人として生きて死ぬ

アップルのジョブズ氏が亡くなったニュースを見た。
どんな天才も億万長者であっても宇宙の摂理には逆らえないのは当たり前だが56歳とは早い。
僕もこのひと月あまりで8人の知人の通夜や葬儀に出席した。
90歳を過ぎて大往生された方、昨日まで元気でコロリと別れを告げた方、
若くして生きたかったのに病で亡くなってしまった方、自ら命を断たなければならなかった方・・・・。
人生の終わりはいつ来るかは分からないけれど、本当に切ないものだ。
死んでしまった人はどんな気持ちなのか、死後があるのかは分からないけれど
僕は死んでしまったら何もないんじゃあないかと感じる。
もちろん、学問として、心の支えとして、文学としても宗教哲学は興味がある。
偶像崇拝とは違う、仏教や仏像の美しさ。
空海や密教の本に夢中になったこともあるし、道元の教えに感動したことも事実だ。
自身も数年前に大本山南禅寺にて受戒も経験した。
祖父や祖母を思いお墓参りも欠かさないし、神や仏の空気も感じることもある。
年初めには地元の神社にお参りし、成田山に毎月参拝し、伏見稲荷も崇拝する自分。
幼き頃はキリスト教会にも通い、新約も旧約も聖書を読み干し、
ステンドグラスとマリア像に感動していたのも僕自身だ。
死後の世界や閻魔大王、輪廻転生を否定してるわけじゃあない。
でも、死んだら何にもないんだって感じるんだよ。
僕は今は確かに生きている。
毎日水を飲み、空気を吸い、ご飯を食べ、排泄をし、動いている。
それは犬も豚も猫も人間もなんら変わらない。
当たり前のことだけど、そんなことさえ、なんて切ないのかと感じるときがある。
そのくせ、時ににグッチだのアルマーニだのにこだわって
定食より菊乃井が旨いなんて能書きを言ってみたりする自分が情けない。
いただきますという言葉を発し、沢山の動植物の命をいただいて食事をする。
食卓の上には今日もハムやソーセージ、干物にタマゴ・・・。
生きるってことは大切で美しいけど、何て酷いもんかと思ったりもする。
まあ、それが人間に生まれた喜びでもあり罪でもあるのかもしれない。
しかし宇宙の術中の中に存在し、自然の摂理に逆らうことはできないんだ。
あんな美しい月にさえ命は存在しない。
でも、あの月があってこそ僕たちの命が存在する難しさ。
なんて悲しいんだろうか。
『お母さん!お母さん!』 涙と花と愛に包まれて荼毘に付せられる人を見て涙する。
人から生まれ、人に育てられ、人として育ち、学び、恋をして人を産み、
子を育て、老い、死んでいく。
そう思うと人の人生は、なんて素晴らしく儚く美しいのか。
人を愛し、美しい景色に感動する心は永遠である。
とにかく今僕は生きている。
自分自身のその日が来るまで精一杯生き、家族や友との時間を大切にして生きたい。
そんなことを感じるのも秋だからかな・・・・。

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