小学生の頃、毎週のように静岡の教英社という塾に試験に通っていた。
母の意向で大伯父が法政大学の理事をしていた関係で、私立の法政一中に入学させようとしていたらしい。
幼稚園入園前も、祖父の友人が慶応の理事をしていた関係で慶応幼稚舎に入園の話もあった。
こう考えると、人間の人生って親の意向で決まるんだね。
慶応入ってたら今頃は絵描きにはなってないだろうし・・・。
塾と言えば、私にとってはただ新幹線で通えることと、その当時熱海には無かったマクドナルドでビックマックを食べることが静岡まで塾へ通う楽しみだったのだ。
ある時、新幹線の中で私に声をかけてきた年配の人がいた。
他の友人たちはゲームに夢中だったが、私はその方となんとなく話をした。祖父母と暮らしている私にとっては年配者との話は日常的なものだったし、その人に 何か を感じていた。
『あなたは教会へ通っていますか?』
その老紳士は私にそんな質問してきた。私はすぐに ハイ と答えた。
私はキリスト教信者ではなかったが、幼なじみで隣人の三木ジョー君がキリスト教会の日曜学校へ通っていたので、2年生の頃から教会へ礼拝に通っていた。
それを聞いた老紳士の喜んだこと!どうしてもと言われ新幹線の中で住所を交換して別れた。
まあ、今だったら宗教やら住所やらはあやしいと感じるんだろうけどその当時はね・・・・。
それから一か月後、私のもとに韓国から手紙が届いた。
出会った老紳士は 金聖圭牧師 という韓国の宣教師の方だった。
私との出会いの不思議さ、そして私に宣教師になって欲しいと綴ってあった。
だいたい小学6年生の子供に宣教師になって欲しいというなんて今考えても不思議だね。
それから手紙でのやり取りが始まりました。金先生からは毎週のように手紙や贈り物が届いた。
それどころか、先生の弟子たちが日本へ来ると必ず私の元に訪問し挨拶をしていくのが習慣になったのだ。
考えてみてください、小学6年生の子供に韓国の大人の人が丁重に挨拶に来るんですよ。いったい私に何を感じてくれていたのでしょう?
金先生もその弟子たちも『坂本さんが韓国へ来てくれること、宣教師になってくれることを毎日皆でお祈りしています』って。
私の誕生日には必ずお電話を下さり、本当にいつも気にかけてくださった。
私も親も申し訳ないような気持ちになっていました。
高校へ入学してからもやり取りは続き、ある時金牧師からこんな申し出があった
『坂本さん、大学は私が理事をする韓国の大学の神学科で勉強して下さい滞在費、学費は全てこちらで負担します』そうまで言って下さった。
とにかく金先生の関係で多くの韓国の方とも親しくなりました。
みなさんとにかく親切で、私が行くと大歓迎して下さいました。
ムラサキスポーツの金奉任会長ともその関係で親しくさせていただいています。
高校3年の6月、金先生が胃がんの手術をされ私にとても会いたがっておられるとお弟子さんから電話がありました。以前から大学も見学に来て欲しいとも言われていましたのでお見舞いを兼ねて夏休みに韓国へ出かけました。
知人の案内でソウルに数日滞在、その時も大学の理事長さんの息子さんがいろいろな場所や教会、大学を案内して下さいました。
さすがに教会ももの凄い大きさで礼拝の話も同時通訳で聞くことができたほど。
大学も素晴らしい学校でした。
その後、先生の待つ テグ という町に着き、先生と再会。
涙を流して喜んでくださり、奥様、息子さんたちや教会に通う100名近い皆さんが大歓迎を
してくれました。多くの皆さんが私に握手を求め、本当に喜んでくれたのです。
聞くと、とにかく金牧師は私と出会ってから7年間毎日私の無事と宣教師になってくれることを
お祈りしていてくれたのだそうです。
嬉しさ反面、私にも自分の夢があったので申し訳なさがいっぱいでした。
教会の皆さんや金先生の息子さん達が親切にしてくれ、1週間の滞在期間を終え
先生との再会を誓って日本へ戻りました。
それから1年後、金先生は神様のもとへ旅立たれました。
今となっては夢のような話ですが、12歳の私に何を感じてくれたのでしょうか?
立派な息子さん達がいるのに、私に先生の後を継がせたかったのはなぜだったのでしょうか?
もちろん、宗教の勧誘でも何でもありません。金先生の気持ちからのものでした。
ときどき金先生の面影を思い出し、そのことを問いかけるのですが解らぬままです。
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