About 2008年03月

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2008年03月 アーカイブ

2008年03月07日

岩絵の具との出会い

このところ17日からの個展に向けて制作の日々が続いている。
昼間は来客や電話が多く、なかなか集中して描けない。
でも、有難いことに多くの支援してくださる方々のおかげで絵を描く生活ができている喜びは計り知れない・・・。
一年にどのくらい描くのだろう。大作はあまり描けないけれど、デッサン以外に小品は100枚近くは描くのではないかな。そのほとんどがお嫁入りしているので、手元にはあまりありませんが。

描く前の絵の具を見てる時間は心地よい。ついつい時間を忘れてしまうんだ。
高校時代、油絵と彫刻をやっていた私は岩絵の具と出会いました。市内にお住まいだった藤島先生(日展会員)のアトリエで拝見した日展作品『明けゆく』だった。鶴が数羽描いてある素晴らしい作品だったなあ。絵はもちろんのこと、画面にキラキラと輝く絵の具の美しさに魅了された。
あの感動は今も絵具を見るたびに思い出す。
あの日がなかったら絵描きにはなっていないよな。

2008年03月08日

茶房 月の渚

昨年の12月8日に私の絵の倉庫だった自宅ビル1階にカフェをオープンしました。
『茶房 月の渚』といいます。

有難いことにオープンの日は我が家の玄関はお祝いの花で埋め尽くされました。
友人知人に感謝です。
店の名前の由来は私が最近、月をテーマに描くことが多いことと、目の前の海岸サンビーチの横にムーンテラスという公園があることなどからこの名前に決めました。
店内はシンプルなデザイン。私のかなりうるさく細かい(笑)注文に友人の一級建築士の岩本佳之さんが巧くまとめて下さいました。

私の母が手作りの日替りランチ『月の渚ランチ』や一杯づつ淹れたてのコーヒー、手作りプリンや季節のゼリーなどを提供しています。
30年間他の場所で喫茶店は経営してましたが、母も今年還暦。9席の営業は丁度良さそうです。
特におススメは私のこだわりの手作りカレー!!
玉ねぎをじっくり炒めることから隠し味のリンゴとマンゴーピューレがこだわりの味です。
是非御召し上がりにいらしてください。
ちなみに今日のランチはグラタンでした。
『茶房 月の渚』
熱海市渚町3-5  営業時間10半時から17半時 火曜日・第2、第4水曜日定休
0557-83-1963

2008年03月09日

月夜

朝からやはり来客が多く、なかなか制作の時間がとれない。
今日は観光にいらした練馬にお住まいのご夫婦が茶房の帰りにアトリエにいらした。熱海に二泊お泊りとのこと、有難いことですねぇ。
我が家も昔はホテル経営でしたから、観光客はが一人でも多く来てくださるのは嬉しいよ。
・・・さてさて10号の『月夜』の筆をおきました。これで良いのか?悪いのか?考える日々は続きましたが一応完成。

以前に友人たちと一碧湖に夜中にドライブに行き、月夜の美しさと湖の闇の怖さに背すじがゾクゾクしたのを思い出しながら描きました。怖さといっても自然の深さというか、闇に足もとまで吸い取られるような神秘の怖さの感じだった。
しかし絵を描くのは難しいです。心で感じながら描いてもどうしても描いてることは作業になってしまう。技術も巧さも無いながらもむかってる時間は夢中ですが・・・。

京都いろいろ

先々週、朝起きて急に京都に行きたくなった。
時間を見たら10時半過ぎのひかりがあったのでとりあえず下着と御朱印帳と財布をカバンに詰め込んで駅に急ぐ。日頃のイライラがたまっていた・・。そういう時は必ず京都にでかけるんだ。神社仏閣へお参りすることと、一人で食べたい物を食べる。これが心と体を癒してくれる。
新幹線の中でいつものホテルを予約。桜にはちょっと早いのですんなりOK。そのまま電話で食事の予約も・・・。中学時代から好きな中村楼へ電話するが満席。木屋町の菊乃井は大丈夫そうなので駅から直行。あたたかく、天気も良い。気分もすでに爽快。
お腹がすいたのでとにかく注文。焼き物がカレイと聞き、昨日の夕食にカレイの焼き物は食したので焼き物無しの7350円の昼懐石を注文。とりあえずの食前のビールが旨い。その日はあまり混んでないせいか、職人さんの空気も会話も良かった。
なかでも穴子と京野菜の小鍋と土鍋で炊いた貝柱の炊き込みごはんは美味かった。菊乃井は結構味が濃いので好み。粕汁と最後の水菓子の苺の寒天よせはちょっと残念。私の口にはちょと・・・。2合炊いてくれた炊き込みの残りは折に入れてくれた。言わずともの配慮。こんなちょとしたサービスがまた行きたくなるんだよね。
食後は祇園をぶらぶら歩いて、八坂神社前の行きつけの林さんの宝石店へ。林さんと少しおしゃべりをし、八坂神社にお参り。やよいでいつものちりめん山椒を買う。
その後、南禅寺へ。我が家の菩提寺の本山であるし、私はこの南禅寺で授戒もしてる。南禅会の会員なので拝観料は全て無料でした。ここに来ると祖父や祖母を思い出し、本当に心が休まる。
夕食はホテルに隣接する伊勢丹で買い物ついでに上のモリタ屋で。ほんとは三島亭ですき焼きを食べたかったのだけど、まあ疲れたからここで。ステーキ御膳を食べる・・。うん、値段のわりには美味しい。

店内は山本丘人、西山英雄などの本画が掛けてある。絵のセンスは素晴らしい。
次の日は朝から伏見稲荷大社へお参り。名誉講員の会費をお納めし、厄年なので祈祷も。我が家の山梨の別荘の屋敷の敷地内にはお稲荷様が祀られているので、日頃のご無沙汰の分をもお参りする。三十三間堂と智積院をお参り、智積院の梅の香りが体中をきれいにしてくれた。本堂右のお不動様をお参り。
昼はハイアットリージェンシーのお気に入りのトラットリア・セッテに。ここは何度来ても気持ち良い。料理も美味いし、何といってもサービスが素晴らしい。こんな気持ちよいサービスはホテルの食事とはいえなかなかありません。自家製パンと前菜もなかなか。

あさりとブロッコリーの白ワインのパスタはニンニクもほどほどに最高でした。しかし、迎える時から帰るまでの接客は本当に素晴らしいよ。料理がさらに美味しくなる。
結局、どんなに美味しい料理だしてもサービスが悪いと半減だもんね。カンテサンスもきっとそうだから33歳の若さでも三ツ星に輝くんだろうし。なんでも最高を目指すのは素晴らしいよね。美味しい食事と歴史の空気に癒され帰ってきました。
ちなみに、帰りの新幹線は斜め前にキングコングの西野さん、うしろにジャガー横田さんのご主人が座ってましたよ。

特殊救難隊

今日は『茶房 月の渚』に海上保安庁羽田特殊救難隊の寺門隊のみなさんが食事にいらっしゃいました。熱海湾の沖に沈没した船があるらしく、そこでいつも訓練をなさっている関係で熱海には時々訓練に来られるようです。
母の経営していた以前の喫茶店のころからのお付き合いで、特殊救難隊のみなさんとはかれこれ15年以上のお付き合いです。隊員のみなさんは入れ替わるのですが、熱海に来ると必ず私共の店に来てたいただいてます。
祖父が健在の頃、『彼らはお国のため、人のために命を懸けて仕事をしている若者だから、たくさんの食事をおもてなししてあげなさい』という考えで、母も特殊救難隊の皆さんが来るのは楽しみでもあるし、ここぞとばかりに手料理を山のように提供させていただいてるようだ。
今日は店を移転オープンしてから特救の皆さんははじめてのご来店(先日も違う隊の方が予約下さったのですがあいにく他の予約でごめんなさい)で、きれいなお花をお祝いにいただきました。
祖父の葬儀の際も皆さんからはお花を賜り本当に嬉しく感謝しています。

この特救の皆さんはものすごいエリートなんですよね!!
海保12000人の中でも潜水士になるのも難しいのは映画『海猿』で知りましたが、そんなもんじゃあないレベル。12000人の中の優秀な36人(1隊6名・6隊)しか選ばれないまさに特級な人材なんです!
凄いなぁ。今日は一番若い方は26歳、あとは私と同年代だそうですが・・・。わかわかしいし、挨拶も清々しい。命を懸けて人命を救助、普通できるもんじゃあないよね。素晴らしいよ。
省庁の事務職管理職なんかより素晴らしい仕事だし、尊敬する。
そんな寺門隊も寺門嘉之隊長はこの3月で移動とか。
以前に拝見した寺門隊長の出演したNHKのプロフェッショナルが3月18日に再放送とうかがいました。是非とも見ていただきたいですね。
人のご縁はありがたいです。
皆さんこれからもお体気をつけて頑張ってください。

http://buden.jp/blog/archives/20100915/162909.html

2008年03月10日

細野豪志

最近、いろいろな人に『ブデンさんと細野先生はかなり親しいようですが』って聞かれるので
ちょっとその出会いを綴ります。

僕と細野豪志氏との出会いは一枚のポスターでした。
僕が23歳だった今から約8年前の1999年の暮れ、
『時代が変わろうとしている 政治家はどうだろう』というコピーの白いワイシャツにネクタイ姿のどことなく貧弱な(笑)サラリーマンが自分の赤ちゃんを抱っこしているポスター。
それは熱海の街中の小さな文具店の隅にたった一枚だけ貼られていた。

デザインもだが、ポスターから感じるその潔白な空気感に惹かれるものがあった。
数日間通り過ぎても目に付き気になった。
なんだか解らないけれどこの人に会ってみたいと感じる。

ポスターの隅っこに小さく事務所の電話番号がありメモをした。

僕の大伯父も畠山鶴吉という熱海選出の衆議院議員だったので、
政治家、特に国会議員様を目指すのだから議員二世かどこぞのボンボンだろうなという気持ちもあったが、どんな人にも逢いたくなったらとりあえず連絡するのが僕の性分だ。

恩師高山辰雄先生にもお手紙したり、藤島先生にも突然会いに伺ったり、
その性格のおかげで今までも素晴らしい出会いと感動があった。

書いてあった連絡先に電話をしてみると、出たのは細野氏の奥さんSさんだった。
あいにく外出中だがすぐに連絡させるので連絡先を教えて欲しいとのこと。
奥さんも電話がかかってくるのはまれとみえて、ちょっと必死さか伝わってきた。

その数時間後、細野氏本人から電話があった。
『明日ご自宅に伺ってもよろしいでしょうか?』と細野。
えッ!?もう来る話?でも、会いたい人物だったので約束をした。

翌日の午前10時ごろに細野氏とそのころ選挙を手伝ってたMさんがやって来た。
やけにでかい男が来たなぁ。靴も僕より大きい・・。
はじめの印象はそんな感じだった。

話をしてみると、年下の僕にも解り易くすべてを話してくれた。
二世でもなく、お金もない、もちろん最近伊豆に来たばかりで友人、知人もいないこと。選挙資金がいくらかまで(笑)。初対面だったけど2時間以上真剣に語り合った。
同世代にしてはなんだか今までに会ったことのない人間。眼もきれいだし、信用できる。
見た目ではなく、目や姿勢に大物になるオーラを感じた。
とにかく直感でしたが、この男は絶対に一番になれると確信しました。
僕のそんな直感は昔からあって、今でもその感覚は信じている。

この人のために何か役に立ちたいな。そう感じるまで時間はかからなかった。

細野氏の『選挙は抜きに、とにかく友達になってください!』って強い言葉と熱意で親交がはじまった。
それから一カ月ぐらいはほとんど毎日細野から電話があった。
今日はこうだった、ああいう人に会ったとか・・・。しつこいぐらいに(笑)。

ほかにもいろんなことがありましたね。
選挙の集会イベントで雨の中、ボロのプレハブで絵を教えて欲しいって頼まれて、行ったはいいけど誰も集まらなかったり。
集まることを期待して、手伝い用のカレーを数十人前作って結局数人で食べたこともあった。
大きなイベント用のトラックを借りて演説、その前には10人足らずで拍子抜け。
そんなことばっかりだったような気がする。
熱海の駅で早朝に演説とパンフ配りは二人で立っても誰も受け取ってくれない。
『民主党』なんて誰も知らない時代、そんな旗を持ってるだけで冷たい視線。あの切ない気持ちは今でも身にしみているが良い思い出だ。
2時間立って名刺なんか貰ってくれたのは駅のお掃除のおじさん一人なんてこともあった。

今でさえ、集会は溢れる人、そしてご婦人方の支援は多いですが、
その当時は会合って言っても10人集まれば良いほう。
集まる人もほとんどが連合のおじさんで、仕方なく集まってる感じだった。

伊豆を歩いて回ったり、泊まるとこが無くて民家を借りて布団を我が家から何組も運んだ。
ご飯も僕の母が選挙手伝いの大学生も含めて熱海に来る度に毎回10人分以上作ってくれたり。
なんかの宗教と間違えられたこともしばしば・・・。
まあ、とにかくその頃の事務所は極貧でしたから(笑)。
雨の寒い日に100円のマックのコーヒーを二人で大事に飲んだのも良い思い出です。

こんな状態で本当に国会議員になれるのか?
でも、こんな素晴らしい人間はめったにいない。
会ってくれれば、細野豪志という人間を知ってくれたら絶対好きになるのに!
とにかく信じ祈った毎日でした。

我が家は国会議員だった叔父も、初代市議会議員だった曾祖父も自民党。後の総理が我が家に何度も足を運んだくらいで、自民党熱海支部が我が家にあったくらいの正統派だ。

でも、祖父も家族もお前が応援する人ならって、皆が信じて一生懸命に細野を応援してくれた。特に母は細野氏や応援の学生が来るたびに食事をたくさん用意して温かくもてなしてくれた。母も経営者だから店の入口に細野のポスターを貼って『ああ、この店は民主の店になったのか』と離れるお客様もいたようだ。母はそんなことは気にもしなかったと後から話てくれた。
正直、彼を応援したことで僕のお客さんも怒る方もいたし、怒鳴られ罵倒されたこともあった。
実際に離れてしまった人もいましたが、僕も男だから細野を信じて応援し続けた。
蝙蝠(こうもり)人間にはなりたくなかったし、なにより細野豪志が素晴らしいから。

そして出会って半年後、彼は小選挙区で勝って28歳の若さで衆議院議員となった。
その後の活躍は素晴らしい。
まあ、過日は皆様にお騒がせしご迷惑もかけしましたが、とにかくこんな凄い人材はいないよ。
頭は抜群、尊敬もしてるし、信頼もしてる。

最近は前のようになかなか会うことは少ないけど、
携帯のメールでは近況や情報のやりとりはしている。
その後、細野豪志議員の住む三島市と僕の住む熱海市は選挙区変えとやらで
僕は直接彼に票を投じることは出来なくなった。
それはそれとして、かえって僕たちは友達をしてさらに親しくなったように感じる。

昨日も彼から携帯にメールがあった。時々気になるとお互いに連絡をする。
たった一枚のポスターから親しい友人に。
出会いって不思議で素晴らしいですね。

2008年03月11日

古代幻想


間もなく完成。13年前に写生して古代と宇宙を表現したいと考えていた。
絵を描くって何なんだろうか・・・。
今日も朝から様々な人がそれぞれの仕事をこなしている。
幼いころはクラスメイトのほとんどが野球選手やサッカー選手になりたいと言っていた。
そんな彼らも介護施設の事務員だったり、アパレルの営業だったり、さまざまな違った仕事をして生活をしている。
仕事って何なんだろう。お金を稼ぐため?生活のため?自身の人生の充実のため?

絵描きって何だろう。絵を描いて稼いで生活できる人が絵描きかな?
生活のために他の仕事をして絵を描く人も画家や絵描きなのかな?例えばパン屋さんで働いてお金を稼いで絵を描いている人はパン屋さんが絵を描いているだけなのか・・・?
まったくどうでもよいことを夜になると考えてしまう。
孤独な作業がまだまだつづくんだなぁ。


私の戒名

戒名っていろんな考え方があるよね。
私も以前まで何の関心もなかった。普通暮していてあるはずがない。何となく仏壇にある位牌に書いてある 文字 としか解らなかった。
5年前に一緒に生活を共にしていた最愛の祖父が亡くなった。私をとにかく可愛がってくれた。もちろん厳しくも育てられた。食事のマナーから、敬語、それはそれは厳しい祖父だったが、常に家族を愛してくれた。最期の3年は寝たきりの生活だったが、どうしても施設や病院を嫌い私の母が最期まで自宅で愛情一杯の介護をしてくれた。祖父もきっと喜んでるに違いないし、母も偉大である。
そんな祖父が亡くなり、葬儀一切を坂本家16代目の私が仕切ることとなった。何も分からないながらも、私たちを愛してくれた祖父を最後は立派に送ってあげたいと思い全てにこだわって段取りをしていた。
そんな中で直面したのが『戒名』という問題だった。
・・・・・どうしたものか?先祖の過去帳を広げる。我が家は代々あるので30名以上の戒名がそこにあった。そんな中に祖父が一番尊敬していた祖父の伯父畠山鶴吉の戒名を見つける。
鶴吉の父と母は我が家坂本家の墓に眠っているのだった。
『大歩院殿鶴翁光含彰徳大居士』
よく分からないながらもさすが立派な戒名・・・・。
祖父は熱海つるやホテルの役員として会社のため、伯父のために人生を捧げた人だった。伯父の戒名にも『鶴』の文字がある。祖父の名前の一字『徳』もある・・・これは祖父も喜んでくれるなぁ。
菩提寺のご住職にお電話し、戒名には是非『鶴』の文字を入れてくださいとお願いした。
通夜の日、ご住職から祖父に戒名が与えられた。

『圓融院鶴嶺寿徳大居士』
・・・・・・母と私と涙がでた。祖父にお似合いの名前がついたね。
祖父の父(私のひい祖父さん)は『法光院』という。『法光圓融禅師』というのはお寺を開いた開山様の名前で、その名前を親子で頂いたと聞きました。その翌年に私も大本山・南禅寺の管長中村文峰老大師様に『武徳』という戒名をいただきました。
立派な戒名は生きてる人間の見栄だとか、金の無駄とか言われますが、最愛の人が亡くなったらやはり喜んでもらいたいと思うのが人間、家族ですよね。
見栄っ張りだって思われても祖父が喜んでくれたら何よりなのです。
だってね、先祖がいて私の存在があるんだから・・。感謝ですよ。

祖父と2歳の頃 私も50代はこんなになるのではないかな・・・。

2008年03月12日

ネタ帳

初公開の私の秘蔵のネタ帳。
何が書いてあるのでしょうか。・・・・実は毎日の食事のメニューです。
毎日いったい自分が何を食べているのかって以外に忘れるんですよね。
一昨日の昼食を覚えている人ってなかなかいません。
あとは、食事に出かけて食べた献立を思い出しながら書き取ってます。
感想やら盛り付けやらいろいろ。



書いてる時も楽しいですが、後で見返すとさらに楽しい。ちなみにこれは3年前のものです。
もう、かなり書きためてあるんです。
どこの何が美味いとか、不味いとか接客が良いとか悪いとか、その店の空気からトイレの掃除状態まで・・。大げさにいえば坂本ミシュランとでもいいましょうか。
バーなのに冷麺が最高だったり、ラーメン屋なのにチョコパフェが美味かったり、洋食屋なのにコーヒーについてくるクッキーがおいしいとか。
かなり毒舌に私なりに判断して分析しております。
意外と、今までとツナサラダのツナが違うメーカーになってたり、アイスがランクが落ちたり、マヨネーズがキューピーから味の素に変わってたり・・嫌な客ですがわかっちゃうんですよ、私。
先日もあるお店でいつものアイスココアを頼んだら、ヴァンホーテンの粉で作らないでチョコシロップにミルクで作ったのが飲んですぐに分かって残しました。
居酒屋もコーラなんて瓶でなくて、ペットボトルのあまりで注がれると炭酸の感じで分かるので『これはコーラじゃなくてコーラみずですね』ってバイトさんに戻したら一緒にいた友達に怒られました(笑)。
まあ、そんなことがかなり書いてあります。
そのうちまとめてブログで公開したいと思ってますよ。

2008年03月13日

私と寅さん

『男はつらいよ』って、とにかく大好きなんですよ。
どのくらい好きかって言われると『毎日見てます』って答えるほど。
本当にほとんど毎日見てるんですよ、DVDで。あの流れる空気感、風景、どれをとっても素晴らしいけど何といっても渥美清さんの演技は最高です。

私にとって寅さんはなくてはならないもの。
正直、『睡眠剤』のようなものです。・・・・あやしいかな。
でも、何となく毎日制作やら日々の雑事でついつい考え事が多くて眠れない時、寅さんが私を助けてくれるんです。時にはねずみ小僧寅吉だったり、有名な画家になったりして・・・(わかる人には解るよね)ゲラゲラ笑ったり、泣いたりしながら見てるうちにぐっすりと休めるんです。
もちろん、全て見つくしてるんで今は47作すべてを30回づつ以上は見てますからセリフまで分かってますけど(笑)
あと不思議と今日見たい作品を棚から何気なく手にとって再生するんですが、私のその時の環境にあった作品が流れるんですよねぇ。第37作『幸福の青い鳥』で長渕剛演ずる若者が公募展に出品した作品が落選する話があるんですが、不思議と自分の作品が良くない時にあの作品を手にするんです。怖いくらいにそれを手にしたその日に落選通知が来たことも。他にもそんな経験は数知れず・・・・。まあ、毎日見てますから。
そんな中でも私の一番のおすすめは、第17作『寅次郎夕焼け小やけ』です。始めからかなり面白い。太地喜和子演ずる芸者ぼたんと、宇野重吉演ずる日本画家青観と寅次郎のやり取りが見事だし、涙が出るくらい寅次郎の優しさに感動します。しかし、太地喜和子はすごい女優だね。渥美清さんもそうだけど亡くなってしまって残念ですよ。詳しい内容はご自身でご覧ください。
そうそう、最後に青観が描いた赤いボタンの絵が出るんですが、あれって誰の描いた絵なのかな?素人の作品ではないので、有名な画家が描いた作品だと思いますが。ご存知の方は教えてください。
さて、本日は・・・リリーと寅さんに癒されて寝るとします。

おまけ  アトリエの本棚より

2008年03月14日

祖母と駄菓子屋岩崎さん

今日、ホワイトデーは私の祖母の祥月命日でした。
私が中学2年の今日、祖母は他界しました。67歳でした。とにかく人に好かれる人で穏やかな人でした。いつも祖母の周りにはたくさんのお客さんがいました。
沼津の行商のおばさんや呉服屋さんなど、どんな人にも休んで行きなさい、食事をしていきなさい、泊って行きなさいと言う人で本当にいろんなお客様が家に帰るといたという印象です。
小学校時代、私と祖母の毎日の日課は夜、私がお風呂からあがると近所の駄菓子屋の『岩崎さん』に出かけて買い物をすることでした。
行くと岩崎さんのお兄さん(祖母がお兄ちゃんって呼んでたけど私から見たらオジサン)が赤い丸い椅子を一つだしてくれるんです。そこに祖母が座る。それから『たけちゃん(私の本名はたけのりです)、今日は何を買うの?』って言葉からから買い物スタートです。予算は一日1000円。
まずは冷蔵庫から祖母にイチゴ牛乳、私は丹那コーヒー牛乳をだして飲む。ベビースターラーメン、かっぱえびせんか、カールを。ペンシルカルパスのサラミを3本、10円のガムを数個買う。
残ったお金で祖父に雪見だいふくのアイスをおみやげ。祖父はなんだかこれが好きでしたよ。いつも車を買ってた『ヤナセ』からレディーボーデンのアイスの券が送られてくるとそれも岩崎さんで換えてたなぁ。とにかく毎日ぴったり1000円使い切るまで買い物してました。
よく考えたら駄菓子を毎日1000円買うなんて・・・。祖母も太ってましたが・・・私もその頃は痩せてましたがね。
岩崎さんで売ってた焼きそばパンも美味しかったな。毎日なかったけど、ケースにあるとやったー!って喜んでたよ。懐かしいな。
祖母が亡くなってしばらくして岩崎さんは閉店となりました。
お兄さんに僕が毎日買い物来るから辞めないでって言ったのを覚えてます。僕が毎日1000円買ってもね・・・。
今でも閉店した岩崎さんのお店の前を通るたびに祖母のあたたかなまなざしを思い出します。

祖母と(3歳ぐらいかな、変な口してるね・・・) 

2008年03月15日

遺言状のススメ

皆さん遺言状って書いたことあります?
私はね、毎月書いてるんですよ。自筆遺言を。
そう言うと大半の友人たちは お前おかしい って言うね。
いったい何書いてるの?自殺でもするの?って。
するわけないでしょ!
でもさ、みんな自分が明日突然死んだらどうするんだろうって思うんだ。
困るでしょ。実際。
私はもちろん長生きはしたいです。でも、毎日をとりあえず明日死んでも満足に生きたいって思うんだ。
だから、遺言状を書いてるの、幸せだから。
親、親戚、友人、知人への感謝を中心に、大した財産もありませんがその処分についてまで。
だってさ、猫のひたいほどの土地しかなくったって自分の希望する人にあげたいでしょ。
絵もかなりありますから、ただ捨てられるのも寂しいし。
まあ、私にも親がいますから明日私が死んだら親に財産がいくのは当然ですが、私亡き後、私の親が死んだら我が家の財産はどうなるの?私には兄弟も奥さんも子供もいないからね。
だからその後のことまで親にもこうして欲しいってお願いが書いてあります(笑)
まあ、親より早く死ぬなんて親不幸はしたくはありませんが、とりあえずだから。
しかし笑っちゃいますよね。でも、こんな人間がいても良いでしょ。私の人生だから。
日記や趣味の範囲ですよぉ。
でも、幸せな時に自分の人生を見直すってのは面白いもんですよ。
ためしに書いてごらんなさい。本当の自分の今がかなり良く解るもんです。
こうしたい、ああしたい、誰が大事とかね。
自分を見直すきっかけにもなるんですよ。
23日は誕生日だから新しい遺言を書きますよ。葬儀の香典返しはお茶なんてつまんないから好物の『彩果の宝石』にして欲しいとかね・・・。

『月への道』 15号

2008年03月16日

本多小百合さん

今日は、アトリエに中京テレビアナウンサーの本多小百合さんが遊びに来てくれました。

小百合ちゃんは小学校、中学と私の一つ後輩です。
家も近所だし、お父様、お母様にもいつもお世話になっています。
とにかく、きれいですよね。存在に華があるよ。
中学時代からそうでした。頑張り屋さんで人気者。中学の生徒会の副会長に立候補した時もその場で当選(笑)って感じに同級生にも後輩にも先輩にもとにかく人気がありましたね。
今のお仕事も天職でしょうね。
なかなか静岡ではご活躍を拝見することができませんが、岐阜や名古屋の友人から聞いてます。その友人たちからサインを頼まれてお願いしたこともありました。
忙しいなかでも時々実家のある熱海に来てお父様やお母様と食事してるんだね。親孝行ですよ。
人間って頑張ってる人や忙しい人ほど時間を大切にしてるし、人生を楽しんでますね。
最近、正直刺激のある人物と時間を共有できなかったので今日はいい時間を過ごせました。
良い『気』を小百合ちゃんからもらいましたよ。
さあ、明日からの個展に向けて今日も徹夜です。
小百合ちゃんこれからも体に気をつけて、自分の人生を楽しんでください。感謝。


2008年03月17日

個展はじまりました

今日、17日(月)から23日(日)まで自宅画室、展示室、和室にて個展を開催しております。
昨日から徹夜での準備。
自宅での個展は友人ともゆっくりと話ができるので嬉しいね。
今日朝一番のお客様は高校時代からの友人・下田俊章が来てくれました。彼は横浜での修業後、実家の花屋の店長として日々頑張ってるよ。花のセンスもまあまあ良いし、何より人柄が良いんだ。2年前も一緒に展覧会をしましたが今年も6月に熱海市有形文化財・起雲閣で一緒に花と日本画の二人展を開催の予定。今はお互い熱海青年会議所の同じ委員会なので、なんだかんだ毎日のように会ってるよ。

さて個展ですが、会場は2階の3室です。
まずは画室。昨年の日展の作品をはじめ9点を展示。

そして展示室。こちらには12点を展示してあります。

最後は和室。ミニ屏風など6点を展示してあります。

作品の紹介は追ってまた。
是非お気軽に遊びにいらしてください。

2008年03月18日

中退人生 その一

私の人生には『中退』という文字が二度刻まれている。
言葉としては途中で退いたこと・・・・決して嬉しい言葉ではない。
初めの中退は高校時代。『静岡県立清水南高校芸術科中退』の話。

約16年前、その頃静岡県で芸術科のある高校は一校しかなかった。
清水南は芸大、美大に一番近い高校としても知られ確かに美術のレベルはピカイチだった。

正直、私は中学の成績も悪くはなかったし、生徒会やら作文、英語弁論(市内最優秀賞)、美術関係になどあらゆる面での活躍やら受賞歴はほかの誰より群を抜いていた。
県内の美術展の優秀賞はじめ、全国展の受賞もあったので地元ではプチ有名人だった(いわゆる勘違いってやつですが)。
文化祭などはポスターから実行委員長、演劇、発表までこなし友人や保護者から『坂本武典リサイタル』だね・・・なんて言われたほど。
まあ、自分でもあらゆる面で頑張っていたし、楽しんでいた。
高校進学を考える段階になり、中学一年から進学校の県立N高校に行くことだけを考えていたし、
親もN高校以外は高校じゃないって考えてた(汗)ので私ももちろんその気でいたのだ。
でも勉強はしたことがなかった。勉強なんてしなくても一ケタの順位(220名中)かせいぜい10番台にはいたしまあ、大丈夫なんて勝手な安心感があった。
そんな中、少しずつ成績が落ちてきた。えっ?なんで?って感じ。
私が怠けていたのと、みんながせっせと勉強を頑張りだしたのが反比例してきた。
担任から『N校はこのままだと厳しいから、ひとつ下の伊豆C高校にしたら』・・・予想外の言葉。
かなりショックだった。
現在のようにインターネットで情報が容易く手に入れられない時代。
ちょうど友人から県内の高校の偏差値や説明がのっていた冊子を借りていた。
学区が決まっていたその当時、一校だけ芸術を専門に学べる全県学区の清水南に惹かれたのだった。
その日のうちに家族に相談、もちろん反対。
次の日も担任に相談したが思うような返事ではなかった。
まあ、仕方のないこと・・。でも、一度決めたらあとには引かない性分、私の熱弁に結局、家族と担任も納得してくれたのだった。
受験はデッサンもありましたが合格。しかし、とにかく通うには遠かった。

入学後、周りのデッサンの巧さに愕然とする。こんなにも絵の巧い人がいるんだ・・・。
井の中の蛙の自分を思い知らされる日々。
楽しんで制作というのではなく、受験を目的に絵を学んでるような毎日が過ぎる。

私のやりたいことってこんなことなのかな?絵って何のために描くのだろう?

悶々とした時間が過ぎ、ある朝電車の中から美しい富士山が肩を押してくれた。
『そうだ、今日で学校を辞めよう』・・・今日さっそく校長に言いに行こうと。
登校し、すぐ校長室のドアをたたく『校長先生、私今日で学校を辞めたいと思います』。
その校長は驚きながらも、ソファーに私を座らせ一時間私の考えを聞いてくれた。
阿形吉明校長という素晴らしい先生です。
『君の話はよく解りました、家族や担任に相談して決めよう』穏やかに聞いて下さった。
普通、高校の校長があそこまで身勝手な一生徒の意見に時間をとってくれるとは、今も感謝しています。
担任も驚きながらも親身にして下さった、森先生。
帰って親に報告、唖然としてる。もちろん大反対。高校中退なんて犯罪者とでも思ってるのか。
祖父に相談し、その後の生き方を考えて決めようと。
数日間考え、もう一度近くの普通高校に再入学することになった。

その後、高校を中退、『高校中退者』のレッテルは世の中は厳しかったね。
中学時代、目立っていた分の反動は大きい。
友人の親たちも、『たけちゃん頑張ってね』と言いながら影では悪口を言っていたようだし(笑)。
まあ、仕方ありません。
そんな中、とにかく家族、友人、知人に助けられた。中学時代の恩師岩崎先生は、実力テストを在校生と同じように受けさせてくれたし、内申書も再度書いてすべての書類を用意してくださった。
退学しながらも、清水南の阿形校長も森担任もこの遠い熱海まで心配し、2度も訪ねてきてくれた。普通、こんな気持ちの先生っているのかな?気持ちがあっても熱海の自宅までこんな私を心配して来てくれるんだよ。感謝です。
校長は、再受験する高校の校長に坂本君の意思を説明するからって、手紙まで下さる。
母の友人の石川さんは寮の管理をしていた。その寮で毎日のように昼食を作ってくれたり、大きな温泉と素晴らしい庭で心を癒してくれた。やはり母の同級生の菊地さんと御主人も梅園の自宅で僕の心を癒してくれた。友人の上田は毎日のように私の自宅に来てくれた。悩みや気持ちが晴れるように楽しい話や音楽を聴かせてくれた。とにかくみんなに支えられた。

春、N高校と、母校日大三島を受験。まあ、ご縁あって日大三島に入学しましたがとにかく書ききれないような怒涛の一年でした。
でも、中退って悪い印象しかありませんがこのお陰で今の自分があるんです。
嫌なものを続けていくのも修行かも知れない。でも、やめる勇気も新しい自分を見直すチャンス。
そして、その自分の一番つらい時期に支えてくれた家族、友人、知人、先生方。
本当に有難いです。
私はとにかく周りの人に恵まれてますし、今も時々思い出しながらみんなの幸せをも祈っています。

『明けゆく』 8号 個展より


『バラ咲くころ』 6号 個展より 

2008年03月19日

学校へ行こう

私は仕事やボランティアで市内の小学校などに講師として出かけることが多い。
行ってまず感じるのは学校の空気感・・・。正直、良い学校、荒れてる学校など校舎に入った瞬間に判るんだ。
あ、この学校の生徒は挨拶ができるな・・ここは校長が神経質なのかな・・
この学校の運動場は怪我が多そうだとか・・・。
実際に感じて、授業をやってみるとさらに良く解る。
不思議なんですがね。
生徒についてもそうだ。絵を描いてる内容や上手さとかは別に、その子の家族関係や、家の整理整頓状況まで。『君の家は汚いね』、『あなたのお父さんは公務員でしょ?』ほとんどが的中するので児童も私に興味をもってくれる。
まあ、それは良いとして小学校の生徒たちに教えるのはとにかく楽しい。
先日も熱海の伊豆山小に出かけて授業をした。多くの児童が目を輝かせて絵を描いている。素晴らしいね。絵をうまく描くことなんかは小学生はどうでもいいと思う。とにかく楽しく、そして完成の喜びを知って欲しい。私はそう思いながら学校へ通う。
絵を知って好きになって欲しい、ただそれだけ。

今回は自分の手がテーマ。
最優秀頑張った賞に輝いた通称『イケメン』君と。

2008年03月20日

パーティーの面々

朝からもの凄い雨と風だ。
18時からは個展会場にてパーティーを開催予定なのに、心配になる。
朝一番に知人で日芸の先輩枡田さんが来てくださる。楽しくためになるお話でした。

そして、18時前から心配をよそに多くの友人知人が続々と会場に。
私の後援会『武典の会』の田中会長夫妻をはじめ、国際アート展の小田さん、瀬高さん。元朝日航洋社長夫人の高橋さん、私のマネージメントを担当してくださるカム・アクロスの迫さん、近藤さん、友人知人や芸術家仲間、絵画教室の生徒さんなどたくさん来てくれました。皆様、お足もとの悪い中をありがとうございました。

20時半からBSの生放送があるのに友人の細野豪志衆議院議員も来てくれました。本当に毎回、忙しいのにわるいねぇ、ありがと。でも、もっとゆっくり話したいね。細野が来るとどっちが主役だか分からなくなるよ。みんな私より細野と話したがるんだから(笑)まあ、細野人気は嬉しいけど。

地元選出の衆議院議員・渡辺周さん、熱海市議会議員・橋本一実さんと。周さんも橋本さんも忙しいのに感謝です。橋本さんも欠かさず来てくれるんだ、本当に嬉しいです。熱海の将来は橋本さんにかかってるんでお願いしますね。市長もね、一度くらい来てくれたらいいのに。ご無沙汰ですよほんと。

友人で歌手の近藤辰俊さん。彼はね、3年前に帝劇で大地真央さん主演のマイフェアレディーに出演されました。私も拝見しましたが、素敵でしたよほんと。楽屋にも遊びに行かせていただきました。
その後は食事したり買い物に行ったりと交流が。知識もあって一緒にいると癒されます。
今日はパーティー後、プライベートで素晴らしい歌声も披露して下さり感動しました。6月8日に熱海にてコンサートの予定とか。楽しみです。詳しくはまたご紹介しますね。
しかし、同じ年とは思えないね、若いしカッコイイ。私と並ぶと豚に真珠だね・・・。

今日も多くの人たちと時間を共有する。私は本当に人に恵まれてるよ。
お彼岸ですからね、ご先祖様に感謝します。

2008年03月21日

私は20歳の頃から『黒い服』しか着ないことにしている。
約12年の月日が流れた。
人にも何で?とか同じものしか着ないの?って言われるよ。
そんな時は『黒の服だと影が出ないから痩せて見えるでしょ』とだけ答えてきたがそんなの関係ない。

きっかけは母が買ってきた 黒い上着 だった。

その頃、大学で彫刻をやっていたので登下校も つなぎ でいることが多かった。
何となくだらしない。彫刻の研究室もアトリエも更衣室もそれはそれは汚いなんてもんじゃなかった。
掃除好きの私からしたら毎日が苦痛だった。
つなぎかジーンズと簡単な上着で通う日々。まあ、正直服につぎ込むお金もなかったし、興味もなかった。
そんなある日、母が知人の洋品店から一枚の上着を買ってきてくれた。
それが運命の出会い。黒い服だった。
それまで、黒の服なんて葬式の時に着るものとしか考えてなかったが、着てみるとその心地よさと体中にビリビリ電気が走った気がした。

何だろう?この気持ち・・・。

次の日、さっそくそれを着て学校へ。なんか自分が変わったような気がする。いや、本当に変わってる自分がそこにいた。なんだか堂々と自分らしくいれるんだ。
それからはとにかく黒い服を買い集める。
気に入ったものは4枚まとめて買う。本当に黒い服を着始めてから自分らしくいられるんだ。
黒ばかりはダメだよ、運気が下がるなんて人から言われても黒しか着ないし買わない。
伊勢丹の私の担当の高田さんもアルマーニの方ももちろんわかってるので黒しか勧めない。
私のクローゼットは黒一色。
もちろん下着も靴下もすべて黒です。
こだわりというか黒は私の体の一部になってるような気さえするんです。


『渚の月』  8号  個展より


春に想う

春って素敵だよね。桜や花がやわらかく美しい。個展会場にもたくさんのお花をいただきました。
癒されるし、描けるし嬉しいよ。

今回の個展では『宇宙や月・星』をテーマに描きました。
毎回、あまり個展のテーマは決めて描いたことはありませんが、今回は自然とそうなったんだ。
人間て不思議だね。
結局、宇宙の一部であるし、太陽や月がなければ生きていけない。
私たちの体や生活に欠かせないというか、宇宙の中に生かされてるんだよね。
私の部屋から見える海の潮の満ち引きも月の引力によるんだもんね、不思議だよ。
普段は考えることもないけれど、絵を描いていると生きている不思議さを実感する。
悩ましい毎日だよ。・・・・春なんだね。

今日もたくさんの友人が来てくれましたよ。ありがとう。
参議院議員の榛葉賀津也さんも国会の忙しい中をわざわざ来てくれました。
ほんとありがとうございます。県内のファンがものすごく多い榛葉さん。いつも感謝してます。

2008年03月22日

私は普段は会社勤めもアルバイトもしていないのでひとりで時間を過ごすことが多い。
もちろん絵を描くのもたった一人、孤独な作業だ。
制作の時間は夜の10時から朝方5時までが集中できるのだが、ふと我にかえると

『私はいったい何をしてるんだろうか?このままで10年後絵描きとして生活ができるのであろうか?』

など不安と孤独感に押し潰されそうになる。
昼間は考えないことでも夜の静かな時間は不安との闘いでもある。
人は私のことを、毎日好きなことが仕事で、自由の時間があって生活できるのは羨ましいと言う。
私にしたらとりあえず安定した給料で、多くの仲間と仕事をして休みを休みと実感できる生活は羨ましいと思う。
内容さえ違え、結局求めるところは無いものねだりなんだね。
私には今、信頼をしてる仕事のパートナーがいる。
しかし彼とは仕事の内容は全く違う。
彼は週に一度の休みしかない。だから彼はその一日を宝物のように大切にする。
私は休みの充実感というものを感じたことがない。
毎日が充実はしてるし、自身で組み立てた予定で動いている。

また夜がやってきた。
あの不安と闘う日々はまだまだ続きます。


『海より』  6号  個展より


『山月』  6号  個展より


『洋梨と苺と』  4号 個展より

2008年03月23日

32歳になって

個展最終日の今日、かなりのお客様がご来場されました。
昨日も多くのお客様に座る暇も無かったので腰が・・・・。でも有難いことですね。本日は児童心理学者で画家の金子先生ご夫妻をはじめ、熱海市議の山田治雄さん、三島市議の馬場妙子さん、熱海青年会議所元理事長の出口さん親子など多くの友人知人、観光客もいらっしゃいました。
本当に多かったね。自宅に100人以上来るんだからすごいよね。感謝。

また、今日は私の32歳の誕生日(今日3月23日は黒澤明監督、魯山人などの芸術家も同じ誕生日です)ということもあり、朝から知人の近藤さん、同級生の洋子、友人でいつも励ましてくれる恩人の健君、親友の下田、カズミ、カズミの奥さんのともちゃん、わが社の有能なスタッフの舞様などからお祝いのメールが・・・嬉しいよ。ほんとありがとう!!
近藤さんからは和光の時計(すてきな時計感謝します!)、親友のカズミ夫妻からは花の電報(さすが粋なことしてくれるよ!)、下田からは花とかわいいロウソクのBOX(あんた、これはなかなかだよ!)、健君夫妻からはセンスあふれるお花(奥さんのお姉さまが生けたとか空気があります。さすが広瀬夫妻!)、やはりわが社の有能なスタッフの和也様からはバースデーケーキが(和也君、ほんといつもありがと!こんなにしてくれるなんて感謝で涙だよ・・!)、知人の倉見さんもケーキなどなど。
多くの皆様がこんな私を祝ってくれました。


とにかく幸せな一日でした。
しかし、32歳にもなって誕生日を祝ってもらえるのは嬉しいね。
個展も盛況のうちに終わりました。夕食は個展でお世話になった方をご招待し近くのレストランに。
長いようで短い一週間でしたし、32歳になった今日、また気持ちを引き締めて頑張る決意をしました。
健君からのメールの一文『誕生日は自分が周りの人に感謝をする日だと思います。その出会ってきた一人でも欠けていたら今の自分はいません今の自分があることに感謝し、未来に繋げられたら素晴らしいですね』・・・・・そうだね健君!いつもありがと!
素晴らしい一日でした。

2008年03月24日

トマトのグラタンスープ

私の住む渚町に『クレール』という欧風レストランがある。
昔からかなりお気に入りの店である。
内装は家庭的でテーブルも5つと小さいが、ドアを開けるとカラカラと心地良い鐘が鳴る。

シェフの奥さんの実家が魚屋というこもあり、また市場には奥さんが出向くのでとにかく新鮮で美味い。私のおすすめは時期にはカキフライ!揚げ方がちょうど良いし、自家製のタルタルソースは絶品だ。イカリングも最高。レモンをかけてやはりタルタルでいただく。ヤリイカは柔らかくて衣のサクサクとバランスが良い。アワビのレモンバターソースも肝とあえていただく。とにかく最高だよ。美味くて安い。
メインの料理はもちろんのこと、私の一押しは『トマトのグラタンスープ』である。
これは夏は冷製のじゃがいものスープに変わるのだが、今時期はどのコースにもついてくる。

トマトの風味を残しながら、生クリームの濃厚さ、とけたチーズのバランスが絶妙なんだ。
浮かべてあるフランスパンにさらにチーズが・・。オーブンから熱々のまま出てくる。
とにかく美味いよ。
スープは少し残して、最後はフランスパンを浸しながら最期の一滴までいただく。
これがさらに美味いんだ。
言葉で説明するより是非食してください。

2008年03月25日

あたみ美食会

今日は『あたみ美食会』の日である。
この会は地元熱海や伊豆を中心に会員おすすめの食とお酒を楽しむという会で、別名は『痛風会』(笑)ともいいます。
なにしろお酒も食事と美味しくいただきますし尿酸値がね・・・。
現在の会員は元熱海青年会議所理事長の出口さん、電気店社長の佐古さん、市議の藤曲さん、美容会社専務の鎌田くんと私の5名です。

毎回会員が自分の好きな店を紹介してます。
今回は私のおすすめの『もとむら』です。市内梅園の上にあり、起雲閣の板長であったご主人がご自宅で予約のみで素晴らしい料理をだしてくださいます。
まずはナマコときゅうりの酢の物、山クラゲの前菜。ビールが美味い。
次はもとむらさん自慢のごま豆腐!これはね、10皿おかわりしたいくらい旨いんです!

ごま豆腐の風味と甘いごまだれが絶妙な加減でモチモチとした食感も最高でした。
鰆の押し寿司、ハマグリの吸い物も旬な味でした。刺身はさっと炙ったホタテ、湯どうしのマグロに湯葉が添えてありました。天城産のわさびが素材を引き締め、冷酒にぴったり。

そのあとは炊いた若筍です。山椒が効いて春の山の香り。見た目にも美しいよね。

あつあつのだし巻き、海老しんじょの揚げ物は塩で、アボガドと里芋の揚げ物は田楽味噌で。
最後はいつものなめこと卵の雑炊。これがまたほっとする味。
水菓子に季節のフルーツに蜂蜜のジュレ。
このジュレが酸味のきいた柑橘の味をまろやかに。見た目も黄金色で美しい。
全部で11品。いつもながら満点でした。

味はもちろん、いつもながら奥さまの接客があたたかいの。
最高な味とお酒にみんな良い気分。もとむらを出て中央町の居酒屋へ。
ここは熱海ではかなり人気の店。
この日もちょうど3周年ということもあり満席。まあ、いつも満席が多いですよ。
来月の美食会は三島での開催に決まりました。
会員は募集してませんが、参加希望の方はご連絡を!

2008年03月26日

希望の道へ

久々にゆっくりとした一日。
本当はある会社との新しい事業の視察と勉強に行く予定でしたが、社長から都合がつかないとのことでのんびりと過ごす。
下の月の渚で昼食を。母の料理はホッとしますね。

夕方に昨日、東京大学を卒業したM君が遊びに来てくれました。ご卒業おめでとう。
彼とは数年前から交流があり、私の日展作品も必ず見に行ってくれてます。
人柄も言葉使いはもちろん、いつも笑顔で部屋の空気がパッとさわやかになります。
紳士だよ、若いのに素晴らしいよ。

この春から総務省にお勤めです。
若い彼との話は清々しい。中央省庁っていろいろありますが、こんな若者が働くなら希望はありますよ。
彼も様々な希望と夢があると思います。
私もその頃に恩師高山辰雄先生の弟子になり、絵描きになるために必死でした。
人間って初心忘れずなんて言っても環境の動物だからね。変わるよ。
変ったって良いと思う。でも、自身の心は常に大切に生きたい。
正直に自分らしい生活が送りたいよね。
M君と話して私も原点を思い返しました。

2008年03月27日

花も団子も

昼前の電車で伊豆熱川の教室に向かう。
伊豆急は伊豆高原のさくら祭り目的であろう多くの人で混雑している。
今日は暖かく天気も良いので桜見物には最高でしょうね。
途中、車窓からも美しい桜が・・・・。
春はいいですね。
夕方に教室から家に帰ると、友人の社長が彼の会社の有能なディレクターと私を待っていた。
その後、彼らと隣町の焼き肉店に打ち合わせに出かける。
まあ、本当はその焼き肉店の名前も公表したいのですが、今後の混雑を予想するので内緒です。
とにかく安いし、旨い!
まずは塩レバーを。う、旨い。私は生肉はほとんど食しませんがこれは最高です。
臭みなんか全くないしね。驚きますよ。
その後はいつもの厚切りカルビを。見てくださいこの厚さ!サシもほどほどに柔らかくて素晴らしい!

ご主人がまた最高なんですよ。
まあ、決してきれいとは言えない店内ですし席も狭いの。
『あ、ちょっと狭くて座れるかな?』って私の一言に『じゃあ、痩せてから来いバカヤロウ!』って(笑)。
とにかく口は悪いようですが、本心でないの。優しいんですよ、実際は。

とにかく、どんだけ食べてももたれないんですよ。
タンもロースも最高です。正直、ここで食べたら他の焼肉屋は行けないよ。
しかし、毎日食べることばっかりですが私こんな毎日ではありませんので・・。
今週はたまたまなんです(汗)・・。
で、その後に今日の本当の目的である新規事業の打ち合わせに三島へ。
充実した内容ある話でした。やっぱりみんなが集まるといろんなアイデアがでて面白いよ。
H氏はなかなかの切れ者ですな。
社長、良いスタッフを見つけたね!これから楽しくなりそうです。

打ち合わせ後、三嶋大社にお参りと桜見物。
遅い時間でライトアップは消えてましたが、みんなで春のひととき。
花も団子も良い一日でございました。
今年はとにかくいろいろ頑張りますよ。

2008年03月28日

春の夜長に

最近、毎日寝るのは5時過ぎることが多い。
絵を描くこともだが、友人やスタッフとの打ち合わせだ。
みんなの仕事の都合でどうしても11時過ぎに会うことが多いかな。
今日は同級生で昨年、熱海市内に話題のてんぷら専門店『てんぷら 鶴吉』をオープンした釜鶴のK君が仕事の打ち合わせにアトリエに。
釜鶴さんは熱海でも老舗のひもの店で、もちろん味も知名度も一番。私もお使い物にいつも使わせていただいている。
ひもの店のほかにも和食処やてんぷら屋など経営。
お父様の二見さんとは家康来熱400年委員会などでお世話にもなってます。
最近の釜鶴のパンフレットは私がデザインやイラストを描かせていただいていて、
今日は鶴吉用のイラストの打ち合わせ。

打ち合わせしながらお互いの夢や熱海に対する思いなど、時間を気にしないで
楽しい話ができました。
彼も陶芸を勉強しているので、いつか一緒に展覧会ができたらいいね。
春はみんな気持ちが爽やかだし、将来や希望に悩める良い季節だね。

2008年03月29日

オーストラリアから

夜が遅い毎日で今日は久しぶりに午後に起床。
身支度をして、仕事の打ち合わせに行く前に食事をしようと月の渚の扉を開ける・・。

『たけちゃん!ひさしぶり!!』の聞き覚えの声と顔。

え!!!つい何日か前にオーストラリアからブログの感想をメールでくれた親友のN。
『え、何で日本に?』本当にびっくりしました。
彼女はご主人が外務省の外交官なので転勤で今、オーストラリアにいるの。
ちなみに私のいとこも2人オーストラリアに住んでます。
帰ってくるなんて何にも言ってなかったので、驚きと嬉しさでいっぱい。
さらにやはり親友のMも一緒に。Mも社長夫人だもんねぇ。
いやー、ほんと久々でも親友って一瞬で昔にもどるね。
あと少し起きるのが早かったら出かけて会えなかった。
打ち合わせは夜にまたのばして、彼女たちとの懐かしいひととき。
大学時代のこと、絵にした一碧湖での思い出、日春展に初入選した時も彼女たちが一番に見てくれたし、お祝いしてくれた。つらい時もいつも励ましてくれ、夜の山中湖にドライブにも行ったね。
いつも時間を共有したあの思い出。
みんなには本当に世話になったし、迷惑もかけたなぁ。
みんなから多くのことを教わり、生きてきたんだとあらためて感謝します。
素晴らしい青春時代だったよ。私以外はみんな結婚して幸せになってるし。
Nが『たけちゃん、結婚って幸せだよ』って言ってくれた。
私は正直、結婚願望はありませんが聞くと良いもんかなって思う。
最近、お子様が産まれた河西先生も『ブデンさん、子供は可愛いし早く結婚を』って。
細野もやけに結婚をすすめる。そんな時期なんだね。
まあ、そんな皆さんからの有難いセクハラ(笑)も嬉しいよね。
だけど、まずはダイエットでしょう。ハハハ。
昔は陸上で熱海で一番早かった私、足も長い長いと言われましたがすっかりドラえもん体系。
まあ、来年の今頃は半分になってる予定ですから。
しかし、みんなありがとう。私は人に恵まれてるよ。感謝!


2008年03月30日

あの頃

日曜日、本当は沼津の教室の予定でしたが急用で都内に出かけることに。
いつもは静かな新幹線車内も春休みの最終日曜日のせいか、満員でした。
雨が降っていて、薄着で来たので寒い・・。
高校時代からの親友Mと会うことに。彼とは高校時代の美術研究所も一緒で、ともに切磋琢磨した仲間。変わり者の私とも特に話が合うのです。
新丸ビル内の四川豆花飯荘で食事をすることに。
茶芸はテレビでは見ましたがはじめての生で。技も見事ながら八宝茶はとても美味。一杯目よりも二杯目が氷砂糖がきいてほのかな甘みで良い感じがした。
料理はなかなか。最近、食べすぎなのでほどほどにアラカルトを注文。美味しくいただきました。

味は中華は好みもあるのでね・・・・。
サービスは素晴らしいですよ。私、どの店でもお茶やお水をお願いするのがほとんどですが、こちらはそんなことは一切ないほどに徹底して気配りできてました。
胡弓の生演奏も良いし、店員さんは見事でした。
その後、場所をHENRY GOOD SEVENに移してお茶を。ゆっくりとした時間を共有しながら、高校大学時代に夢を語り合った思い出に話がはずみました。

2008年03月31日

疲れ

都内から帰ってから最近の疲れにダウン。
歯がガタガタとなる・・寒い。
熱を測ると39.6度!
こんな高熱は久々で、そのうちに体中が痛い。
寝ていても苦しい時間。
朝、病院に行こうと思うが体が思うように動かない。情けないね。
午後にかかりつけの病院に。炎症反応が機械の数値を超えてエラーに。
点滴で少し落ち着きました。今週は点滴に通います。
全く、最近の疲れがたまってたにしろ弱い自分が情けないよ。
桜をスケッチに出かける予定もなくなりそうです。

我が家の吊るし雛