About 2013年07月

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2013年07月 アーカイブ

2013年07月20日

100枚のうちわに描こう!

今日は涼しい一日でしたね。夜は熱海は海上花火も綺麗でした!
僕は朝から長泉町の桃沢工芸村にて『うちわに描こう!』講座を開催。
午前、午後と50人の児童とうちわに季節の花や野菜を描きました。
来月も50人にと。合計100名100枚のうちわが完成します。

長泉町は子供の教育文化や医療にとても理解があり、町長も教育委員会もとても協力的です。
数年前から取り組んでいますが、児童画の講習は季節に関係なく毎回抽選になるほどの大人気。長泉町の生涯学習課の努力はもちろんのこと、親御さんの意識の高さも見受けられます。
これは以前も書きましたが、子供のころの経験や感動は大人になって違ってくる。
特に芸術を直接肌で感じると感性が磨かれます。
美しいものを美しいと感じる心の形成や躾、伝統やマナーを学ぶには習い事がよいですね。特に芸事は6歳の6月6日から始めろと言い伝えがあります。学ぶのは中学までが最高に良いです。
値段の高いものが最高、高い食事が旨いものと感じる最近の成金たちは大人になっていくら豊かになっても、幼い頃に芸術や本物を学んでないので本当の価値が解らない。
昔の金持ちには風格がありましたよ。書画に骨董、美術に音楽。季節ごとに絵や家の調度品を変え、庭木を愛でる。まあ、伝統のある御曹司であっても教育を受けてないと最近は掛け軸の仕舞い方や玉露の淹れ方すら知りませんから。
今の成金はベンツ(ベンツはもう高級車じゃあないか)にゴルフ、自家用ヘリに馬、玄関に陶器の豹なんか置いてあるとぞっとしますね(笑)。風流の欠片も無く、ただ金で身を纏うような気がします。
まあ、経済がまわるから良いことではありますが品が無い人が多いです。
大人なって慎ましく生活をしても、幼い頃に芸術に親しんだり躾をされた人間は空気、存在感が違うと僕はたくさんの人と接していてよく解るのです。

我が町熱海市にも数年来、児童芸術教育の推進や講座を何度も提案していますが一度も実現はしていません。数人の市議、市長にも話していますがあの人たちは聞いてないのか、やる気が無いのか。選挙前にはいそいそやって来ますけどね(笑)。そういえば、市長も選挙前に絵を見に来て以来はお忙しいとみえてご無沙汰だなぁ。
街にとっては経済やその場限りの誘客のイベントも大切ですが、日本の将来を考えたら子供たちの教育は一番と思います。子供は日本にとって宝ですから。
行政が動かなくても僕なりに子供たちの笑顔のためにマイペースに取り組んでいきます。


今回の作品は静岡銀行さんの協力を得て、新しく完成した静岡銀行長泉支店(長泉町中土狩556-11・コメダ珈琲となり)に7月24日から8月9日まで展示いたします。
僕の大うちわも賛助出品していますので、是非御覧ください。

2013年07月29日

政治家と秘書

絵描きの僕がこんな話題を書くことはどうかと感じたが、
今日はどうしても自分自身の日記として綴りたいとブログに書く。

僕が政治家と初めて深く関わったのは言うまでも無く友人細野豪志という存在である。
初めて会ったのはもう10数年前。
サラリーマンを辞めて落下傘候補で衆議院議員に立候補する前であった。
その後、彼は28歳で衆議院議員となり、友達としてそばにいて国会議員という仕事を知る中で『秘書』という存在がとても大きいことを感じた。

代議士の秘書という仕事は、昔は本当に大変なことのようにテレビで見聞きしていた。
議員の悪事は秘書のせい(笑)、朝から夜中まで虫けらのごとく扱われるイメージがあった。
以前にも書いたが昔、僕の大叔父も衆議院議員だったので、
僕の祖父は会社の役員をしながらその大叔父の秘書のような仕事もしていた。
もちろん母も含めて一族で大叔父の選挙をやっていたのである。
昔の全国区の国会議員選挙は時間も人もお金も使い、本当に苦労したそうだ。
選挙の度に都内の青山などに所有した一等地や山を切り売りし、選挙資金を捻出。
今ある熱海から箱根までの山は代が代なら西○グループに売却せずに
ほとんどがわが一族のものだっただろう。
なぜそこまでして大叔父が代議士にこだわったのかはよく解る。
事業に成功し一代で巨万の富を得て、輝く議員バッチをつけて国会の赤絨毯を踏んだ欲の魔力に取り付かれた結果であろう。

我が家の応接間に一枚だけ鳩山一郎元首相から贈られた書がかけてある。
他にもたくさんのその当時の写真や、歴代総理からの書簡が山とあるが、
僕はそんな良き時代は知らないので写真も書も全て倉庫にしまった。そんなものに浮かれて取り付かれるのは嫌いだからだ。
ただ一枚だけは祖父と大叔父に敬意をはらって片隅にひっそりと飾ってある。
鳩山一郎氏に可愛がられ、若かりし頃の竹下元首相が年中、大叔父のいる熱海までお使いに来ていた自民党全盛期。確かに熱海も日本も豊かだったのだろう。
羽田元首相にお目にかかった時も『君の大叔父様には小さい頃、とても可愛がっていただいた』なんて言われたこともある。
しかし祖父は僕に常々語った、
『自分より馬鹿で能力の劣る人間に馬鹿だと言われる政治家だけには絶対なるな』と(笑)。
その言葉に祖父が曽祖父の市議選や大叔父の衆院選で苦しんだ気持ちを感じとることができる。もちろん、祖父の代から我が一族は政治の道から遠のいた。
政治家の秘書や選挙をやったものにしか解らない想いなんだろう。
そんな秘書はいまだにいるのかもしれないが、法が変わり選挙はクリーンになったと感じる。
もちろん細野事務所はクリーンで爽やかこの上ない。

友人細野豪志の秘書も退職した方を含めると今までに30名近くいたことだろう。
大学浪人時代の親友から、サラリーマン時代の同僚、その奥さんや
選挙で落ちた浪人議員、政治家を目指す若者も何人かいた。
数日で辞めた人、結婚して退職した人、家業を継いだ人、
国会議員や県議・市議と政治家になって活躍する人、
一流企業のサラリーマンとして頑張る人もいる。
秘書も今は一生宮仕えするような人は少ないのかもしれない。時代かな。
それはそれで良いと思うし、自分自身の人生だ。
しかし、大臣の秘書ともなれば大変有意義な勉強ができるのか。

26日に細野議員が参議院選挙の敗北の責任をとって、民主党の幹事長を辞した。
僕はたまたま前日に用事があって上京し、細野議員と一時間ゆっくりと話す機会を得た。
テレビで見る彼の顔は誠に険しく、心配もあって事務所に行ったのだった。

しかし会えばいつものごとく、明るく良い顔をして迎えてくれて安心する。
厄年の彼に熱海来宮神社の厄除けの「むぎこがし」を届ける。
僕は友として接する彼の空気雰囲気はよく解る。
いつも笑顔で、人に思いやりがあり、いつも日本や、震災の心配をしている彼は励みであるし尊敬する。
多少クールで秘密主義だが政治家ならば仕方ない(笑)。
もちろん、その彼を支えている秘書という存在にも、彼のお守り役として心から感謝する。
話の最中に彼の口から秘書のY君が7月いっぱいで退職するという話を聞いた。
退職後はサラリーマンとして再出発するらしい。
彼は中学時代から細野事務所に出入りをし、
大学卒業と同時に細野の秘書となって5年の間、衆議院議員細野豪志を影で懸命に支えてくれた。
若い彼は地元の老婦人たちに大変好かれ『Y君が頼むなら一生懸命手伝う』という地元の方はかなり多かった。僕も本当にいろいろとお世話になった。
若くても嫌な顔もせず、無理難題をこなしてくれた。
細野議員にとっても大きな存在だったに違いない。
正直非常に残念ではあるが、彼がさらに大きく羽ばたき、
また違った形で細野を支援してくれるであろうことを思うと同時に
彼の幸せを心から願う。

政治家と秘書・・。
僕には経験が無いから真実はわからないが、一人の人間をわが身を削って支え、政治家本人の力はもちろん、秘書の力無くしては当選も大臣にもなれっこない。
今も昔もたくさんの有能な秘書に支えられている。
そのことを感じながら、Y君に感謝の気持ちを込めてこのブログを書いてみる。