About 2011年10月

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2011年10月 アーカイブ

2011年10月06日

人として生きて死ぬ

アップルのジョブズ氏が亡くなったニュースを見た。
どんな天才も億万長者であっても宇宙の摂理には逆らえないのは当たり前だが56歳とは早い。

僕もこのひと月あまりで8人の知人の通夜や葬儀に出席した。
90歳を過ぎて大往生された方、昨日まで元気でコロリと別れを告げた方、
若くして生きたかったのに病で亡くなってしまった方、自ら命を断たなければならなかった方・・・・。
人生の終わりはいつ来るかは分からないけれど、本当に切ないものだ。

死んでしまった人はどんな気持ちなのか、死後があるのかは分からないけれど
僕は死んでしまったら何もないんじゃあないかと感じる。

もちろん、学問として、心の支えとして、文学としても宗教哲学は興味がある。
偶像崇拝とは違う、仏教や仏像の美しさ。
空海や密教の本に夢中になったこともあるし、道元の教えに感動したことも事実だ。
自身も数年前に大本山南禅寺にて受戒も経験した。

祖父や祖母を思いお墓参りも欠かさないし、神や仏の空気も感じることもある。
年初めには地元の神社にお参りし、成田山に毎月参拝し、伏見稲荷も崇拝する自分。
幼き頃はキリスト教会にも通い、新約も旧約も聖書を読み干し、
ステンドグラスとマリア像に感動していたのも僕自身だ。
死後の世界や閻魔大王、輪廻転生を否定してるわけじゃあない。
でも、死んだら何にもないんだって感じるんだよ。

僕は今は確かに生きている。
毎日水を飲み、空気を吸い、ご飯を食べ、排泄をし、動いている。
それは犬も豚も猫も人間もなんら変わらない。
当たり前のことだけど、そんなことさえ、なんて切ないのかと感じるときがある。
そのくせ、時ににグッチだのアルマーニだのにこだわって
定食より菊乃井が旨いなんて能書きを言ってみたりする自分が情けない。
いただきますという言葉を発し、沢山の動植物の命をいただいて食事をする。
食卓の上には今日もハムやソーセージ、干物にタマゴ・・・。
生きるってことは大切で美しいけど、何て酷いもんかと思ったりもする。

まあ、それが人間に生まれた喜びでもあり罪でもあるのかもしれない。
しかし宇宙の術中の中に存在し、自然の摂理に逆らうことはできないんだ。
あんな美しい月にさえ命は存在しない。
でも、あの月があってこそ僕たちの命が存在する難しさ。

なんて悲しいんだろうか。

『お母さん!お母さん!』 涙と花と愛に包まれて荼毘に付せられる人を見て涙する。
人から生まれ、人に育てられ、人として育ち、学び、恋をして人を産み、
子を育て、老い、死んでいく。
そう思うと人の人生は、なんて素晴らしく儚く美しいのか。
人を愛し、美しい景色に感動する心は永遠である。

とにかく今僕は生きている。
自分自身のその日が来るまで精一杯生き、家族や友との時間を大切にして生きたい。
そんなことを感じるのも秋だからかな・・・・。


2011年10月07日

アーティストって何じゃい?

最近名刺をいただくと〇〇アーティストと書かれてることが多い。
特に若い人に多いような気がする。

人の職業にとやかく言うつもりはないけれど、『ホント???』って思う時がある。
若い人に限って言えば、最近アーティストやら芸術家を名乗る人が増えてきた。
まあ、僕もその一人なのかもしれないが、
僕はその仕事で 『生活をし、食べている』 という自信はある。

美術の大学や専門学校を出て、就職が無く親の脛をかじって実家で生活をし
黙々と作品を作るのは僕は芸術家とは思わない。
そりゃ言い方だけカッコの良いニートでしょ。
コンビニや工事現場で働きその収入で絵や作品を作る人は趣味じゃあないか。
ちょとしたイベントに参加し、作品を売るのは気のきいたフリーマーケットじゃないのか。
定年退職後に厚生年金で生活をする人も老後の楽しみと語って欲しい。
その道でご飯が食べれるまでアーティストや芸術家と名乗るべきではないと僕は思う。
じゃあゴッホやゴーギャンは?って聞かれてもそのレベルはねぇ(笑)

まあ確かに何の資格もないから、明日から誰でもそう名乗ることは自由だ。
渋谷の交差点でそう呼んだら、半数の若者が手を挙げる気さえする。
ネットで自分の作品はすぐにでも発表できるし、絵ハガキや作品集はお小遣い程度で作れる。
ギャラリーも不景気だからどこの馬の骨にも金さえ出せば借す。
これは恐ろしいことで、あまりお気楽な気持ちはしない。

僕も19歳から作家活動をしている。
ですがその当時は大学生。親に世話になっていたからただの大学生だ。
21歳で大学を中退し、個展を開き、絵を求めていただき生活をしてきた。
それからはおこがましくも 『日本画家』 という名刺を使っている。
仕事を聞かれれば自信を持って絵描きだと答える。
もちろん、そこからは親に一円のお金も貰ったことは無いし、
今住んでいるこのビルも土地から建物まで僕が絵で仕事をしたことで収得した。
親の援助なんかただの一銭もない。この体と口と(笑)筆一本でなんとかやってきたつもりだ。
そんなことサラリーマンなら当たり前だけどね。

仕事って僕はそういったもんじゃないかと感じる。
売れること、お金を稼ぐことだけがプロとは言わないけれど、
学校でちょいと学び、卒業したなんちゃってニートやフリーターが
やれSEだのアーティストだのCGデザイナーだの名乗ることは恐ろしいことと思うんです。

またそれを何となく一端の社会人として、仕事として認めてしまうこの世の中も恐いんです。
仕事ってそれだけ責任もあって、大学時代のサークルや学園祭とは違う。
僕だってそれ相応の責任と自覚があってこの仕事を命がけでやっている。
だから花柄にさらっと アーティスト なんて書いてある名刺は疑ってしまうんだ。

それだけ日本という国が豊かになったともいえますが、
心棒が無い人が増えてくような気がするのは僕だけでしょうか?

2011年10月08日

雑感

珍しく母がお昼に弁当を作ってくれた。
弁当箱に入った少し冷えたご飯と梅干しは昔から何となく好物だ。

弁当と言ったって、どこへ出かける訳でもなく自宅のアトリエで食べる。
我が家は一階で母がカフェをやってるが、有難いことに毎日満員で僕の分までは回ってはこない。
そんな訳で、外食の多い僕の体を気遣ってかの弁当だなと思った。

最近面白くてハマってるNHKの連続テレビ小説カーネーションを見ながら
毎日使う中平美彦さんのカップにスープを注ぐ。
何て事の無い日常だ。

甘い卵焼きを食べながらふとペットについて考えていた。
いつものことながら、なんで食事の時間にそんなことを考えてしまうのか・・・。
絵描きって生きものは難しい。


一週間前に知人と寿司屋のカウンターでたまたま同席したことがあった。

『あのね・・今日はヒメのお通夜なの・・・・・』
そういって彼女は悲しそうに冷酒をちびりと飲んでいた。

ヒメと言うのは彼女の飼っている、いや・・飼っていた犬の名前だ。

聞けば、自身の老齢化で毎日の犬の散歩がきつく、医者に相談したら
犬を誰かにあげてしまうか処分しなさいと言われたらしい。
あげると言っても老犬、すんなり貰い手があるはずもない。
しばらくの間は、バイトを雇い、出かけるときはペットホテルに預けていたそうだ。
それも数カ月が続いて、気持ち的にも辛くなって結局、12歳の愛犬に動物病院で注射をしてもらい
処分してしまったということだった。

僕は正直絶句した。
テレビではよく見る話だが、一瞬ではあったけど、
ああ彼女は愛犬をコロシテしまったのか・・ そういう目で見てしまった。
もちろん、その人の実情、感情を考えたらそんなことを言えたもんじゃあない。
自分が同じ立場だったらどうしていただろうか?

『そうだったの・・・』
結局慰めの言葉もかけれず、僕は少しぬるくなったビールを
一口飲んで帰ることにした。

我が家にも一匹の犬、一羽のセキセイインコと5匹の金魚がいる。
どれもこれも買ったものはいない。
犬は母の店にバイトに来ていた女性の友人宅で生まれ、貰い主に困っていたのを
母が引き取った。インコは恩師高山先生のお宅からいただいたものだ。
金魚も近所の寿司屋の子供が縁日で買ったものを育てられないと言われ引き取った。
どんなご縁があるにせよ、今は可愛くて仕方のない大切な家族だ。

犬はもう11歳を過ぎた。毎日母と散歩をするだけが楽しみのようで
普段は3階のベランダから海を眺めてる。
インコは最近、歳のせいか餌がのどに詰まるらしく コンコン と咳をする。
何度か病院に連れていくが、目薬のような入れ物から薬を一滴飲ませるしかできない。
咳をするたびに 『大丈夫?大丈夫?』 と声をかけると ピー と返事をして安心させてくれる。
金魚であっても近づくと寄ってくる。餌欲しさの現象だとわかっていても
何となく可愛くて仕方がない。

カウンターで会った彼女もきっとそんな気持ちの毎日だったね。
それなのに・・・・ごめんなさい。  ・・・・そして天国のヒメも分かってあげてくださいね。

スープを飲み干しながら涙が出た。


2011年10月09日

カツを入れたいとき

11月の個展まで実に大小20枚の作品を仕上げなければならない。
現在も大作に取り組んでいる。
昼夜兼行の作業が続いている。

しかし、世の中は秋。
何となく気持ちのよさに気が緩む。
だって食べ物は旨いし、風は気持ち良いし、お洒落もできる。
朝起きてから毎日がウキウキしてるんだ。

そんな自分に少し喝を入れたかった。
滝に打たれるか、はたまた座禅か写経か・・・・・。

『そうだ、喝(カツ)を体に取り込めばいいんだ!』

そう思い、画室から歩いて3分。

宝亭でお腹いっぱい美味しいカツを入れてきました(笑)。
これこそ元気の源。熱海は宝亭のカツカレーでした。

さて、頑張って描くぞー。

2011年10月17日

この僕がモデルデビュー!?

『坂本先生ですか?
 実はこの秋のファッションショーにご出演いただきたいのです』

・・・・・・ は????? 

最初、一体何の事だか分からなかった。
招待状はいつもいただいているが、秋は個展があったりでなかなか伺えない。
その催促の電話かと思ったら違った。
よく聞けば青山に事務所を構える某有名デザイナーの方のショーに
僕にモデルとして出て欲しいと言った依頼でした。

驚いたねー。この僕がモデルだって(笑)。
マツコデラックスさんにでも断られてその代わりなんだろうと勝手に想像した。
もちろん、しっかりお断りいたしました。
まあ、素敵な経験にはなると思うよ。だけどまるでサーカスのゾウじゃない。
想像しただけで笑っちゃうよ。

断ったあとに、幼馴染に話したら出れば良かったじゃんって言われた。
まあね、アルマーニでしたらお受けしたかも知れませんけどー。
芸術の秋はいろんなことがございます。

作品 『かあさん』  紙本彩色 6号


2011年10月19日

子供たちの絵

この一年でどれだけの子供たちに絵を教えたんだろう。
たぶん、数百人はいたように記憶する。


とにかく子供たちは常に真剣だ。
遊びも、ケンカも、怒るもの、泣くこともとにかく一生懸命に感じる。
絵だって何のために描くとは考えてる子はいないだろう。
ただただ真剣なんだ。

絵を見ていても小さければ小さい子供ほど、生まれたての葉のようだ。
そう、人間の作ったものだけど、まるで自然の木の葉のようだ。
こう描こう、上手く描こう、褒められようとすればするほど人間臭くなる。
まあ、それも知恵がつくと言うことで素敵だ。






キラキラ輝く子供たち。
そんな彼らに僕が絵を通して伝えたいこと・・・・。
僕なんかつまらない人間だけど、彼らの人生の一か所に関われただけでありがたい。
とにかく涙が出るくらい素敵なんだ。

今日も文化庁の仕事でとある小学校に行てほしいと電話があった。
こんな僕でお役に立つなら、重い体もなんのそのだ(笑)。

2011年10月20日

絵描きの目になる

『先生、私は最近空を良く見るようになりました』

この金曜日からは教室や講座での講義が続いてる。
そんな中である生徒さんがそんなことを言った。
その方は現在、空をバックにした作品を描いている。
岩絵の具でなかなかその感じが出ないと夢中で制作に取り組んでおられる。

東大を卒業し、研究者として活躍されていたその方は研究所に籠り、
定年まで空をゆっくり眺めることは無かったのだろう。

『Hさん、それはね、絵描きの目になったからなんですよ』と僕。

すると『それは嬉しいですね』と目をキラキラさせて喜ぶ。

自分で言うのもなんだが、僕は小さなころからそんな目をしていたように思う。
皆が野球に夢中になってるときも、僕は空を眺めていた。
青い空は一体どこまで続くのか、青と白の雲が綺麗で何時間も眺めた。
友達が水泳に夢中になってる瞬間も僕だけはその水面の輝きを探っていたように思う。

秋の香り、樹の気持ち、猫に話しかけるのも言葉が分かるよな気がするからだ。
まあ、人から見たらただの変人か。
それでも僕は構わない。僕は僕の目。
この目で描き、見ている。

時に世事に構うと絵描きの目でなく商人の目になったりすることもある。
そんな時は自分が嫌だね。
正直に、いつでも絵描きの目でありたい。

人に対してもちょっと迷惑がられても、真剣に見てぶつかっていきたいな。


2011年10月21日

月日は百代の過客にして・・・・

今年も残すところ二か月余りとなりました。
良かったこと、悪かったことなど反省の意味も込めて考えさせられます。

大震災の後、本当にこのまま日本はどうなってしまうのかという不安。
絵描きって生きものはそういった時に何にも役に立たないなあって感じたこと。
そうではなく、絵を描くことが救いだと勇気づけてくれた親友細野豪志大臣の言葉。

絵を描いたり、個展を開催し、人と出会ったり本当に何気ない毎日だったように思うけど
そんな日常が有難いね。

とにかく題にあるように、月日は旅人と同じだ。
何となくでも一生懸命でも一日は過ぎゆく。
だからこそ自分らしく大切に過ごしたい。

家族はもちろんだけど、友達の存在って本当にありがたいと感じた一年。
なんだかんだといっても、いつも傍で何となく支えてくれる親友。
震災の時も真っ先に心配してメールや電話をくれる幼馴染たち。
何かあったらいつでも飛んでいくよーと励ましてくれる大親友。
一緒に食事をしたり、時にはケンカもしながらも僕を成長させてくれる。
とにかく多くの友人に笑顔と励ましを受けたように思う。
本当にありがとう。

残りの二カ月。
11月にはグループ展と個展。結婚式に二ヶ所御呼ばれしている。
注文画もまだまだ描かなくてはいけないし、
来年春に予定してる3か所での個展の準備もしなくてはいけない。
やることは盛りだくさんだ。あー嬉しい。

全てに感謝して今日も一日頑張ります。

作品 『散華』

2011年10月22日

食欲だらけの秋

最近、お腹が空いて仕方がない。
読書、スポーツ、芸術と言いますが、やはり秋は食欲だと感じる(笑)。
栗にお芋に秋刀魚にサバ、海も山も美味しいものがたくさんある。
僕の携帯画像は9割が食事の写真だよ。
それも良いじゃあないですか。

先週の土曜日は幼馴染のフーコが熱海に帰ってきた。
電話の向こうで 『ねえ、たけちゃん、私、絶対佳助に行きたい!』 と。
最近、twitterで僕が佳助のことばかりつぶやいてるので、いろいろな人が
佳助に行きたがる。
『あんたさ、俺、佳助に行ってみたいよ』と言ってた男がもう一人。
親友の下田だ。特にこの男は僕の真似ばっかりしたがるので困ったもんだ(笑)。
最近は体系まで真似してるのかずいぶんと太ってきた(笑)。
仕方がないので下田も連れて和食佳助に3人で行くことにした。

佳助には僕からメインはすき焼きにしてと伝えてある。





僕だけはこの後に牛と変えて、ワインブタのすき焼きをおかわり。
ご覧のようにとても温かい料理です。この煮豆の味付けが大好き。
とりわけ豪華ってものは無いけれど、佳助の料理にはまごごろがある。
『美味しーい!!』を連発の二人。
『こんな美味しいもの毎日食べてるの?』とフーコ。
いやいや、週に3日しか来ていませんよ(笑)。
この後に本当はご飯とお味噌汁があったが、すき焼きのうどんでお腹膨れたので
店を移す。佳助のご飯はまた旨いんだ。

僕もみんなも大好きな伊太利anにて、僕の定番のツナサラダにピザとサングリア。
しかし、熱海は小さい街ながら良い店が多い。
あと、三島のターブル・ドゥ・クドウにも火曜に行ってきたので、秋のメニューを。

ここの自家製ピクルスとセゾンレガルのビールはぴったり合う。




ここの料理も本当に旨い。静岡東部でフレンチでは一番だと思いますよ。
熱海にあったら毎週通うこと間違いなし。
特に今回のギャルソンは男性でしたが、感じの良い方でした。
ズワイガニとアボガドのタルタルは秋の彩りで味も大満足。
オニオングラタンはこのあたりの店では一番旨いと僕は思う。
イベリコのソテーも下の野菜のラタトゥーユの味付けとぴったり合っていた。

ただ、今回のイチジクのコンポートは少し残念かな。
シロップに漬けて3日は経ってる感じがした。これだけ漬かるとどうしても外側が硬くなるので。
味ももう少し、あっさりとしてたほうがイチジクの味が引き立ったかな。
たまたま昨年のコンポートの画像があったので。

こちらのほうが好みだった。ワインゼリーの硬さも前回は良かったし。
まあ、果物はその年の出来にもよりますし好みもあるので・・・・。
ここのイチジクのコンポートを求めてわざわざ来るお客もいるのは頷ける。

と、こんな具合にいつものように食欲の秋を満喫しているブデンです。
今日は雨なので一日絵を描いて、夕食は友人と主治医と伝説の焼き肉屋に行ってきます(笑)。


伝説の焼き肉屋

朝から雨の今日は画室に籠って来月に控えた個展の作品を描く。
秋の雨降りは何となく切ない。

この一週間、何となく心がざわざわしていた。
特に何というわけではないが、そんな時が年に何度かある。
机を掃除してみたり、観葉植物に余分に水をやったりしても結局気持ちは晴れない。
絵描きの性分か、やっぱり筆を持ってると落ち着くのだ。

夕食は久しぶりに友人たちと『伝説の焼き肉屋』に行くことになっていた。
店名はこの店が予約が取りにくくなるので公表はしません(笑)。
ここは熱海ではないのだが、あまりの肉の美味しさに一時は週に3回も通ったほど。

焼き肉屋に限って思うのだが、確かに游玄亭のような店で食べるに越したことはないが
最終的には店構えや接客なんかより肉が旨ければ良いのだ。
仕込みはもちろんだが、最終的に店側が料理するわけでもなく、出された肉を客が焼くだけなのだから。
だからこそ、不味い焼肉屋には自分からは決して行きたくない。

さてこの伝説の焼き肉屋なのだが、今風の無煙ロースター何かではないし、
エアコンも着いてはいるが全く効いてない。
だから夏は煙はモクモクだし、窓と網戸をあけても暑くて死にそうになるので夏の間は僕は行かない。
そんなこんなで3か月ぶりぐらいだ。

迎えに来てくれたのは友人の美容師の鎌田と、その弟で熱海市議の武俊君だ。
珍しく武俊君が運転する。
『あー坂本さんが乗ると車が傾く!』と鎌田のありきたりのジョークで車中の談話がはじまる。
せっかくなので武俊君にもバリバリと意見する(笑)。

前にも話したが、鎌田武俊という人間は本当に面白い。
頭も良いし、ジョークにも長けてる。SFC出身で日テレ上がりのエリート君だ。
まあ、それがどうってことはないけど、熱海の市議会議員何かにしておくのはもったいない。
熱海の市議会議員なんて町内会の世話焼きおじさんにやらせればいいのだ。
今は地方議員の多くは自己の家業では食べれずに、議員の歳費でしか生活できない就職困難者が増えているとか。情けない話だが解る気がする。
結局、選挙の時だけ大風呂敷を広げて、報告会すらしない議員ばかり。
その辺の祭りに来賓で呼ばれて喜んで、そのことが市議の仕事だと思ってる小商人ばかりで
改革なんて文字は未だに見えたことがないからだ(笑)。
市の経費削減と言いつつも自分たちの歳費を削減する案件は常に否決する人たちばかり。
こんな人たちに熱海を任せるには忍びない。
その上、歳費を減らす代わりに政務調査費が欲しいなんて、国会議員じゃああるまいし
まったくボランティアのかけらもない。だから僕は彼らをセンセイなんぞと呼びたくないのだ。
その辺のところをコンコンと話す。
いつもの困ったような笑顔で困ったように返事する彼。
とにかくあの空気に染まらないようにと話して店に着いた。

店に着くと間もなくして僕の主治医で武典(ブデン)の会副会長でもある河西先生達が着かれた。
皆で久しぶりの乾杯。
焼肉と言ったら生ビール。ここのはそのビールでさえ旨い。
グラスはうっすらと氷が張るほどほどに冷え、泡の量も丁度良い。
僕は基本的に生ビールは繁盛店以外では呑みたくない。生ビール機はとにかく毎日洗浄しないと旨くない。暇な店の洗浄のできてない不味くなったビールを飲まされるほど情けないものはないから。怪しいと感じたらビンビールにする。

『ちょと、坂本さん頼み過ぎ!!!』と鎌田に注意されてもバリバリ注文した。
まずはタン塩から。

どーですか、これこそがタン塩。
そこらへんの焼き肉屋の薄っぺらい丸っこい切れっぱしとは違います。
厚みも充分。初めての人はこのタン塩だけでやられてしまうんです。

うっすらとゴマ油の香りを楽しみながら、表面がうっすら焦げたら食す。
サックサクの食感はまさに伝説。

次に厚切りカルビと上ロースを注文する。これを頼まないとここに来た意味がない。

厚みは2センチ近い。その辺の高級ステーキ屋の肉と同じですが
食べごたえはこちらのほうが充分にあります。もちろんロースもかなりの旨さ。

あまりに厚いので縦横と炙っていただく。柔らかくて噛まずに飲める肉です。
ロースは付け添えの玉ねぎやニンニクの芽をくるみながら食べるのが一番旨い。


さらに旨いのはこの上カルビ。
ここのを食べると他の焼き肉屋のカルビってカスみたい・・・いや失礼、でもそう思う。

さらっと炙って白いご飯の上に乗せて食べるのはまさに絶品です。

『ここのを食べちゃうと他の焼き肉屋には行けないよねー』と鎌田。
確かにその通りで、僕もいまやこの伝説の焼き肉屋以外は焼肉と思えない。
そして思い起こせば6年ほど前にこの店を紹介してくれたのは鎌田だったことを思い出す。
彼も美味しいものを食べるのが好きで、結婚する前はよく一緒に食べ物めぐりをした。

なんだかんだとみんなで飲んで食べておしゃべり。
合計で38人前を食べたって女将さんから言われたが、僕はまだまだ食べれる気がした(笑)。
そのくらいお腹に持たれない良い肉なんだ。それにタレが甘すぎず旨いのもある。
次には親友家族を連れて来ようと心に決めて店を出る。

体中に焼肉の香りを漂わせながら、デザートを食べに行く。

今日も楽しく良い一日だった。
ごちそうさまでした。

2011年10月24日

大臣の椅子

2週間前の教室時に生徒のAさんから石踊達哉先生の妙法院門跡障壁画展の
話を聞いてどうしても最終日までには行きたかった。
そんなこんなで最終日の今日、時間がとれて午後の新幹線で都内に向かった。

会場入り口でこのブログではすっかり常連の親友のMと待ち合わせ。
丁度、彼の打ち合わせ先が日本橋と言うこともあって、半ば無理やり誘う(笑)。
入り口で伊勢丹カードを提示すると二人まで無料と言われ、ちょっと得しました。
会場は満員で凄い活気でした。売れっ子作家の個展とはこういうものですね。

作品の感想は若輩絵描きの僕の立場から申し上げることはとにかく『勉強になった』と言うことです。
会場の空気感、作品に向かわれる先生の空気全てがゴンゴンと伝わってきて、
圧倒されました。行って本当に良かったです。
Mも良い経験になったと思う。彼には自身の仕事だけでなく、
こういった僕の空気も知って欲しいのでこれからも展覧会には誘うつもり。

会場を出て、カフェに。
今晩は夕食を僕とMとある人と三人で一緒に行く予定になっていたので、15分のティータイム。
それでも僕は大好きなキッシュを注文する。

脳ミソに描いていたそのままの味で納得する。
秋らしくかぼちゃのキッシュとキノコのキッシュは本当に美味しかった。
『先生、せっかくの食事なのに今食べるんですか?』とMに言われたがキッシュだから(笑)。
一旦と別れて僕は霞が関に向かう。

財務省下という交差点を過ぎたところでタクシーを降りると佐藤大臣秘書官が待っていてくれた。
今日は展覧会の他に親友の細野豪志環境・原子力特命担当大臣と会う約束をしていた。
まあ、特に用事はないんだが、ちょっとテレビのニュースで顔を見ていたら何か元気がないような気がして、元気づけに大好きな甘いものでも食べてもらおうと思ったからだ(笑)。
案内された大きな建物は古く、内閣府のいろいろな部署が入ってる複合庁舎と言うことだった。
入り口には警備の人やらが沢山いて、やはり厳重なゲートがあった。
もちろん手荷物検査や金属探知機を本当は通るのだが、さすが大臣の関係者(笑)とあって
全てがスルーパスでした。
細野の待つ大臣の部屋に向かう途中、館内は玄関から全てがうす暗く、聞けば 節電 とやらでした。
『しかし暗いよね、もう節電しないで良いんじゃあないの?』と僕。
まあ、そうもいかないんですね。佐藤大臣秘書官の話では環境省はもっと暗いとか。

今回案内されたのは細野が環境大臣のほかにもう一つ担当する原子力担当大臣の大臣室。

着いてもなかなか会えない。ひっきりなしに陳情やら取材が入ってるようだった。
僕が行った時も福島県の大熊町の婦人会の皆さんが10名ほど陳情に来られてた。
本当に福島の方にとっては苦しみの毎日ですね。
僕も福島には多くの友人や知人がいるので、心が痛い。
大臣室の入り口にはこんなタペストリーが貼ってありました。

そして、3件ほどの陳情取材を待ってから細野大臣の部屋に入った。
メールのやり取りはしょっちゅうしているが、直接あったのは2か月振り。

テレビでの印象とは違ってずいぶん元気そうに仕事をしていた。
『あなたさ、意外と元気そうじゃん』と僕。
『うん、元気だよ。なんで?』と細野。
そんなこんなでいつものように話が始まった。そこは友達同士の会話。ここに書くことはない。
ただ一つ言えるのは、まだまだ細野は庶民の感覚をしっかり持っている。
大臣なんぞの肩書と環境に染まった考えを話したら一喝するつもりだったが安心した。
福島の人たちのご苦労を心から話してくれた。その目に嘘はなかった。

とにかく友達としては彼の元気な顔を見れたのは嬉しい。
『実はさ、昼ごはんまだなんだよねー』と差し入れの茶巾寿司と大福を美味しそうにペロリ。
『あなたねぇ、そんなに早食いは毒だよ』と言ったが、この仕事は早食いになるんだよと。
確かに一分一秒が大切なのは良く分かる。
30分ぐらいの時間しか話はできなかったが、それでも時間がとれたほうではないのかな。
政治の話もくだらない友人同士の話も楽しい時間だったよ。

『あのさ、せっかくだから大臣の椅子に座らせてよ』と言って僕はそこに座る。
うーーん、座っただけではこの椅子の重みも世の中的な座り心地も分からない。
ただ、かなり重いもんなんだろうと感じることはできた。
出会った当時、彼はサラリーマンを辞めた政治家を目指す無職の男だった。
もちろん、それだけの器を感じて支援してきたが、12年経って彼はこの『大臣の椅子』に座ってる。
それを考えたら友としては本当に励みになった。

直接そういったことは照れくさくて言わないけれど、細野豪志は僕の宝だ。
さらに頑張って欲しい。

一緒に食べるはずだった夕食は急な公務が入ってキャンセルになった。
正直、久しぶりで楽しみにしていたが仕方がない。
まあ、今はお互いに仕事を尊重して頑張るしかないね。


2011年10月29日

天に鳳凰を見る

この二日ほど珍しく体調を崩してしまった。

主治医の河西先生にお世話になり、点滴に通ったお陰と
親友のあたたかなメールなどですっかり良くなった今日。

病院から帰って昼にほうじ茶を淹れた。愛用の湯のみに茶柱が5本も立つ。
これは僕にとって今日は縁起が良い。
来月の個展も控え、六白金星の今年の厄月の10月も終わるから
今日を新たな出発の日と勝手に決めてウキウキしていた。

そんなこんなでベランダから空を仰ぐと・・・・

どうです!!!秋の美しい空に真っ白な鳳凰が現れたじゃあありませんか!!
なんと幸雲なことか。
うん、確かに幸運がやって来る予感がするのです。

今日からも感謝の日々を送ります。

2011年10月30日

ウメッチ・コナッチ二人の議員

夕方に携帯が鳴った。

『お久しぶり!坂本さん、今日は家にいます?』
電話の主は友人の梅谷守新潟県議会議員からだった。
彼からの電話は実に一年半ぶりだ。
梅谷議員は若干38歳ではあるがもう二期目の新潟県議で今や大活躍の政治家だ。
今日は義父の筒井農水副大臣の後援会の旅行で300人の皆さんと熱海に来ているとのこと。
熱海温泉をご利用いただき誠にありがとうございます(笑)。
熱海に来ると必ず電話をくれ、一緒に酒を酌み交わすのが恒例となっていた。

そんな訳で久しぶりの再会を約束し、もう一人の仲間に電話する。
『あなた今何処にいるの?』と、僕が電話した相手は三島市議会議員の古長谷稔氏だ。
『今は三島バルというお祭りの打ち上げ最中だよ』と古長谷議員。今日は音楽祭やら3件の打ち上げに出席して大忙しみたいなことを言っていた。
『あなたね、もう早く切り上げてすぐ熱海に来なさい!ウメッチが来てるんだよ』と僕。
この4月に三島市議にトップ当選した彼は今や時の人。もう40歳になったようだ。
彼とはメールや電話はもちろん、年に数回は時間があると情報交換のために会っている。
身近なお兄さんという感じだ。
頭の良さとフットワークの軽さはもちろんのこと、原発問題の本の著者である彼は
マスコミに講演へと引っ張りダコの忙しさのようだ。

正直、この本の内容は出版された8年前は????って感じで正直怪しいとしか言えなかった(笑)。
僕も原発については反対派であるが、内容があまりにも強かったからである。
しかし、3.11後この本を見返すと全くその通りになっていて、驚くばかりなのだ。
良かったら読んでみてください。

とにかく僕らは旧知の仲。
久しぶりの再会は三人が楽しみにしていたので、何を差し置いても会うことにする。
そして僕のお勧めの店・和食佳助で待ち合わせをした。
古長谷議員は終電に乗って熱海までやってきた。
『あなたよく来たね、偉い!』と僕の生意気な言葉も許してくれるそんな仲間だ(笑)。

この三人の出会いと共通点は今から9年前にさかのぼる・・・・。
詳しくは彼らのホームページをご覧ください。まあ、一つの目標に向かって走った仲間ですよ。
そんなこんなで久しぶりの再会。話に花が咲く。
昔の思い出、今の現状、そしてこれからの展望。
僕はただの絵描きだが、彼らは将来日本を背負って立つ政治家になることだろう。
特に梅谷議員は国政に向かうことはそう遅くない将来だ。
そんな彼らと時間を共有し、語り合うことは命の響きのようだった。

ウメッチこと梅谷守議員(右)、コナッチこと古長谷稔議員(左)。
とにかく政治家って仕事はいろいろあるだろうけど、友人として期待し応援しています。


2011年10月31日

カッコイイは真心なり

朝から来客が続く。かさねて打ち合わせ、電話と大忙しの一日。
一階でカフェをはじめてから、画室を急に訪ねて来られる方が多くなった。
まあ、考え方はいろいろあるが絵描きなんて一人の仕事だから、気軽に来ていただけるのはとても嬉しい。

日も暮れかけた夕方は日ごろお世話になっている都内で会社を経営するF氏が来られた。
この方はとてもセンスのある方で、常に服装も持ってるアイテムもご自身にぴったり合っていて素敵だ。
その時のスーツや季節に合わせて時計もカバンも靴もF氏の空気を感じる。
自身の好みもだが、相手を気持ちよくさせる服装と言うのはこういったことだと感心する。

今は昔の野球選手のようなセンスの若者は減った。特に男性はお洒落になったように感じる。
首には金のネックレス、時計はダイヤいりのロレックス、小さな鞄はクロコダイルかビトン、
トレーナーは胸に大きなトラサルディの刺しゅう入りなんて恰好は今は天然記念物となった(笑)。

F氏がお土産に東京日本橋にある『うさぎや』のどら焼きを買ってきてくださった。
僕はこれが昔から大好物だ。

もちろんそんなことはF氏が知る由もない。
いただいた方もこれが うさぎや と知らなければただのどら焼きに思うだろう。
ここのどら焼きは日にもよるが、その日に買いに行ってもほとんどが売り切れだ。
僕も買いに行く時は最低前日に予約をする。
もちろん名前もだがそれほどに旨いのだ。

常に感じてはいたが、今回のうさぎやで『この人はやっぱりカッコイイ』と再認識した。
前にも書いたが、僕は人に贈り物をするとき手土産一つも大切にしたい。
キオスクの袋にうなぎパイを掲げて行くような人間にはなりたくないと思う。
うなぎパイが嫌いなんじゃあないですよ(笑)。どこでも売ってるもんを持って行きたくないってことです。
だからっていつも虎屋ってのもどうかとも思いますし・・・(笑)。確かに おもかげ は旨いけどさ。

その人が何が喜ぶのか、家族構成を考えながら贈り物を選びます。
お菓子が良いのか、家族も少ないならお食事のときに召しあがれるものがいいのか・・。
一人暮らしの方に賞味期限が2日のあんみつを10個持ってたら困るでしょう(笑)。

それにはまず自身が買って食べること。知らないことには贈れないし、味も分からない。
洋菓子は特にパッケージは美しくても食べたらくだらないものは多いですから。

僕が食事やお土産にこだわるようになったのはある人の言葉がありました。
『人からいただいた時のまごころを知るため』です。
これは僕が英会話を習っていた先生から中学時代に教えていただきました。
その方のお父様は日本画家でとにかく掃除一つでもとてもいき届いていました。
お客様が来る前には香を焚き、玄関には打ち水をする。
そんなことを英語を習いながら教えていただいたのでした。
なかでもお客様がまごころをこめて持ってきてくださったお土産を知らないのは失礼だと言うことを教わりました。
その方がせっかく並んだり取り寄せたりした物をいただいても、感じてあげられない知識では失礼だと。
確かにそう思いましたね。

それから大学時代はお小遣いをためては美味しいと言われるものは食べ、高級店にも一人で通い、デパ地下の食品を食べ歩いたのです(笑)。
そのおかげか、沢山の食を知り、如いては人のまごころを感じれるようになったのです。
まあ、こういったことは押しつけがましくやることでもないのですが、
知っていたら 『粋』 ってものを感じ取れる気がするのです。

そういったことは年齢男女に関係なく、カッコイイと思うんです。
とにかく、一度このどら焼きは食べてみてください。旨いんだから。