細野豪志

最近、いろいろな人に『ブデンさんと細野先生はかなり親しいようですが』って聞かれるので
ちょっとその出会いを綴ります。
僕と細野豪志氏との出会いは一枚のポスターでした。
僕が23歳だった今から約8年前の1999年の暮れ、
『時代が変わろうとしている 政治家はどうだろう』というコピーの白いワイシャツにネクタイ姿のどことなく貧弱な(笑)サラリーマンが自分の赤ちゃんを抱っこしているポスター。
それは熱海の街中の小さな文具店の隅にたった一枚だけ貼られていた。
デザインもだが、ポスターから感じるその潔白な空気感に惹かれるものがあった。
数日間通り過ぎても目に付き気になった。
なんだか解らないけれどこの人に会ってみたいと感じる。
ポスターの隅っこに小さく事務所の電話番号がありメモをした。
僕の大伯父も畠山鶴吉という熱海選出の衆議院議員だったので、
政治家、特に国会議員様を目指すのだから議員二世かどこぞのボンボンだろうなという気持ちもあったが、どんな人にも逢いたくなったらとりあえず連絡するのが僕の性分だ。
恩師高山辰雄先生にもお手紙したり、藤島先生にも突然会いに伺ったり、
その性格のおかげで今までも素晴らしい出会いと感動があった。
書いてあった連絡先に電話をしてみると、出たのは細野氏の奥さんSさんだった。
あいにく外出中だがすぐに連絡させるので連絡先を教えて欲しいとのこと。
奥さんも電話がかかってくるのはまれとみえて、ちょっと必死さか伝わってきた。
その数時間後、細野氏本人から電話があった。
『明日ご自宅に伺ってもよろしいでしょうか?』と細野。
えッ!?もう来る話?でも、会いたい人物だったので約束をした。
翌日の午前10時ごろに細野氏とそのころ選挙を手伝ってたMさんがやって来た。
やけにでかい男が来たなぁ。靴も僕より大きい・・。
はじめの印象はそんな感じだった。
話をしてみると、年下の僕にも解り易くすべてを話してくれた。
二世でもなく、お金もない、もちろん最近伊豆に来たばかりで友人、知人もいないこと。選挙資金がいくらかまで(笑)。初対面だったけど2時間以上真剣に語り合った。
同世代にしてはなんだか今までに会ったことのない人間。眼もきれいだし、信用できる。
見た目ではなく、目や姿勢に大物になるオーラを感じた。
とにかく直感でしたが、この男は絶対に一番になれると確信しました。
僕のそんな直感は昔からあって、今でもその感覚は信じている。
この人のために何か役に立ちたいな。そう感じるまで時間はかからなかった。

細野氏の『選挙は抜きに、とにかく友達になってください!』って強い言葉と熱意で親交がはじまった。
それから一カ月ぐらいはほとんど毎日細野から電話があった。
今日はこうだった、ああいう人に会ったとか・・・。しつこいぐらいに(笑)。
ほかにもいろんなことがありましたね。
選挙の集会イベントで雨の中、ボロのプレハブで絵を教えて欲しいって頼まれて、行ったはいいけど誰も集まらなかったり。
集まることを期待して、手伝い用のカレーを数十人前作って結局数人で食べたこともあった。
大きなイベント用のトラックを借りて演説、その前には10人足らずで拍子抜け。
そんなことばっかりだったような気がする。
熱海の駅で早朝に演説とパンフ配りは二人で立っても誰も受け取ってくれない。
『民主党』なんて誰も知らない時代、そんな旗を持ってるだけで冷たい視線。あの切ない気持ちは今でも身にしみているが良い思い出だ。
2時間立って名刺なんか貰ってくれたのは駅のお掃除のおじさん一人なんてこともあった。
今でさえ、集会は溢れる人、そしてご婦人方の支援は多いですが、
その当時は会合って言っても10人集まれば良いほう。
集まる人もほとんどが連合のおじさんで、仕方なく集まってる感じだった。
伊豆を歩いて回ったり、泊まるとこが無くて民家を借りて布団を我が家から何組も運んだ。
ご飯も僕の母が選挙手伝いの大学生も含めて熱海に来る度に毎回10人分以上作ってくれたり。
なんかの宗教と間違えられたこともしばしば・・・。
まあ、とにかくその頃の事務所は極貧でしたから(笑)。
雨の寒い日に100円のマックのコーヒーを二人で大事に飲んだのも良い思い出です。
こんな状態で本当に国会議員になれるのか?
でも、こんな素晴らしい人間はめったにいない。
会ってくれれば、細野豪志という人間を知ってくれたら絶対好きになるのに!
とにかく信じ祈った毎日でした。
我が家は国会議員だった叔父も、初代市議会議員だった曾祖父も自民党。後の総理が我が家に何度も足を運んだくらいで、自民党熱海支部が我が家にあったくらいの正統派だ。
でも、祖父も家族もお前が応援する人ならって、皆が信じて一生懸命に細野を応援してくれた。特に母は細野氏や応援の学生が来るたびに食事をたくさん用意して温かくもてなしてくれた。母も経営者だから店の入口に細野のポスターを貼って『ああ、この店は民主の店になったのか』と離れるお客様もいたようだ。母はそんなことは気にもしなかったと後から話てくれた。
正直、彼を応援したことで僕のお客さんも怒る方もいたし、怒鳴られ罵倒されたこともあった。
実際に離れてしまった人もいましたが、僕も男だから細野を信じて応援し続けた。
蝙蝠(こうもり)人間にはなりたくなかったし、なにより細野豪志が素晴らしいから。
そして出会って半年後、彼は小選挙区で勝って28歳の若さで衆議院議員となった。
その後の活躍は素晴らしい。
まあ、過日は皆様にお騒がせしご迷惑もかけしましたが、とにかくこんな凄い人材はいないよ。
頭は抜群、尊敬もしてるし、信頼もしてる。
最近は前のようになかなか会うことは少ないけど、
携帯のメールでは近況や情報のやりとりはしている。
その後、細野豪志議員の住む三島市と僕の住む熱海市は選挙区変えとやらで
僕は直接彼に票を投じることは出来なくなった。
それはそれとして、かえって僕たちは友達をしてさらに親しくなったように感じる。
昨日も彼から携帯にメールがあった。時々気になるとお互いに連絡をする。
たった一枚のポスターから親しい友人に。
出会いって不思議で素晴らしいですね。

コメント

  1. […] 僕が政治家と初めて深く関わったのは言うまでも無く友人細野豪志という存在である。 初めて会ったのはもう10数年前。 […]

  2. […] 『次期大臣、総理大臣も夢じゃあないですね!』 とか、僕と細野が親しいのを皆が知ってるので毎日言われます。 […]

  3. […] 政治家って空気、熱海の絵描きって空気が(笑)。 彼との出会いは以前のブログでも書きましたね。 […]