私の人生には『中退』という文字が二度刻まれている。
言葉としては途中で退いたこと・・・・決して嬉しい言葉ではない。
初めの中退は高校時代。『静岡県立清水南高校芸術科中退』の話。
約16年前、その頃静岡県で芸術科のある高校は一校しかなかった。
清水南は芸大、美大に一番近い高校としても知られ確かに美術のレベルはピカイチだった。
正直、私は中学の成績も悪くはなかったし、生徒会やら作文、英語弁論(市内最優秀賞)、美術関係になどあらゆる面での活躍やら受賞歴はほかの誰より群を抜いていた。
県内の美術展の優秀賞はじめ、全国展の受賞もあったので地元ではプチ有名人だった(いわゆる勘違いってやつですが)。
文化祭などはポスターから実行委員長、演劇、発表までこなし友人や保護者から『坂本武典リサイタル』だね・・・なんて言われたほど。
まあ、自分でもあらゆる面で頑張っていたし、楽しんでいた。
高校進学を考える段階になり、中学一年から進学校の県立N高校に行くことだけを考えていたし、
親もN高校以外は高校じゃないって考えてた(汗)ので私ももちろんその気でいたのだ。
でも勉強はしたことがなかった。勉強なんてしなくても一ケタの順位(220名中)かせいぜい10番台にはいたしまあ、大丈夫なんて勝手な安心感があった。
そんな中、少しずつ成績が落ちてきた。えっ?なんで?って感じ。
私が怠けていたのと、みんながせっせと勉強を頑張りだしたのが反比例してきた。
担任から『N校はこのままだと厳しいから、ひとつ下の伊豆C高校にしたら』・・・予想外の言葉。
かなりショックだった。
現在のようにインターネットで情報が容易く手に入れられない時代。
ちょうど友人から県内の高校の偏差値や説明がのっていた冊子を借りていた。
学区が決まっていたその当時、一校だけ芸術を専門に学べる全県学区の清水南に惹かれたのだった。
その日のうちに家族に相談、もちろん反対。
次の日も担任に相談したが思うような返事ではなかった。
まあ、仕方のないこと・・。でも、一度決めたらあとには引かない性分、私の熱弁に結局、家族と担任も納得してくれたのだった。
受験はデッサンもありましたが合格。しかし、とにかく通うには遠かった。
入学後、周りのデッサンの巧さに愕然とする。こんなにも絵の巧い人がいるんだ・・・。
井の中の蛙の自分を思い知らされる日々。
楽しんで制作というのではなく、受験を目的に絵を学んでるような毎日が過ぎる。
私のやりたいことってこんなことなのかな?絵って何のために描くのだろう?
悶々とした時間が過ぎ、ある朝電車の中から美しい富士山が肩を押してくれた。
『そうだ、今日で学校を辞めよう』・・・今日さっそく校長に言いに行こうと。
登校し、すぐ校長室のドアをたたく『校長先生、私今日で学校を辞めたいと思います』。
その校長は驚きながらも、ソファーに私を座らせ一時間私の考えを聞いてくれた。
阿形吉明校長という素晴らしい先生です。
『君の話はよく解りました、家族や担任に相談して決めよう』穏やかに聞いて下さった。
普通、高校の校長があそこまで身勝手な一生徒の意見に時間をとってくれるとは、今も感謝しています。
担任も驚きながらも親身にして下さった、森先生。
帰って親に報告、唖然としてる。もちろん大反対。高校中退なんて犯罪者とでも思ってるのか。
祖父に相談し、その後の生き方を考えて決めようと。
数日間考え、もう一度近くの普通高校に再入学することになった。
その後、高校を中退、『高校中退者』のレッテルは世の中は厳しかったね。
中学時代、目立っていた分の反動は大きい。
友人の親たちも、『たけちゃん頑張ってね』と言いながら影では悪口を言っていたようだし(笑)。
まあ、仕方ありません。
そんな中、とにかく家族、友人、知人に助けられた。中学時代の恩師岩崎先生は、実力テストを在校生と同じように受けさせてくれたし、内申書も再度書いてすべての書類を用意してくださった。
退学しながらも、清水南の阿形校長も森担任もこの遠い熱海まで心配し、2度も訪ねてきてくれた。普通、こんな気持ちの先生っているのかな?気持ちがあっても熱海の自宅までこんな私を心配して来てくれるんだよ。感謝です。
校長は、再受験する高校の校長に坂本君の意思を説明するからって、手紙まで下さる。
母の友人の石川さんは寮の管理をしていた。その寮で毎日のように昼食を作ってくれたり、大きな温泉と素晴らしい庭で心を癒してくれた。やはり母の同級生の菊地さんと御主人も梅園の自宅で僕の心を癒してくれた。友人の上田は毎日のように私の自宅に来てくれた。悩みや気持ちが晴れるように楽しい話や音楽を聴かせてくれた。とにかくみんなに支えられた。
春、N高校と、母校日大三島を受験。まあ、ご縁あって日大三島に入学しましたがとにかく書ききれないような怒涛の一年でした。
でも、中退って悪い印象しかありませんがこのお陰で今の自分があるんです。
嫌なものを続けていくのも修行かも知れない。でも、やめる勇気も新しい自分を見直すチャンス。
そして、その自分の一番つらい時期に支えてくれた家族、友人、知人、先生方。
本当に有難いです。
私はとにかく周りの人に恵まれてますし、今も時々思い出しながらみんなの幸せをも祈っています。
『明けゆく』 8号 個展より