化の応対・水準アップについてなど。
市長からも楽しく夢のある話がうかがえたし、理解も頂けたように思う。

その後も課の皆さんと今後について話す。
とても有意義な時間だったように感じる。
僕は伊豆の中心は三島だと考えている。熱海は玄関口、中心はやはり三島市だ。
だからこそ、三島の文化活動の向上は非常に重要になってくる。
そして、その役割を担うのは僕たち若い30代の作家だ。
そうは言っても定年退職後の絵描きもどきは沢山いますが、
プロの作家はこの伊豆にはほとんどいない。それだけ活動しにくく、支援も少ない。
まあ、そんなことも含めて僕は精力的に今までもこれからも行政にも提言をしていくつもりだ。

役所はやはり能力のある人材は多い。だからこそ一緒に頑張れれば嬉しいな。
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月を愛でる人 - 2011年02月18日

夕方、6時まえに玄関に出る。
海からとっぷりと真っ赤な月が上がっていた。
『今日は満月だ』
その不思議な美しさにしばし見とれていた。
傍らで母も『今日の満月は綺麗だね』と話す。

昨晩、同級生のアキラから無事に男の子が生まれたとメールが来た。
そうか、満月や新月の前は出産が多い。
そんなことも思い出しながら、親友の待つ熱海駅へ向かった。

親友との夕食。
彼は都内に住んでいるのだが、17歳のころから熱海が大好きで
年に何度も熱海に来てくれている。
今日も僕との夕食のために往復5時間をかけて来てくれた。今週で4週連続だ。
熱海の空気、自然、温泉、人情など何もかもが好きなんだそうだ。
毎日当たり前ように過ごしている僕らには見えない何かを感じてくれているに違いない。
そんな彼と出会ってから意気投合、親友としてお付き合いをしてる。

子供さんが自立をしたら熱海に居を構え、夫婦で一緒に住むのが夢だと言う。
そうしたら毎日一緒に呑みましょうって20年後を話す。
そう言われると僕は『僕が生きていたら』と答える(笑)。

今日はいつもの食事場所の前に僕のお勧めの串焼き屋をご案内した。
前にも紹介したが、ここも熱海の名店、熱海で一番の繁盛店だ。
(今回は食事の話をしたいのではないのでこれくらいにして・・・・。)

楽しい食事を終えてこの店を後にして次へと向かった。
歩いていると、糸川沿いにいつもいる客引きの老女が話しかけてきた。

『今日は月が綺麗だよ』と。

確かに僕は知っている。今日は満月だ。
そのことより、彼女が月の美しさを僕らに伝えてきたことに感動した。
一体今日、何人の人間が空を眺め、月を美しいと感じたのだろう。

すると親友の彼も僕に一通のメールを見せてくれた。
『今日は月が綺麗ですよ』
それは彼の愛する奥様からのメールだった。
月が綺麗だから、彼にその月をご覧なさいとたったそれだけのメール・・・。
彼も嬉しそうに月を眺めていた。
素晴らしい!本当に彼が親友で、また奥様がそれを感じる女性で嬉しかった。

今の世の中は月を愛でる余裕は無くなったのかもしれない。
でも、僕の大切な人たちはやっぱりそれを感じる人が多い。
とにかくそれが嬉しかった。そんな満月の夜。
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月 GETU   紙本彩色  6号  

Twitterやりなよって言われて - 2011年03月19日

震災の時、とにかく電話や携帯、携帯メールが全く機能しなかった。
友人知人に家族の安否を知ることさえできなかったのは事実。
メールだって数時間後にやっと来たような感じだった。

親友のニットデザイナーのフーコが『たけちゃんも絶対にTwitterやりなよ』と言ってきた。
そんな状況の中でもTwitterは機能して情報交換や安否確認にとても役立ったと教えてくれた。
正直僕はやっとこさこのブログも何とか続けてる状態。
ちょっと考えたけど、親友のススメということもあって今日から始めました。

しかし、これを見ていると沢山の人の考え方が知れて勉強になる。
特に政治家は資質が分かるような気がする。もちろん、これだけで判断するつもりはないけど
かなり良くわかるよ。

ホームの左側にTwitterのページを僕のホームページの制作運営会社のワディットさんに作っていただきましたので
是非ともフォローとやらをしてください(笑)。

大雨とパーティー - 2011年04月23日

今日は朝から大雨。
個展は三日目だ。
夕方にはレセプションパーティーを企画してあるので心配だった。
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でも、有難いことにこのように人は沢山!
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中学高校の後輩、千葉からも友人のエリコちゃんたちがこの大雨の中来てくれた。
そのほかにもとにかく友人知人が・・・本当に嬉しいです!
夕方からのレセプションも多くの人が来てくださった。
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僕も理事をしています(社)熱海青年会議所の藤田理事長にも挨拶いただき、
斎藤栄熱海市長、細野豪志衆議院議員、渡辺周衆議院議員、泉健太衆議院議員、
榛葉賀津也参議院議員、藤本祐司参議院議員、橋本一実静岡県議会議員、
鎌田武俊熱海市議会議員、筆の久保田号様からもお祝いのメッセージをいただきました感謝。

その後は友人のギターリスト上遠野忍さんのコンサート。
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皆がその音に酔い痴れました。
とにかく多くの皆さんがいて僕があるんだな・・・・本当に感謝します。
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来場の友人知人の気持ち - 2011年04月25日

個展も五日目、終盤戦だ。
普段、座ってのんびりしてるのでずっと立ってることで腰に・・・(笑)
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そうも言ってられない。毎日本当に多くのお客様だ。
選挙の週で、震災後の個展の会期としては悪条件が重なった。
だからこそ、全ての皆さまと感謝と笑顔で接したい。
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午前は先の統一地方選挙で三島市議に当選した同級生の佐野君が来てくれた。
彼はトランペット奏者でもある。だからこそ文化の街づくりをしっかりお願いした。
『坂本さんも三島にご協力ください。一緒に頑張りましょう!』と言ってくれた。
もちろん、口も手も出して三島の文化活動を良くしたいですよ。
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ラジオ・ボイスキューのパーソナリティーの小坂さん。
先日は収録でお世話になりました。
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創作作家の小川さん。もう8年くらいの付き合いになる。
絵を描いたり、陶芸をしたり、今は洋服を作って活動してる。
このギャラリーで7月に個展とか。頑張ってね。
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彫刻家で日展評議員の堤直美先生。
僕も実は大学では彫刻を専攻していました。
最近はとても親しくさせていただき、いろいろなご助言をいただいています。
わざわざお越しいただき本当に恐縮でした。
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JCの仲間の詩子さん、桜井副理事長からもお花をいただきました。
元スタッフのI君や同級生のこうま君も来てくれた。ありがとう。
とにかく毎日沢山の人、友人、知人が来てくださったり、メールをくれたり・・。
本当に感謝します。
さてさていよいよ明日は最終日です。

細野豪志大臣就任について - 2011年09月05日

ご存じのように、僕の親友の細野豪志衆議院議員が大臣になった。
またこの度の野田政権でも環境大臣、原発担当大臣に再任された。

実に12年以上の付き合いになるのだが、正直友人としては喜び半分だ。
今までのような情勢で大臣になったとなれば大騒ぎして喜んであげたいが、
今回の日本の国難と言える状況下では本当に大変だろう。

僕たちが出会った当時、僕も大学を中退して間もなく、社会に出たばかり。
彼もサラリーマンを辞め、政治家を目指して落下傘で伊豆に来たばかりだった。
地盤、看板、カバンといた全てが無く、今からは想像もできないくらいの貧弱な(笑)若者だった。
その頃に彼のそばにいたのは大学時代・サラリーマン時代の友人数人と
奥さんと子供、僕ぐらいのもんじゃなかったかな。
毎日しつこいぐらいに細野から電話がかかってきたのは今では良い思い出だ(笑)。
それからも友として、同志として、兄のように慕ってきました。

それが今や大臣です。彼の力もあるけど、家族、応援してくださった皆さんのおかげ。
もちろん、僕がその頃から彼に惚れ込んだのはそれだけの器と空気を感じたからです。
目、話、姿勢・・・貫禄は無かったけど(笑)何もかもが秀でて見えた。輝いてた。
この人なら日本が何とかなるのかもって信じて本当に良かった。

最近は僕のところにも細野豪志さんにどうこうして欲しいと言ったメールが来ます。
『原発をこうして欲しい』、『会うにはどうしてら良いか?』、『放射能の危険を知ってるんでしょ?』
などなど・・・。
まあ、確かに親しい仲ではありますが彼の仕事にどうこう言うつもりはない。
もちろん、僕が思ったことは正直に言いますよ。
だけど、人に言われて僕もどうこうする人間ではないのでごめんなさい。
そういったメールはどうぞ細野豪志事務所に送ってください。

まあ、事務所の応対が悪いようでありましたら僕が事務所にはしっかり注意します(苦笑)。
先日も事務所に相談したが、愛想が無く、忙しいと言って切られたとメールをいただきました。
もちろん、秘書にはしっかり伝えましたし、その後はしっかり応対いただいたよう。
親しい仲ですが、そういったことは大切なことだからあえてここに書きます。
まあ、本当は僕が言うことじゃあないんだけど、みんな事務所にも嫌われるのを嫌がって
言わないみたいなんだよね。

今回の就任でもその直後に彼から携帯にメールが来た。
内容は書けないけど、そうなんだ・・・って思った。
とにかく、彼は頑張ってくれます。皆さん信じて応援してください。
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就任のお祝いに節電用の手書きうちわを届けた夏の写真。
僕はクーラーが効いてなくてこの疲れ顔(笑)。

重岡建治先生のこと - 2011年09月09日

今から15年ほど前に、足を痛めて伊東に温泉治療に行ったことがありました。
治療と言っても、その頃大変可愛がってもらっていた勝又さんという老夫婦が
お誘いくださり、一週間僕のために旅館の個室をとってくださいました。
素晴らしい料理に宿でただのんびりとして、それは楽しい療養だったのです。

大学在学中で僕が彫刻を専攻していたこともあり、それを気遣ってか
せっかく伊東に滞在してるのだから旅館に籠ってばかりでなく
伊豆高原の彫刻家の先生のアトリエに行ってみようと伺ったのが
彫刻家の重岡建治先生でした。

伺うと先生は満面の笑顔で迎えてくださり、丁寧に作品を一つ一つご説明くださった。
作品集をいただき、そこに直筆でサインと絵も描いていただいたのは今でも宝物です。
また、その時に助手をしていたのが僕の高校時代のクラスメイトのお父様でご縁を感じた。
それからは特にお目にかかることは無かったですが、年賀状やお手紙のやり取りはあって、
伊東市に行くと先生の作品を拝見し、その素晴らしさにいつも感動していた。

思い起こせば先生の作品は以前からよく知っていた。
一番身近な作品は我が家の隣の三木製菓さんにある天使の像でした。
改装する前、店の正面に飾られていたその作品を見上げ、なにか心に響くものを感じていた。
そんなこんなのご縁から、何とか先生の作品を手元に置きたいと常に思っていたのでした。

僕は勉強のために日本画や古美術、彫刻作品などを収集している。
もちろん、僕のような若輩絵描きが高価な作品は購入できないが
少しずつ食費を削り(笑)集め、今や50点ほどあります。
基本は身近な方の作品です。日本画の先輩、教えをいただいた先生。
そういった先生方の教えを思い出せるよう、感謝の気持ちも込めて手元に置いています。

そしてこの度、念願かない、本日その重岡先生の作品をアトリエに飾ることができました。
それがこの作品です。35センチほどの小さなブロンズですが
親子ののびのびとした生命力と人間愛を感じる素晴らしい作品。
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重岡建治作  『大地より生ずる』

本当に嬉しくて勉強になり、生きてる喜びや創作意欲が駆り立てられる。
芸術作品ってそういったものなんだと自分自身が収集しながら思う。
僕も人にそう思っていただける作品を作らなければならないとあらためて感じた。

とにかく先生の作品は素晴らしいので皆さまも伊東市に行きましたら
街中に沢山展示してあるのでご覧ください。

●重岡建治先生 プロフィール●
木彫、ブロンズ、大理石など様々な素材を手掛けている彫刻家の重岡建治氏。1977年に伊東市制三十周年記念として『家族』と題した彫刻を発表。現在までに13点が渚公園に設置され自然と一体化した作品群が親しまれています。「家族」「愛」「祈り」をテーマとした作品は、全国の公共空間に百体以上も在り、見て、触れて感動を伝えています。
 旧満州生まれの重岡氏は、家族で山口県に引き上げ、その後、熱海に移住。中学生の時に京都近代美術館で開催中の日展で展示されていた、日本の代表的な彫刻家・圓鍔勝三氏の作品に感動し、“彫刻”を志す決意をします。高校卒業と同時に内弟子となり、彫刻の基礎や木彫の道具の使い方、木の選択方法などを学びます。約五年間、圓鍔氏に師事した後、自宅に戻って彫刻を続け、二十五歳で日展に初入選します。
 世界に羽ばたくきっかけとなったのは、1960年に現代イタリア彫刻展(日本橋高島屋)で彫刻家・エミリオ・グレコの作品と遭遇したときでした。ローマで修行することを目標に懸命に作品を作り続け、三十五歳でローマに留学します。そこで国立アカデミア美術学校に入学し、グレコの指導を受けることになりました。デッサン重視の授業に戸惑いながらも前向きな姿勢を崩さず、彫刻家としての道を歩み続けました。
 帰国後は、前記の伊東市の大事業をスタートとして、現在では、日本を代表する彫刻家として活躍しています。アトリエを豊かな自然が魅力の伊豆高原に構え、「伊豆高原アートフェスティバル」の運営にも関わっています。

三浦のお姉さんの椅子 - 2011年09月12日

高校時代、僕は今の自分の原点でもある日本画教室に通っていた。
そこで沢山の方と出会い、今でも大変お世話になっている。

題にもある 三浦のお姉さん ともそこで出会った。
三浦のお姉さんはその当時、もう70歳にはなっていたように思う。
『坂本くーん、あなたこっちに来て一緒にお茶飲もう!』一番年下の僕をいつも気にかけてくれた。
影山さん、山口のおばあちゃん、三浦のお姉さんと僕とでいつも一緒に描いていたし、
展覧会の時も毎回当番を一緒にやった。

教室が終わると、家が近かった三浦さんのお宅にも良くおじゃました。
『お腹すいたでしょ?おにぎり作ってあげる』そう言っていつも俵型のお結びを握ってくれた。
2年前に祖母を亡くした僕にとっては、おばあちゃんのような存在だったように思う。

そんなお姉さんも急な病にかかり、病院での闘病生活をすることになってしまう。
『坂本君、元気にしてる?大丈夫?』 自身が辛いのにもかかわらず、
病院からも僕を心配してよく電話をかけてくれた。僕も時々お見舞いに伺うのが楽しみだった。

その後も病状は悪化し、2年後に亡くなってしまった。
本当に辛い別れだった。
葬儀からしばらくたって、ご兄弟の方から形見に何か貰って欲しいと言われた。
もちろんご遠慮申し上げたが、どうしてもと言われ
いつもお姉さんが座っていた椅子をいただくことにした。
何の変哲もない普通の椅子だったが、いつもお姉さんがゆっくり座っているのが印象的だった。

それから数年間、僕はもちろん、家族や沢山の客様に休息を与えてくれた。
僕の体重増加もあって、その椅子もだんだんと傷んでしまいこの3年ほど倉庫にしまってあったのだが
急に気になって修理に出すことにした。
元の空気を壊さないように、スエードの生地の色も同じものを選んだ。

そしてその思い出の椅子は今日から僕のアトリエの一部となった。

『坂本君、あなた丁度いいじゃない!』
三浦のお姉さんのそんな声が聞こえたような気がした。


大相撲秋場所とMKB - 2011年09月14日

今日も昼から長泉の日本画サークルに。この半年は2日連続通うことになる。
間もなく出品する秋の美術展の作品の仕上げ。
一年前に初めて日本画を始めた皆さんがこの一年で3作の本画を仕上げ、
今回は10号の作品を出品する。
どの作品も素晴らしい完成度で、その努力に感服する。
後ろ髪をひかれる思いだったが、夕方からお客様に大相撲にご招待されていたので
皆さんの作品の完成を確認し、
あとの授業は助手の下山さんにお願いして都内に向かう。

大相撲は今年2回目の桝席だ。
今回はお客様のご配慮にて、僕の中学時代の後輩と都内に住む親友も一緒に。
三島から新幹線に乗り、両国の駅に着くと親友Mは改札で待ってくれていた。
『先生~!』といつもの笑顔に安心する。
『ずいぶんと待ったんじゃあないの?』と僕。
30分前に着いたので全然待ってないですよとの返事。
僕だったら30分は相当待ったうちに入るけど(笑)。彼の器量の大きさがあらためて嬉しい。

国技館の入り口でお客様と後輩の兼吉が待っていた。
『ブデンちゃん、よく間に合ったわね』とお客様。

兼吉は国技館も相撲観戦も初めてとあってかなり興奮気味。
入り口で記念撮影までする(笑)。

その後はお茶屋の高砂屋の出方さんの案内でいつもの桝席に向かう。
普通は桝席は四人で一枡に座るのだが、今日は特別に二人づつ。


横綱土俵入りを観ながら、食事。
弁当に焼き鳥、寿司につまみ・・・。最初からビールにワインにとみな上機嫌。
いつも思いますが国技館サービスの食べ物はどれも美味しい。
初場所と変わったのはチョコレートのメーカーかな。前は明治屋だったけど。
あとは、ゆで豆から枝豆に。季節のモノでしょうが、僕はゆで豆食べたかった(笑)。

そうですね、大相撲自体が初場所以来の国技館。
いろいろな問題があったので、このようにまた観れるのは嬉しい限りです。


やはりまだまだ空席が目立ちますね。
大相撲ファンの僕としましては何とか頑張って毎日満員御礼を願います。
相撲の楽しみ方の一つとして掛け声があります。
間を見計らって『琴奨菊ーーーー!!!!』とか『白鵬ーーーーー!!!』と僕。
親友と後輩は恥ずかしがってやらない。
『あのね、これが楽しんじゃない!やりなさい、最後だからハクホーって言いなさいよ』
そう言っても『いや、先生、できませんよ』とM。
情けないねー(笑)。

そんなこんなですっかり秋場所を堪能しました。
その後も皆で秋の夜長を楽しみ、いつも熱海に来てくれる親友Mがどうしてもと言うのでそのまま銀座の某高級寿司屋で晩餐会。
せっかくなので某大臣も誘ったんだけど、SPを帰してしまったからとのことで残念。
店はなかなか、味はそこそこ、ネタはまあまあが正直な感想。
酒を酌み交わしながらいろいろな話をし、お互いの将来を語り合った。
しかし最近はMと会って食事をするのが一番楽しいです。
人柄か、空気感か。熱海にはいない感じの大物だ。

人間って大人になってから真の友と呼べる人とはなかなか出会わない。
僕は周りから友達が多いねって言われるけど、損得なく本当の自分をさらけ出せる
親友はなかなかいないもんだ。
彼とはまだ付き合いこそ短いが、今や真の友だ。この出会いに感謝している。

そういえば、僕が大相撲行くよーってツイートしたら、『出場するのー』って言ってた
フーコ淳ちゃんサニーの友人三人たち・・・。ありがとう・・・(笑)。

そうそう因みに題名のMKBってのは親友M・兼吉・ブデンの略です。
深い意味はありません。


慶太先生安らかに・・・・ - 2011年09月29日

『坂本先生ですか。長泉町役場のYです。実は訃報なんですが・・・・』

『え!!まさか慶太先生!!亡くなった!!??』僕。

『はい、まことに残念なんですが・・・・・』

驚きだった。信じられなかった。
つい4日前に長泉美術展の審査で会ったばかりだった。

7月にくも膜下出血で倒れ、大きな手術をしてすっかり良くなっていた。
何事も無かったような顔をして元気に話をされていた。
確かに頭には大きな傷があったし、少し痩せられてはいたが笑顔も
話し方も元気そのものだった。
『憎まれっ子何とやらですよ、俺はゴキブリみたいに不死身だー』って・・・・。

良くなったとは言っても、少し頭が痛いとは話していた。
やめればいいのに外では美味しそうにいつものパイプでタバコを吹かしていたっけ・・。

『今からもう帰るけど、車で駅まで送って行こうか?』
それが岩崎慶太先生との最後の言葉になってしまった。

高校時代の思い出は本当に沢山ある。
教室を怠けて慶太先生にこっぴどく怒られたこと、大学に合格し一緒になって喜んでくれたこと。
今、同級生で美大に合格し、その道で活躍してるみんなも彼の指導のおかげだ。
本当にみんな慶太先生に感謝している。

しかし・・・・悲しい。
先生、もっといろいろ話したかったよ。
本当に残念です。年老いたお母様と犬のことは御心配でしょうが、
今は安らかに・・・。ありがとう先生。

この僕がモデルデビュー!? - 2011年10月17日

『坂本先生ですか?
 実はこの秋のファッションショーにご出演いただきたいのです』

・・・・・・ は????? 

最初、一体何の事だか分からなかった。
招待状はいつもいただいているが、秋は個展があったりでなかなか伺えない。
その催促の電話かと思ったら違った。
よく聞けば青山に事務所を構える某有名デザイナーの方のショーに
僕にモデルとして出て欲しいと言った依頼でした。

驚いたねー。この僕がモデルだって(笑)。
マツコデラックスさんにでも断られてその代わりなんだろうと勝手に想像した。
もちろん、しっかりお断りいたしました。
まあ、素敵な経験にはなると思うよ。だけどまるでサーカスのゾウじゃない。
想像しただけで笑っちゃうよ。

断ったあとに、幼馴染に話したら出れば良かったじゃんって言われた。
まあね、アルマーニでしたらお受けしたかも知れませんけどー。
芸術の秋はいろんなことがございます。

作品 『かあさん』  紙本彩色 6号


大臣の椅子 - 2011年10月24日

2週間前の教室時に生徒のAさんから石踊達哉先生の妙法院門跡障壁画展の
話を聞いてどうしても最終日までには行きたかった。
そんなこんなで最終日の今日、時間がとれて午後の新幹線で都内に向かった。

会場入り口でこのブログではすっかり常連の親友のMと待ち合わせ。
丁度、彼の打ち合わせ先が日本橋と言うこともあって、半ば無理やり誘う(笑)。
入り口で伊勢丹カードを提示すると二人まで無料と言われ、ちょっと得しました。
会場は満員で凄い活気でした。売れっ子作家の個展とはこういうものですね。

作品の感想は若輩絵描きの僕の立場から申し上げることはとにかく『勉強になった』と言うことです。
会場の空気感、作品に向かわれる先生の空気全てがゴンゴンと伝わってきて、
圧倒されました。行って本当に良かったです。
Mも良い経験になったと思う。彼には自身の仕事だけでなく、
こういった僕の空気も知って欲しいのでこれからも展覧会には誘うつもり。

会場を出て、カフェに。
今晩は夕食を僕とMとある人と三人で一緒に行く予定になっていたので、15分のティータイム。
それでも僕は大好きなキッシュを注文する。

脳ミソに描いていたそのままの味で納得する。
秋らしくかぼちゃのキッシュとキノコのキッシュは本当に美味しかった。
『先生、せっかくの食事なのに今食べるんですか?』とMに言われたがキッシュだから(笑)。
一旦と別れて僕は霞が関に向かう。

財務省下という交差点を過ぎたところでタクシーを降りると佐藤大臣秘書官が待っていてくれた。
今日は展覧会の他に親友の細野豪志環境・原子力特命担当大臣と会う約束をしていた。
まあ、特に用事はないんだが、ちょっとテレビのニュースで顔を見ていたら何か元気がないような気がして、元気づけに大好きな甘いものでも食べてもらおうと思ったからだ(笑)。
案内された大きな建物は古く、内閣府のいろいろな部署が入ってる複合庁舎と言うことだった。
入り口には警備の人やらが沢山いて、やはり厳重なゲートがあった。
もちろん手荷物検査や金属探知機を本当は通るのだが、さすが大臣の関係者(笑)とあって
全てがスルーパスでした。
細野の待つ大臣の部屋に向かう途中、館内は玄関から全てがうす暗く、聞けば 節電 とやらでした。
『しかし暗いよね、もう節電しないで良いんじゃあないの?』と僕。
まあ、そうもいかないんですね。佐藤大臣秘書官の話では環境省はもっと暗いとか。

今回案内されたのは細野が環境大臣のほかにもう一つ担当する原子力担当大臣の大臣室。

着いてもなかなか会えない。ひっきりなしに陳情やら取材が入ってるようだった。
僕が行った時も福島県の大熊町の婦人会の皆さんが10名ほど陳情に来られてた。
本当に福島の方にとっては苦しみの毎日ですね。
僕も福島には多くの友人や知人がいるので、心が痛い。
大臣室の入り口にはこんなタペストリーが貼ってありました。

そして、3件ほどの陳情取材を待ってから細野大臣の部屋に入った。
メールのやり取りはしょっちゅうしているが、直接あったのは2か月振り。

テレビでの印象とは違ってずいぶん元気そうに仕事をしていた。
『あなたさ、意外と元気そうじゃん』と僕。
『うん、元気だよ。なんで?』と細野。
そんなこんなでいつものように話が始まった。そこは友達同士の会話。ここに書くことはない。
ただ一つ言えるのは、まだまだ細野は庶民の感覚をしっかり持っている。
大臣なんぞの肩書と環境に染まった考えを話したら一喝するつもりだったが安心した。
福島の人たちのご苦労を心から話してくれた。その目に嘘はなかった。

とにかく友達としては彼の元気な顔を見れたのは嬉しい。
『実はさ、昼ごはんまだなんだよねー』と差し入れの茶巾寿司と大福を美味しそうにペロリ。
『あなたねぇ、そんなに早食いは毒だよ』と言ったが、この仕事は早食いになるんだよと。
確かに一分一秒が大切なのは良く分かる。
30分ぐらいの時間しか話はできなかったが、それでも時間がとれたほうではないのかな。
政治の話もくだらない友人同士の話も楽しい時間だったよ。

『あのさ、せっかくだから大臣の椅子に座らせてよ』と言って僕はそこに座る。
うーーん、座っただけではこの椅子の重みも世の中的な座り心地も分からない。
ただ、かなり重いもんなんだろうと感じることはできた。
出会った当時、彼はサラリーマンを辞めた政治家を目指す無職の男だった。
もちろん、それだけの器を感じて支援してきたが、12年経って彼はこの『大臣の椅子』に座ってる。
それを考えたら友としては本当に励みになった。

直接そういったことは照れくさくて言わないけれど、細野豪志は僕の宝だ。
さらに頑張って欲しい。

一緒に食べるはずだった夕食は急な公務が入ってキャンセルになった。
正直、久しぶりで楽しみにしていたが仕方がない。
まあ、今はお互いに仕事を尊重して頑張るしかないね。


ウメッチ・コナッチ二人の議員 - 2011年10月30日

夕方に携帯が鳴った。

『お久しぶり!坂本さん、今日は家にいます?』
電話の主は友人の梅谷守新潟県議会議員からだった。
彼からの電話は実に一年半ぶりだ。
梅谷議員は若干38歳ではあるがもう二期目の新潟県議で今や大活躍の政治家だ。
今日は義父の筒井農水副大臣の後援会の旅行で300人の皆さんと熱海に来ているとのこと。
熱海温泉をご利用いただき誠にありがとうございます(笑)。
熱海に来ると必ず電話をくれ、一緒に酒を酌み交わすのが恒例となっていた。

そんな訳で久しぶりの再会を約束し、もう一人の仲間に電話する。
『あなた今何処にいるの?』と、僕が電話した相手は三島市議会議員の古長谷稔氏だ。
『今は三島バルというお祭りの打ち上げ最中だよ』と古長谷議員。今日は音楽祭やら3件の打ち上げに出席して大忙しみたいなことを言っていた。
『あなたね、もう早く切り上げてすぐ熱海に来なさい!ウメッチが来てるんだよ』と僕。
この4月に三島市議にトップ当選した彼は今や時の人。もう40歳になったようだ。
彼とはメールや電話はもちろん、年に数回は時間があると情報交換のために会っている。
身近なお兄さんという感じだ。
頭の良さとフットワークの軽さはもちろんのこと、原発問題の本の著者である彼は
マスコミに講演へと引っ張りダコの忙しさのようだ。

正直、この本の内容は出版された8年前は????って感じで正直怪しいとしか言えなかった(笑)。
僕も原発については反対派であるが、内容があまりにも強かったからである。
しかし、3.11後この本を見返すと全くその通りになっていて、驚くばかりなのだ。
良かったら読んでみてください。

とにかく僕らは旧知の仲。
久しぶりの再会は三人が楽しみにしていたので、何を差し置いても会うことにする。
そして僕のお勧めの店・和食佳助で待ち合わせをした。
古長谷議員は終電に乗って熱海までやってきた。
『あなたよく来たね、偉い!』と僕の生意気な言葉も許してくれるそんな仲間だ(笑)。

この三人の出会いと共通点は今から9年前にさかのぼる・・・・。
詳しくは彼らのホームページをご覧ください。まあ、一つの目標に向かって走った仲間ですよ。
そんなこんなで久しぶりの再会。話に花が咲く。
昔の思い出、今の現状、そしてこれからの展望。
僕はただの絵描きだが、彼らは将来日本を背負って立つ政治家になることだろう。
特に梅谷議員は国政に向かうことはそう遅くない将来だ。
そんな彼らと時間を共有し、語り合うことは命の響きのようだった。

ウメッチこと梅谷守議員(右)、コナッチこと古長谷稔議員(左)。
とにかく政治家って仕事はいろいろあるだろうけど、友人として期待し応援しています。


カッコイイは真心なり - 2011年10月31日

朝から来客が続く。かさねて打ち合わせ、電話と大忙しの一日。
一階でカフェをはじめてから、画室を急に訪ねて来られる方が多くなった。
まあ、考え方はいろいろあるが絵描きなんて一人の仕事だから、気軽に来ていただけるのはとても嬉しい。

日も暮れかけた夕方は日ごろお世話になっている都内で会社を経営するF氏が来られた。
この方はとてもセンスのある方で、常に服装も持ってるアイテムもご自身にぴったり合っていて素敵だ。
その時のスーツや季節に合わせて時計もカバンも靴もF氏の空気を感じる。
自身の好みもだが、相手を気持ちよくさせる服装と言うのはこういったことだと感心する。

今は昔の野球選手のようなセンスの若者は減った。特に男性はお洒落になったように感じる。
首には金のネックレス、時計はダイヤいりのロレックス、小さな鞄はクロコダイルかビトン、
トレーナーは胸に大きなトラサルディの刺しゅう入りなんて恰好は今は天然記念物となった(笑)。

F氏がお土産に東京日本橋にある『うさぎや』のどら焼きを買ってきてくださった。
僕はこれが昔から大好物だ。

もちろんそんなことはF氏が知る由もない。
いただいた方もこれが うさぎや と知らなければただのどら焼きに思うだろう。
ここのどら焼きは日にもよるが、その日に買いに行ってもほとんどが売り切れだ。
僕も買いに行く時は最低前日に予約をする。
もちろん名前もだがそれほどに旨いのだ。

常に感じてはいたが、今回のうさぎやで『この人はやっぱりカッコイイ』と再認識した。
前にも書いたが、僕は人に贈り物をするとき手土産一つも大切にしたい。
キオスクの袋にうなぎパイを掲げて行くような人間にはなりたくないと思う。
うなぎパイが嫌いなんじゃあないですよ(笑)。どこでも売ってるもんを持って行きたくないってことです。
だからっていつも虎屋ってのもどうかとも思いますし・・・(笑)。確かに おもかげ は旨いけどさ。

その人が何が喜ぶのか、家族構成を考えながら贈り物を選びます。
お菓子が良いのか、家族も少ないならお食事のときに召しあがれるものがいいのか・・。
一人暮らしの方に賞味期限が2日のあんみつを10個持ってたら困るでしょう(笑)。

それにはまず自身が買って食べること。知らないことには贈れないし、味も分からない。
洋菓子は特にパッケージは美しくても食べたらくだらないものは多いですから。

僕が食事やお土産にこだわるようになったのはある人の言葉がありました。
『人からいただいた時のまごころを知るため』です。
これは僕が英会話を習っていた先生から中学時代に教えていただきました。
その方のお父様は日本画家でとにかく掃除一つでもとてもいき届いていました。
お客様が来る前には香を焚き、玄関には打ち水をする。
そんなことを英語を習いながら教えていただいたのでした。
なかでもお客様がまごころをこめて持ってきてくださったお土産を知らないのは失礼だと言うことを教わりました。
その方がせっかく並んだり取り寄せたりした物をいただいても、感じてあげられない知識では失礼だと。
確かにそう思いましたね。

それから大学時代はお小遣いをためては美味しいと言われるものは食べ、高級店にも一人で通い、デパ地下の食品を食べ歩いたのです(笑)。
そのおかげか、沢山の食を知り、如いては人のまごころを感じれるようになったのです。
まあ、こういったことは押しつけがましくやることでもないのですが、
知っていたら 『粋』 ってものを感じ取れる気がするのです。

そういったことは年齢男女に関係なく、カッコイイと思うんです。
とにかく、一度このどら焼きは食べてみてください。旨いんだから。

今回の個展を終えて~皆様の顔~ - 2011年12月05日

今回の個展は8日間、延べ2000人以上の皆様にご覧いただくことができました。
本当にありがとうございました。
作品の詳細につきましてはまたギャラリーにアップする予定です。
ご承知のようにたくさんのお客様ですべての友人知人のお写真は掲載できませんが、
初日から少しずつご紹介します。

初日の午前中から来てくださったのは僕の後援会『ブデンの会』幹事でもある
橋本一実静岡県議会議員。橋本さんもいつもありがとう。

彼は今年から経済産業省から出向、熱海の副市長に就任した田邉副市長。
田邉さんはとても闊達な方なので、熱海を面白くしてくれそうなのでとても期待しています。

長泉の生徒さんたち。これからもがんばりましょうね。

熱海を代表する熱海をどりの芸者さんたちです。
会場が華やぎました。会場を見にいらした観光客の皆さんもとても喜ばれていました。
これからも熱海のためにがんばってください。芸者も文化ですからね。

高校時代の恩師八木先生。
僕が最初に通った高校、清水南高校芸術科の時の体育の先生。
実質2ヶ月しか通わなかったのですが、この当時の先生は僕をとても気にかけてくださいます。
今回もわざわざ藤枝から来てくださいました。感謝します。

尊敬する画家の中島潔先生。本年は清水寺の襖絵を奉納され大個展が銀座松屋で開催。
僕も時々絵のお手伝いなどさせていただいております。

同級生の範ちゃん。この月の絵を気に入ってくれました。
大切に飾ってくれると思います。いつもありがとう。

画家で知人の金子先生と横浜港の画家仲間の皆様。

陶芸家の佐藤弘人さん。佐藤さんの作品は宇宙観があって素晴らしい。
僕も作品を画室で愛用しています。来年1月は京王デパートで個展とか。
何かコラボをしましょうとお話しています。楽しみです。

いつもお世話になっている長泉町生涯学習課の廣瀬課長と古木さん。
今年も本当に長泉町ではたくさんの教室をさせていただきました。
今日も来年の予定を12月まで決めましたが・・・(笑)がんばっていきましょう。

ブデンの会の田中会長。お忙しい中をいつもありがとうございます。

清水町生涯学習課の渡辺地域交流センター所長と甲斐さん。
来年6月には町主催で僕の個展を開催いただく予定です。
本当にありがとうございます。新作もたくさん描きますのでよろしくお願いいたします。
わざわざ感謝します。

湯河原町美術館の学芸員の杉山さん。湯河原町美術館でも再来年の初夏に
僕の個展を開催していただけることになりました。感謝いたします。
今日もお忙しい中をありがとうございました。

熱海市最年長の山田治雄熱海市議会議員。山田先生は本当にお元気ですね。
今日も熱海のこれからを思いたくさんの意見をいただきました。
『たけちゃん、これからも頼むよ!』とおっしゃっていただきました。もちろん微力ながら!

細野豪志大臣の秘書のY君。細野はこういったがんばり屋の秘書に支えられています。
今日はなんだか清清しい顔をしていたのでこちらまでうれしくなりました。
これからも細野を頼みます。

このように本当に多くの友人知人が来てくれました。
他にも鎌田市議、藤曲市議も忙しい中をありがとうございます。

多くの皆様に応援していただくことが絵描きとしての活動の支えです。
正直、僕は年に4回の個展を欠かさない。これは多分かなり多いのです。
画家なんて仕事はなかなか理解されないので、これからもたくさんの方に絵を見ていただくこと、
そして日本画の美しさを知っていただければと思います。
この個展も多くのスタッフや友人、生徒さんの協力があって開催し無事に終えることができました。
心より感謝いたします。

最後に親友の細野豪志大臣からメッセージをいただいたのでご紹介します。

大臣とのクリスマス - 2011年12月24日


今年のクリスマスもささやかながら我が家で鍋パティーを開催しました。
教室の子供たちにも毎年クリスマスは食事とプレゼントを用意します。

そうですね、こういったイベントは人とのつながりやぬくもりを感じるので僕は好きです。
今回も僕が食材やらを準備していつもお世話になっている友人知人をお招きしました。
何となく気になって、親友の細野豪志大臣にもメール。
『たまにはさ、忙しいだろうけど来ない?』と(笑)。
まあ、今や国の要職、まして熱海まではSP連れて来れないだろうけど誘ってみました。
『今年最後のお誘いなので是非』と細野から返事。
もちろん、終わったので書きますが細野を誘ったことはみんなには内緒にしていました。

そしてみなさんとの楽しい食事会。
僕はいつものように鍋奉行となって二つの鍋を行ったり来たり(笑)。
そうこうしてると細野大臣が到着、我が家の客人たちはキャーキャーと。
すっかり細野が主役になってしまいました。

写真を撮ったり質問攻め。まあ、これも仕事だから仕方ない。

『しかし、あなたこの忙しいのによく来たね』と僕。
『なんだよ、自分が突然呼んでおいて』と細野。
約二時間、食事をしながら昔話をしたり、今の政治のことを話したりお客様もビックリして
とても喜んでくれました。何より僕も嬉しかったな。

今はとても忙しいに決まっている。だけど、大臣だって人間なんだ。
ささやかな時間だったけど、みんなと同じように楽しんでくれたようで良かった。

皆さまからもたくさんのプレゼントもいただきました。感謝します。
人と人のつながりは素敵だ。
今年も良いクリスマスになりました。

政治家と秘書 - 2013年07月29日

絵描きの僕がこんな話題を書くことはどうかと感じたが、
今日はどうしても自分自身の日記として綴りたいとブログに書く。

僕が政治家と初めて深く関わったのは言うまでも無く友人細野豪志という存在である。
初めて会ったのはもう10数年前。
サラリーマンを辞めて落下傘候補で衆議院議員に立候補する前であった。
その後、彼は28歳で衆議院議員となり、友達としてそばにいて国会議員という仕事を知る中で『秘書』という存在がとても大きいことを感じた。

代議士の秘書という仕事は、昔は本当に大変なことのようにテレビで見聞きしていた。
議員の悪事は秘書のせい(笑)、朝から夜中まで虫けらのごとく扱われるイメージがあった。
以前にも書いたが昔、僕の大叔父も衆議院議員だったので、
僕の祖父は会社の役員をしながらその大叔父の秘書のような仕事もしていた。
もちろん母も含めて一族で大叔父の選挙をやっていたのである。
昔の全国区の国会議員選挙は時間も人もお金も使い、本当に苦労したそうだ。
選挙の度に都内の青山などに所有した一等地や山を切り売りし、選挙資金を捻出。
今ある熱海から箱根までの山は代が代なら西○グループに売却せずに
ほとんどがわが一族のものだっただろう。
なぜそこまでして大叔父が代議士にこだわったのかはよく解る。
事業に成功し一代で巨万の富を得て、輝く議員バッチをつけて国会の赤絨毯を踏んだ欲の魔力に取り付かれた結果であろう。

我が家の応接間に一枚だけ鳩山一郎元首相から贈られた書がかけてある。
他にもたくさんのその当時の写真や、歴代総理からの書簡が山とあるが、
僕はそんな良き時代は知らないので写真も書も全て倉庫にしまった。そんなものに浮かれて取り付かれるのは嫌いだからだ。
ただ一枚だけは祖父と大叔父に敬意をはらって片隅にひっそりと飾ってある。
鳩山一郎氏に可愛がられ、若かりし頃の竹下元首相が年中、大叔父のいる熱海までお使いに来ていた自民党全盛期。確かに熱海も日本も豊かだったのだろう。
羽田元首相にお目にかかった時も『君の大叔父様には小さい頃、とても可愛がっていただいた』なんて言われたこともある。
しかし祖父は僕に常々語った、
『自分より馬鹿で能力の劣る人間に馬鹿だと言われる政治家だけには絶対なるな』と(笑)。
その言葉に祖父が曽祖父の市議選や大叔父の衆院選で苦しんだ気持ちを感じとることができる。もちろん、祖父の代から我が一族は政治の道から遠のいた。
政治家の秘書や選挙をやったものにしか解らない想いなんだろう。
そんな秘書はいまだにいるのかもしれないが、法が変わり選挙はクリーンになったと感じる。
もちろん細野事務所はクリーンで爽やかこの上ない。

友人細野豪志の秘書も退職した方を含めると今までに30名近くいたことだろう。
大学浪人時代の親友から、サラリーマン時代の同僚、その奥さんや
選挙で落ちた浪人議員、政治家を目指す若者も何人かいた。
数日で辞めた人、結婚して退職した人、家業を継いだ人、
国会議員や県議・市議と政治家になって活躍する人、
一流企業のサラリーマンとして頑張る人もいる。
秘書も今は一生宮仕えするような人は少ないのかもしれない。時代かな。
それはそれで良いと思うし、自分自身の人生だ。
しかし、大臣の秘書ともなれば大変有意義な勉強ができるのか。

26日に細野議員が参議院選挙の敗北の責任をとって、民主党の幹事長を辞した。
僕はたまたま前日に用事があって上京し、細野議員と一時間ゆっくりと話す機会を得た。
テレビで見る彼の顔は誠に険しく、心配もあって事務所に行ったのだった。

しかし会えばいつものごとく、明るく良い顔をして迎えてくれて安心する。
厄年の彼に熱海来宮神社の厄除けの「むぎこがし」を届ける。
僕は友として接する彼の空気雰囲気はよく解る。
いつも笑顔で、人に思いやりがあり、いつも日本や、震災の心配をしている彼は励みであるし尊敬する。
多少クールで秘密主義だが政治家ならば仕方ない(笑)。
もちろん、その彼を支えている秘書という存在にも、彼のお守り役として心から感謝する。
話の最中に彼の口から秘書のY君が7月いっぱいで退職するという話を聞いた。
退職後はサラリーマンとして再出発するらしい。
彼は中学時代から細野事務所に出入りをし、
大学卒業と同時に細野の秘書となって5年の間、衆議院議員細野豪志を影で懸命に支えてくれた。
若い彼は地元の老婦人たちに大変好かれ『Y君が頼むなら一生懸命手伝う』という地元の方はかなり多かった。僕も本当にいろいろとお世話になった。
若くても嫌な顔もせず、無理難題をこなしてくれた。
細野議員にとっても大きな存在だったに違いない。
正直非常に残念ではあるが、彼がさらに大きく羽ばたき、
また違った形で細野を支援してくれるであろうことを思うと同時に
彼の幸せを心から願う。

政治家と秘書・・。
僕には経験が無いから真実はわからないが、一人の人間をわが身を削って支え、政治家本人の力はもちろん、秘書の力無くしては当選も大臣にもなれっこない。
今も昔もたくさんの有能な秘書に支えられている。
そのことを感じながら、Y君に感謝の気持ちを込めてこのブログを書いてみる。


熱海・森ちゃん寿しに想う - 2015年07月02日

梅雨の中の小さな晴れ間。今は我が家で一年ぶりに小さな個展を開催している。年に数回開催してきた個展だが、僕も39歳となり今は制作の時間も体力も精一杯で年に2度が限界と感じてきた。来年からは個展は年に一度になることだろう。

何となく一年ぶりに個展や展覧会の案内でなくブログを綴ってみる。最近は毎日書いていたfacebookも月に一度、忙しさもあるが今は自らを見詰め直す時間を大切にしている。

この3月末に馴染みの寿司屋が惜しまれながら閉店した。昨年の伝説の焼肉屋に続いて本当に残念な出来事だった。森ちゃん寿し閉店の情報は一部の馴染みの常連客だけの極秘であったが、日に日に全国の森ちゃん寿しファンに広まり一ヶ月以上満席状態が続いていた。80歳になる親方の体力も限界に達しているのが見て取れていた。
最終日は17時の開店と同時に一番に暖簾をくぐった。その後30分しないうちに馴染みのお客で満席となり、親方自慢の最後のトロを大切に味わった。気持ちがいっぱいでいつものようには食べれない。途中、20組以上お客を断っていたので僕達数名は1時間ほど近所の店に移り、他のお客様に席を譲った。

店の空き具合を電話でやり取りし、戻りまた皆で親方への感謝の会を開催した。ただ僕は15年の思い出がいっぱいになってしまい涙が止まらなくなったので閉店を見届けるまではいないで席を立った。
帰りは親方森ちゃん、娘さん、親しい森ちゃん仲間が皆で外まで出てきて大きく手を振り見送って下さった。嬉しかった、さらに涙が止まらなく恥ずかしながら家まで号泣して帰った。

この店はある意味僕の人生そのものだった。この15年、僕の画業の一部でもあった。体調が回復した快気祝いはいつもここ。誕生日の最後もここで〆。日展に落選したときも入選したときもいつも親方は詳しくは聞かずとも『先生、いらっしゃい!』と笑顔で迎えてくれた。泣いたり笑ったり愚痴をこぼしたり、大切な友や仲間はいつもここに連れてきた。たくさんの方ともこのカウンターで知り合いになった。親友と呼べるような友もでき、親戚付き合いをするような人までできた。それもこれも親方のカウンターでのチャッチボールの上手が全てだ。
親方の人柄に惚れ、寿しの旨さ、食の大切さ。旨いものを教えてくれた原点は森ちゃんだったような気がする。ある意味、僕の父親のような存在だったのかもしれない。
思い出は書けば尽きないが、今はただただ感謝の気持ちで溢れている。

今日は我が家に元親方森ちゃんが来てくれた。個展と僕の仕事場を初めて見てもらった。少し痩せた森ちゃんだが、今は散歩をし白衣の親方からごく普通の老人になっていた。それも人の人生なのだと嬉しくなった。

森ちゃんは閉店間際にさまざまな人に、思い出の品や店の器などを配っていた。だが僕は一切もらわなかった。
これで僕の人生の第3章をスタートさせるためには、それが良いと思った。
ただ、僕が森ちゃんに作ってあげた湯飲みの見本だけはこれからの僕の人生の心棒として画室の片隅に大切に置いて置こうと思う。